篠栗線は筑豊本線の桂川と鹿児島本線の
吉塚を結ぶ25.1kmの路線です。
吉塚を結ぶ25.1kmの路線です。
元々は、石炭輸送の為に、吉塚 - 篠栗間が
1904年(明治37年)に開業し、1968年
(昭和43年)に桂川まで延長されています。
1904年(明治37年)に開業し、1968年
(昭和43年)に桂川まで延長されています。
博多駅に到着した篠栗線の電車です。
2010年12月
篠栗線のホームは、新幹線に最も近い11番、12番線です。
この電車が折り返して、桂川・飯塚方面の列車となりました。
この電車が折り返して、桂川・飯塚方面の列車となりました。
次の吉塚までは、鹿児島本線を走るのですが、
篠栗線用の単線の線路が、複線の線路の
脇に設けられています。
篠栗線用の単線の線路が、複線の線路の
脇に設けられています。
2010年12月
吉塚を発車するとすぐに右に分かれ、
住宅地の間を高架橋で走っていきます。
住宅地の間を高架橋で走っていきます。
地上に降りると間もなく山陽新幹線の
高架橋をくぐり、住宅地を走ります。
高架橋をくぐり、住宅地を走ります。
原町を過ぎ、長者原駅に到着しました。
2010年12月
この駅は香椎線との交差部に設けられた駅です。
この長者原駅が開業したのはJR化後の1988年です。
以前は、原っぱの中で二つの路線が立体交差していました。
この長者原駅が開業したのはJR化後の1988年です。
以前は、原っぱの中で二つの路線が立体交差していました。
篠栗線の前身は九州鉄道、香椎線は博多湾鉄道汽船と
異なる鉄道会社が路線を作った為に、交差部に駅が
造られる事はなく、その両線を引き継いだ国鉄も
乗客の利便性を向上させようという事は
思いもよらなかったようです。
異なる鉄道会社が路線を作った為に、交差部に駅が
造られる事はなく、その両線を引き継いだ国鉄も
乗客の利便性を向上させようという事は
思いもよらなかったようです。
長者原を出ると、車窓に田圃が広がり、
筑豊との境の山々も見えてきました。
筑豊との境の山々も見えてきました。
篠栗からは1968年(昭和43年)に開業した区間です。
高架橋となり勾配を上っていきました。
高架橋となり勾配を上っていきました。
2010年12月
篠栗線に乗車するのは2度目の事で、最初は30年前の事でした。
初めて篠栗線に乗車した際は、筑豊地区の路線に乗車した後に
乗ったのですが、今は廃止されてしまった上山田駅で踏切事故が起き、
数時間足止めされた為、篠栗線は夜も遅い時間となってしまったのです。
初めて篠栗線に乗車した際は、筑豊地区の路線に乗車した後に
乗ったのですが、今は廃止されてしまった上山田駅で踏切事故が起き、
数時間足止めされた為、篠栗線は夜も遅い時間となってしまったのです。
初めて乗車したものの、車窓を眺める事も出来ず、
疲れて寝入っていたのですが、山間の高架橋を
走る音で目を覚ました事を覚えてます。
疲れて寝入っていたのですが、山間の高架橋を
走る音で目を覚ました事を覚えてます。
山間に入り、筑前山手を過ぎ、
城戸南蔵院前駅に到着しました。
城戸南蔵院前駅に到着しました。
2010年12月
城戸南蔵院前の先で、長い篠栗トンネルを抜けました。
このトンネルを越えて、筑豊地区と博多が結ばれ
筑豊が博多への通勤可能地域になったわけです。
このトンネルを越えて、筑豊地区と博多が結ばれ
筑豊が博多への通勤可能地域になったわけです。
篠栗トンネルを抜け山間の九郎原駅を過ぎると
筑豊の景色が広がりました。
筑豊の景色が広がりました。
のどかな景色を眺め、筑前大分を過ぎると
進行右手から原田からの筑豊本線の
線路が近づき、桂川に到着しました。
進行右手から原田からの筑豊本線の
線路が近づき、桂川に到着しました。
2010年12月
博多からわずかに26.9km、快速電車で32分程、
普通列車でも41分程で到着します。
普通列車でも41分程で到着します。
今日紹介したJR九州・篠栗線の乗車記は 本編のホームページ に詳しく紹介しています。
本編のホームページの篠栗線のページは、こちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_rail1/Train/Japan/JR/Sasaguri.html
本編のホームページの篠栗線のページは、こちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_rail1/Train/Japan/JR/Sasaguri.html