筑豊本線には何度か乗車していますが、
今回記事にする桂川 - 直方間に
乗車するのは、約30年ぶりの事と思います。
今回記事にする桂川 - 直方間に
乗車するのは、約30年ぶりの事と思います。
博多からの篠栗線経由の快速電車が
桂川からそのまま筑豊本線に乗り入れます。
桂川からそのまま筑豊本線に乗り入れます。
桂川を発車すると住宅地の点在する景色の中を走りました。
車窓には小高い山も見えていますが、この山は、
昔石炭を採掘していた際のボタ山の跡と思います。
車窓には小高い山も見えていますが、この山は、
昔石炭を採掘していた際のボタ山の跡と思います。
2010年12月
石炭として売れない捨石をうず高く積もっていた山で、
当時は黒い色をしていたので、一目で判ったのですが、
今は木も生え、見分けがつかなくなっています。
当時は黒い色をしていたので、一目で判ったのですが、
今は木も生え、見分けがつかなくなっています。
しばらく走り、飯塚に到着しました。
2010年12月
以前は、上山田線との接続駅でしたが、
上山田線は1988年9月1日に廃止となり、
飯塚駅は単なる通過駅になってしまいました。
上山田線は1988年9月1日に廃止となり、
飯塚駅は単なる通過駅になってしまいました。
往時は、石炭列車も多く運行されていましたが、
今は、駅の東側の広い空き地にその様子を
わずかに偲ぶばかりです。
今は、駅の東側の広い空き地にその様子を
わずかに偲ぶばかりです。
新飯塚を発車するとのどかな景色が広がりました。
遠くに見える山は福智山でしょうか。
遠くに見える山は福智山でしょうか。
2010年12月
新飯塚からは遠賀川のつくる平野を走っていきました。
浦田、鯰田と停車し、小竹駅に到着しました。
浦田、鯰田と停車し、小竹駅に到着しました。
島式のホームに橋上駅舎という近代的な
駅の様子ですが、この駅も昭和の時代には
炭鉱路線の一つだった幸袋線の接続駅でした。
駅の様子ですが、この駅も昭和の時代には
炭鉱路線の一つだった幸袋線の接続駅でした。
小竹駅に到着する手前、筑豊本線に並走する
幸袋線の古いレールが残っていました。
幸袋線の古いレールが残っていました。
2010年12月
数多く写真を撮っているので助かりました。
小竹を出ると遠賀川に沿って走りますが、
車窓左手に田圃が広がる景色となります。
車窓左手に田圃が広がる景色となります。
やがて、右手から複線の線路がより沿ってきました。
平成筑豊鉄道伊田線の線路です。
平成筑豊鉄道伊田線の線路です。
2010年12月
広い操車場の跡地を走りますが、その後、
複々線のようになって直方駅に向かいます。
複々線のようになって直方駅に向かいます。
こうして、桂川から25分、博多から
54分で直方に到着しました。
54分で直方に到着しました。
2010年12月
2010年12月当時は、博多発の筑豊本線の快速列車は
大多数が黒崎や門司港行の直通運転でしたが、
2017年のダイヤでは、日中の列車は
直方で乗り換えになっています。
大多数が黒崎や門司港行の直通運転でしたが、
2017年のダイヤでは、日中の列車は
直方で乗り換えになっています。
乗車した列車も1分程の停車で、
黒崎を目指して発車していきました。
黒崎を目指して発車していきました。
今日紹介したJR九州・筑豊本線の乗車記は 本編のホームページ に詳しく紹介しています。
本編のホームページの筑豊本線のページは、こちら です:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt5/Train/Japan/JR/Chikuho.html
本編のホームページの筑豊本線のページは、こちら です:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt5/Train/Japan/JR/Chikuho.html
ちなみに、この3ヶ月前にも筑豊本線の直方 - 折尾間に乗車する機会があったのですが、
その乗車記をアップしたのが、2016年3月の事でした。
その乗車記をアップしたのが、2016年3月の事でした。
20010年9月から12月の間の3か月の旅行記を1年3ヶ月かけて記事にしている事になります。
なんとかスピードアップしないと、です(^^ゞ
なんとかスピードアップしないと、です(^^ゞ