昨日の日曜日、もう梅雨が明けたかのような夏空が広がり、
この機会を逃すまいと、少し遠出して根来寺に行きました。
前回の記事は こちら です:
https://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/66048474.html
この機会を逃すまいと、少し遠出して根来寺に行きました。
前回の記事は こちら です:
https://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/66048474.html
前回の記事で紹介し忘れましたが、大傳法堂を訪れた際
丁度、諷経の最中でしたが、それを終えた
お坊さんの一行を見かけました。
丁度、諷経の最中でしたが、それを終えた
お坊さんの一行を見かけました。
奥之院を訪れたのが、およそ11時。
紀伊駅でバスに乗れたおかげで、
思っていたよりも随分早い時間です。
紀伊駅でバスに乗れたおかげで、
思っていたよりも随分早い時間です。
根来寺に向かう途中、大門の手前の岩出図書館で、
葛城山地を越え関空近くのりんくうタウン方面の
バス停をみつけ、時刻も確認しておいたのですが、
週末は一日に8本程度しかないのですが、
丁度11:39のバスがあります。
葛城山地を越え関空近くのりんくうタウン方面の
バス停をみつけ、時刻も確認しておいたのですが、
週末は一日に8本程度しかないのですが、
丁度11:39のバスがあります。
根来寺の受付で教えて頂いた、旧和歌山県議会の
議事堂に立ち寄り、近くの歴史資料館を訪れました。
議事堂に立ち寄り、近くの歴史資料館を訪れました。
1896年に建てられ、2度ほど引っ越しして今の場所に
2016年に再度引っ越しして、公開されています。
2016年に再度引っ越しして、公開されています。
国の重要文化財にも指定されているようです。
隣の道の駅にある歴史資料館では、秀吉によって
焼き討ちされた根来寺の発掘調査の様子が
展示されていました。
焼き討ちされた根来寺の発掘調査の様子が
展示されていました。
少し駆け足で展示を眺め、大門まで行って、おにぎりの
お昼を済ませると、11:39のバスに丁度間に合いました。
お昼を済ませると、11:39のバスに丁度間に合いました。
小柄な車体で、本数も少ないのですが、
数人の乗客が乗っていました。
数人の乗客が乗っていました。
バスは、立派な道を走り、葛城山地を越え、
阪和線の和泉砂川、南海電車の樽井駅と
立ち寄ります。
阪和線の和泉砂川、南海電車の樽井駅と
立ち寄ります。
南海の樽井駅で下車して、水間観音に向かう事にしました。
樽井駅は普通電車しか停まらない駅ですが、関空へ向かう
線路との分岐駅に泉佐野で急行電車に乗り継ぎ、次の
貝塚で下車し、水間鉄道の乗り場に向かいました。
線路との分岐駅に泉佐野で急行電車に乗り継ぎ、次の
貝塚で下車し、水間鉄道の乗り場に向かいました。
水間鉄道には2007年1月に乗車して以来です。
その時の記憶では、郊外を走る路線という朧気な
印象があったのですが、今回乗ってみると、
終点の水間観音の近くまで線路の両側に家が続き、
思ったよりも住宅の密集地を走りました。
その時の記憶では、郊外を走る路線という朧気な
印象があったのですが、今回乗ってみると、
終点の水間観音の近くまで線路の両側に家が続き、
思ったよりも住宅の密集地を走りました。
貝塚から15分で終点の水間観音駅です。
この特徴ある駅舎は見覚えがあります。
水間観音駅から歩いて10分弱のところに、
駅名にもなっている水間寺があります。
水間観音駅から歩いて10分弱のところに、
駅名にもなっている水間寺があります。
水間寺は天平年間(729-749)に聖武天皇の命で、
行基が創建したと伝わるそうです。
行基が創建したと伝わるそうです。
前回は、この水間寺を訪れて満足して水間観音駅に
戻ったのですが、関西に来てから色々調べてみると、
ここから少し離れたところに国宝のお寺があるのです。
戻ったのですが、関西に来てから色々調べてみると、
ここから少し離れたところに国宝のお寺があるのです。
何かの機会に訪れようと思っていたので、
この日がその丁度いい機会になりました。
この日がその丁度いい機会になりました。
しかし、急に訪れる事になったので、お寺の名前も
控えていなく、地図の位置の記憶を頼りに訪れてみました。
控えていなく、地図の位置の記憶を頼りに訪れてみました。
国宝のお寺というのに、全く案内が出ていなかったので
途中で不安になりましたが、暑さのなか15分程歩いて
孝恩寺に着きました。
途中で不安になりましたが、暑さのなか15分程歩いて
孝恩寺に着きました。
この孝恩寺も、聖武天皇の命で、行基が建立したと伝わるお寺です。
根来寺と同じように、このお寺も秀吉の焼き討ちに遭い、
今残る釘無堂は、焼失を免れたそうです。
根来寺と同じように、このお寺も秀吉の焼き討ちに遭い、
今残る釘無堂は、焼失を免れたそうです。
大阪で最も古いというお堂ですが、見た目には
それほど古いお堂とは見えませんでした。
それほど古いお堂とは見えませんでした。
夏のような暑さの一日でしたが、国宝のお堂の
縁側で、ぐっすり寝込んでいる猫の姿には
気持ちが和らぎました。
縁側で、ぐっすり寝込んでいる猫の姿には
気持ちが和らぎました。
~ 完 ~