今日は、2010年10年に乗ったJR関西本線の乗車記を
4回目の今回は、亀山から伊賀上野にかけての様子です。
国鉄時代から名古屋 - 湊町(今のJR難波)間は
関西本線という名称になっていますが、現在は
名古屋 - 亀山間がJR東海によって、亀山 -
JR難波間がJR西日本によって運営されています。
名古屋から亀山までは電化されていましたが、
亀山からの関西本線は未電化区間となります。
撮影: 2010年10月
亀山 - 加茂間で運行されているキハ120系という
レールバスタイプの気動車です。
レールバスタイプの気動車です。
加茂行きの車内の様子です。
撮影: 2010年10月
座席がほぼ埋まった状態でしょうか。
ローカル線の車内としては賑わっている方だと思います。
ローカル線の車内としては賑わっている方だと思います。
亀山からは鈴鹿山脈に向かうように走り、
高速道路をくぐって少し行くと関に停車しました。
亀山に向かう上り列車が停まっていました。
高速道路をくぐって少し行くと関に停車しました。
亀山に向かう上り列車が停まっていました。
撮影: 2010年10月
関は東海道の宿場町です。
今でも当時の面影が残る宿場の様子が残っています。
この関駅の佇まいも、蒸気機関車が走っていた時代、
そのままのような気がします。
そのままのような気がします。
関を出ると、関西本線は鈴鹿川の
小さな谷に分け入っていきました。
加太からは鈴鹿山脈を越える峠になり、
25‰の勾配を上っていきました。
25‰の勾配を上っていきました。
広々とした高原のような景色の中を
走っていきます。
撮影: 2010年10月
加太越と呼ばれる区間で、蒸気機関車全盛の時代には
D51が重連で貨物列車を牽引し、黒い煙を吐きながら
走る様子はファンの間では有名だったようです。
D51が重連で貨物列車を牽引し、黒い煙を吐きながら
走る様子はファンの間では有名だったようです。
急勾配がしばらく続くと、人家のないところに
側線が分岐・合流するのが見えてきました。
側線が分岐・合流するのが見えてきました。
撮影: 2010年10月
駅間距離が8.9kmもある加太と次の柘植の
間に設けられた中在家信号場です。
間に設けられた中在家信号場です。
急勾配が続く区間に信号場を設けた為、
スイッチバック式になっています。
スイッチバック式になっています。
この先のトンネルを抜けると下り勾配となりました。
しばらく人家を見かけませんでしたが、
やがて車窓に集落が見えて来ます。
しばらく人家を見かけませんでしたが、
やがて車窓に集落が見えて来ます。
こうして草津線との接続駅・柘植に到着しました。
撮影: 2010年10月
柘植駅を発車すると、のどかな田園風景が広がりました。
田圃の中をほぼまっすぐに線路が続いています。
田圃の中をほぼまっすぐに線路が続いています。
撮影: 2010年10月
やがて工場やマンションなども
遠くに現れるようになりました。
遠くに現れるようになりました。
その向こうの丘陵地の上には
伊賀上野城の天守も見えてきました。
伊賀上野城の天守も見えてきました。
亀山から34.6kmの距離を約45分かけて
伊賀上野駅に到着しました。
撮影: 2010年10月
伊賀上野は上野市の中心街に向かう
伊賀鉄道との接続駅です。
伊賀鉄道との接続駅です。
今日紹介した関西本線の乗車記は 本編のホームページ に詳しく紹介しています。
本編のホームページの関西本線の乗車記は、 こちら です:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt5/Train/Japan/JR/KansaiHon_JRW.html