大糸線は、松本から糸魚川まで中央構造線に
沿って北上する営業キロ105.4kmの路線です。
大糸線の歴史は1915年(大正4年)に信濃鉄道が松本市と
豊科との間が開業した事からスタートしています。
松本市駅は現在の北松本です。
豊科との間が開業した事からスタートしています。
松本市駅は現在の北松本です。
その年の11月までに、南は松本まで、北は信濃大町まで
断続的に延伸開業しています。
断続的に延伸開業しています。
その後、国によって1927年(昭和4年)から信濃大町から北に、
1934年(昭和9年)から糸魚川から南に路線を延ばし、
1957年(昭和32年)に全線が開業しています。
1934年(昭和9年)から糸魚川から南に路線を延ばし、
1957年(昭和32年)に全線が開業しています。
大糸線の名前は、国鉄が開業させた信濃大町と
糸魚川の駅名から名付けられています。
糸魚川の駅名から名付けられています。
その無味乾燥的な名前とは裏腹に、
北アルプスの東側に沿って走る大糸線の車窓からは
素晴らしい車窓風景を楽しみ事が出来ます。
北アルプスの東側に沿って走る大糸線の車窓からは
素晴らしい車窓風景を楽しみ事が出来ます。
2010年10月19日、前日に松本で泊まり、
この日は7:48 の普通列車で穂高に向かいました。
松本駅の大糸線ホームは、駅構内の北西の外れにあります。
アルピコ交通の上高地線とホームの両側で使いあっています。
撮影: 2010年10月
乗車した信濃大町行の普通電車です。
発車して、しばらく篠ノ井線と並走します。
北松本を過ぎ、国道19号線の築堤が見えると、
並走していた篠ノ井線は右に分かれて行きました。
撮影: 2010年10月
丁度やって来た列車は、長野発飯田行の「みすず」です。
大糸線の列車は、国道19号線をくぐると、
直ぐに奈良井川を渡り、島内、島高松と
停車した後、今度は梓川を渡りました。
直ぐに奈良井川を渡り、島内、島高松と
停車した後、今度は梓川を渡りました。
撮影: 2010年10月
上高地から流れ出ている川で、この先で
奈良井川と合流し、犀川と名前を変えます。
奈良井川と合流し、犀川と名前を変えます。
その後、松本と長野の間の山間を下り、
善光寺平で千曲川と合流し、信濃川になります。
次の一日市場辺りで、大糸線は北に方向を変えます。
進行方向左手には、北アルプスの峰が続き、手前の
田園風景がなんとも言えない景色となりました。
進行方向左手には、北アルプスの峰が続き、手前の
田園風景がなんとも言えない景色となりました。
撮影: 2010年10月
この辺りが安曇野です。
北アルプスの山々といっても、有名な穂高や槍は
大糸線からは見えず、見えているのはその前衛の山々
しかも、この日は生憎曇っていたのですが、
それでもこの景色は素晴らしいものでした。
大糸線からは見えず、見えているのはその前衛の山々
しかも、この日は生憎曇っていたのですが、
それでもこの景色は素晴らしいものでした。
豊科を過ぎると再び、田圃が広がり、遠くに
北アルプスの山々を眺めながら走る様になりました。
北アルプスの山々を眺めながら走る様になりました。
撮影: 2010年10月
雲が掛かっていますが、蝶ヶ岳と常念岳との間を
流れる堀金烏川が刻む深い谷辺りの様です。
流れる堀金烏川が刻む深い谷辺りの様です。
こうして松本から36分で穂高に着きました。
穂高は近くに名高い碌山美術館やわさび農園などもあり
観光客も多く乗り降りする駅です。
観光客も多く乗り降りする駅です。
この日は、僕も駅前でレンタサイクルし、安曇野を巡りました。
撮影: 2010年10月
その後、穂高駅に戻ると、この時 運行を始めたばかりの
ハイブリッド車両を使った観光列車が到着したところでした。
ハイブリッド車両を使った観光列車が到着したところでした。
今日紹介した大糸線の乗車記は 本編のホームページ に詳しく紹介しています。
本編のホームページの信越本線の乗車記は、 こちら です:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt5/Train/Japan/JR/Oito.html