携帯からも投稿しましたが、
金曜日の広島出張の後に一泊して
昨日の土曜日は名古屋に戻るついでに
瀬戸内の古い町並みを散策して来ました。
金曜日の広島出張の後に一泊して
昨日の土曜日は名古屋に戻るついでに
瀬戸内の古い町並みを散策して来ました。
この日は 広島 7:21 発の呉線広行の電車に乗りました。
8両も繋いだ長い編成でした。
海田市から呉線に入りましたが
頻度高くすれ違う下り列車は
どの列車も多くの人が乗車していて
まるで平日の通勤電車の様でした。
海田市から呉線に入りましたが
頻度高くすれ違う下り列車は
どの列車も多くの人が乗車していて
まるで平日の通勤電車の様でした。
坂駅を過ぎると、呉線は時折、
海岸線に沿う様になりました。
海岸線に沿う様になりました。
島々が浮かぶ瀬戸内の景色が良く見えます。
時折、大きなクレーンが置かれた
造船所をいる事も出来ました。
造船所をいる事も出来ました。
街中にセーラー服姿の
水兵さんが歩いている呉を過ぎ、
広で、三原行に乗り換えました。
水兵さんが歩いている呉を過ぎ、
広で、三原行に乗り換えました。
広までは順調でしたが、広からの三原行は、
前日の大雨で途中の安登 - 安芸津間が
徐行運転とのアナウンス。
前日の大雨で途中の安登 - 安芸津間が
徐行運転とのアナウンス。
徐行区間は50km/hくらいの速度だったでしょうか。
遅れている対向列車を待ったり、
ゆっくり静かに山間や海岸線を走り、
20分程遅れて竹原に着きました。
ゆっくり静かに山間や海岸線を走り、
20分程遅れて竹原に着きました。
この竹原が今回の第一目的です。
駅から1km程離れたところに
古い商家が連なる町並みが残り
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
古い商家が連なる町並みが残り
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
アーケード街を抜け、小さな本川を渡り、
狭い道に分け入ると辺りの景色が一変しました。
狭い道に分け入ると辺りの景色が一変しました。
竹原は戦国時代末期から塩田が開発され、
塩問屋などで栄えたそうです。
塩問屋などで栄えたそうです。
この古い町並みを歩いて行くと
酒屋さんがありました。
酒屋さんがありました。
無料公開している古いお店の部分を見せて頂いたのですが、
この酒屋さんは、ニッカウヰスキーの創始者・
竹鶴政孝さんの生家だそうです。
この酒屋さんは、ニッカウヰスキーの創始者・
竹鶴政孝さんの生家だそうです。
竹原の古い町並みは高台に沿って南北に延びていますが
その高台に、西方寺というお寺があります。
その高台に、西方寺というお寺があります。
合唱教室が開かれているのか、
ピアノの伴奏に、男声バリトンの
朗々とした歌声が響いています。
ピアノの伴奏に、男声バリトンの
朗々とした歌声が響いています。
古い町並みに、クラッシックの歌声が
不思議に良く似合っていました
不思議に良く似合っていました
急な石段を上って西方寺に向かうと、
舞台造りの普明閣というお堂がありました。
舞台造りの普明閣というお堂がありました。
町を見下ろす様に建つ普明閣からは
竹原の町並みが一望出来ました。
竹原の町並みが一望出来ました。
鉛色の甍が並び、遠くの山には
水煙が上がり、落ち着いた情景でした。
水煙が上がり、落ち着いた情景でした。
西方寺から再び、竹原の町を散策しました。
狭い範囲に、昔ながらの建物が数多く残り、
飽きることなく散策を楽しむ事が出来ました。
狭い範囲に、昔ながらの建物が数多く残り、
飽きることなく散策を楽しむ事が出来ました。
この建物は国の重要文化財になっている
春風館・復古館です。
春風館・復古館です。
予定では、竹原を11:09の列車で三原に
向かい途中の忠海で下車するか、
それとも12:09の列車で真っ直ぐ
三原に向かうか、二つの案を用意していました。
向かい途中の忠海で下車するか、
それとも12:09の列車で真っ直ぐ
三原に向かうか、二つの案を用意していました。
列車が遅れたので、あらかた散策を
終えたのが11:20過ぎ。
終えたのが11:20過ぎ。
列車の遅れが気になったので駅に電話して確認すると、
11:09の列車が、11:45頃到着の予定との事です。
11:09の列車が、11:45頃到着の予定との事です。
真っ直ぐ駅に向かうと丁度間に合うタイミングで、
最後に寄り道しようと思っていた森川邸を
パスして竹原駅に向かいました。
最後に寄り道しようと思っていた森川邸を
パスして竹原駅に向かいました。
40分近く遅れて、申し訳なさそうに
三原行の列車がやって来ました。
三原行の列車がやって来ました。
~ つづく ~
今日、紹介した呉線の乗車記や竹原の町の散策記は、
後日に本編のホームページに詳しく紹介する予定です。
後日に本編のホームページに詳しく紹介する予定です。