昨日、ドイツからフランスのパリに入りました。
ヨーロッパ出張の続きです。
先週の土曜日は移動もなく、滞在していた
バルセロナの旧市街を案内してもらいました。
サグラダ・ファミリアの様子は こちら です:
http://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/64680509.html
先週の土曜日は移動もなく、滞在していた
バルセロナの旧市街を案内してもらいました。
サグラダ・ファミリアの様子は こちら です:
http://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/64680509.html
中心部に位置するホテルから、バルセロナの
目抜き通りを海に向かって歩いていきます。
目抜き通りを海に向かって歩いていきます。
これは先週の木曜日の写真ですが、
このカサ・ミラの建物の前を通っていきます。
このカサ・ミラの建物の前を通っていきます。
高級ブティックが左右に建ち並び
多くの観光客が通りに溢れていました。
多くの観光客が通りに溢れていました。
この通りの名前はグラシア通り(Passeid de Gracia)。
今ではバルセロナ市内になっていますが、以前は、
バルセロナの山側にあったグラシアという町とを
結ぶ通りだったそうです。
今ではバルセロナ市内になっていますが、以前は、
バルセロナの山側にあったグラシアという町とを
結ぶ通りだったそうです。
この先で、もう一つガウディの建物がありました。
この日の夕方、現地の人のパーティに誘われて出かけたのですが
そのパーティで、ガウディにこの建物の建築を
依頼した人の曾孫の人に会いました。
そのパーティで、ガウディにこの建物の建築を
依頼した人の曾孫の人に会いました。
ガウディの建物の隣の建物も
同じ時期に建てられたもので
素敵な建物でした。
同じ時期に建てられたもので
素敵な建物でした。
更に下っていくと、大きな広場に出ました。
カタルーニャ広場と呼ばれているそうです。
カタルーニャ広場と呼ばれているそうです。
この広場の一角にモニュメントがありました。
スペイン内乱の際に、フランコ軍に殺された
当時のカタルーニャの知事の像という事です。
当時のカタルーニャの知事の像という事です。
カタルーニャ広場からランプラス通りを通りました。
途中で右手に折れると、
ローマ時代の墓地の跡がありました。
途中で右手に折れると、
ローマ時代の墓地の跡がありました。
現在の地面の高さよりも3m程低いところに
2000年近く前の棺が並んでいます。
2000年近く前の棺が並んでいます。
周囲はアパートが建ち並んでいましたが
そうしたところにローマ時代の遺跡が
あるのは不思議な思いです。
そうしたところにローマ時代の遺跡が
あるのは不思議な思いです。
このあたりは、細い路地が迷路のように
入り組んだバリセロナの旧市街地です。
入り組んだバリセロナの旧市街地です。
道も入り組み、連れられて歩いていたので、
どこをどう歩いていたのか思い出せません・・・
どこをどう歩いていたのか思い出せません・・・
小さなバルコニーが並ぶ建物はニューオリンズでも見ましたが
さすがに本場というか、どの路地に面している
建物もすべてこのような造りになっていて圧巻です。
さすがに本場というか、どの路地に面している
建物もすべてこのような造りになっていて圧巻です。
こうして細い路地を歩くうちに、大聖堂の前に出ました。
Catedral de Barcelona、サンタ・エウラリア大聖堂です。
Catedral de Barcelona、サンタ・エウラリア大聖堂です。
教会の前にはローマ時代の城壁の跡も残っていました。
この教会の内部もとても厳かなものでした。
教会は3期にわたって増設されているようです。
教会は3期にわたって増設されているようです。
現在の建物は1298年から建設が始まり、
150年ほどかけて完成したそうです。
150年ほどかけて完成したそうです。
教会の壁には、バルセロナ伯ラモン・バランゲー1世と
妃アルモディスの棺が安置されていました。
妃アルモディスの棺が安置されていました。
厳かな教会の内部を抜け、南側にある回廊を抜け
サンタ・エウラリア門から外に出ました。
サンタ・エウラリア門から外に出ました。
門を出たあたりも狭い路地が入り組んでいます。
このあたりは、中世の香りも色濃く残っているようでした。
今回の散策の様子は、後日に本編の ホームページ にアップする予定です。
頂いたコメントの返事がなかなか出来ずにすみません。