慌ただしかった先週。
その疲れを癒そうと、昨日の土曜日は
隣町にある本光寺に行ってきました。
その疲れを癒そうと、昨日の土曜日は
隣町にある本光寺に行ってきました。
本光寺は島津藩主を長く務めた
深溝松平氏の菩提寺です。
http://www.geocities.jp/shane_hsmt4/Travel/Japan/Chubu/Kouta.html#HonkouJi
深溝松平氏の菩提寺です。
http://www.geocities.jp/shane_hsmt4/Travel/Japan/Chubu/Kouta.html#HonkouJi
この本光寺を訪れると、松平の家臣団が
本当に命を懸けて主君を支えていたという事が実感出来、
また累代の深溝松平氏のお墓もあって、好きなお寺です。
本当に命を懸けて主君を支えていたという事が実感出来、
また累代の深溝松平氏のお墓もあって、好きなお寺です。
今回は、久しぶりに本光寺の紫陽花を眺めに行きました。
この辺りでは本光寺といえば紫陽花のお寺として
名が知られていて、普段は静かな境内も
観光バスで訪れた人達を見かけました。
名が知られていて、普段は静かな境内も
観光バスで訪れた人達を見かけました。
境内にも多くの紫陽花が咲いているのですが、
この参道に咲く紫陽花が気に入っています。
この参道に咲く紫陽花が気に入っています。
本光寺を建てた松平忠定公の正室・三光院の
建てたお寺が本光寺の北側にありました。
建てたお寺が本光寺の北側にありました。
このお寺の山門の佇まいは、
本光寺に通じるものがあるように感じます。
本光寺に通じるものがあるように感じます。
ここには三光院の石像もありました。
この辺りに、深溝城跡があるのですが、
山門脇の石碑に、この三光院も
城址だったと記されています。
山門脇の石碑に、この三光院も
城址だったと記されています。
この辺り一帯が城址だったという事なのでしょう。
三光院から更に北に向かうと高台からの
下り坂に「兵九下」の案内板がありました。
下り坂に「兵九下」の案内板がありました。
元々、この深溝の地は大場氏が治める地で、
1524年(大永3年)に深溝松平初代の松平忠定と
その兄・松平元心が大場氏を滅ぼし、この地を奪っています。
1524年(大永3年)に深溝松平初代の松平忠定と
その兄・松平元心が大場氏を滅ぼし、この地を奪っています。
その大永3年の戦いの際、松平忠定が
「兵九」という大場次郎左衛門の家臣を内応させ、
それをきっかけに深溝城を陥したそうで、
「兵九」の屋敷下からこの名が付いたそうです。
「兵九」という大場次郎左衛門の家臣を内応させ、
それをきっかけに深溝城を陥したそうで、
「兵九」の屋敷下からこの名が付いたそうです。
兵九の屋敷があった高い台も今は
田圃に変わり、長閑な景色です。
田圃に変わり、長閑な景色です。
そこから北を眺めると平地の田圃越しの
山懐に、堂々としたお寺の甍が見えていました。
山懐に、堂々としたお寺の甍が見えていました。
そのお寺は長満寺です。
堂々とした山門のお寺で、ここは松平氏に
滅ぼされた大場氏の菩提寺だったところです。
滅ぼされた大場氏の菩提寺だったところです。
山門は江戸時代の1720年(享保5年)に
建てられたものでした。
建てられたものでした。
山門を抜け、階段を上って本堂に向かいました。
本堂の建物も堂々としたもので、
本堂奥にある三十番神堂は
1332年(正慶元年)の建立だそうです。
本堂奥にある三十番神堂は
1332年(正慶元年)の建立だそうです。
裏山の墓地に向かい、大場氏のお墓を探していると
近くで竹を切っていた若い住職が声を掛けてくださいました。
近くで竹を切っていた若い住職が声を掛けてくださいました。
「今の時期マムシも出ますから気を付けてください」
と教えられた,急斜面を上ったところにある
大庭(大場)次郎左衛門のお墓です。
と教えられた,急斜面を上ったところにある
大庭(大場)次郎左衛門のお墓です。
草に埋もれたような質素なお墓でした…
質素な佇まいの本光寺を訪れていると
つい、思い至る事が出来なかったのですが、
このお墓を見て、紫陽花の咲く本光寺は、
勝者の歴史を刻むお寺と思います。
つい、思い至る事が出来なかったのですが、
このお墓を見て、紫陽花の咲く本光寺は、
勝者の歴史を刻むお寺と思います。
この長満寺の凛とした佇まいは、とても
敗れた側の歴史を引きずっているとは
思えないのですが、少なくとも三河における
松平氏の盛隆の陰で敗れて行った歴史も、
この地域には眠っている事を思い至りました。
敗れた側の歴史を引きずっているとは
思えないのですが、少なくとも三河における
松平氏の盛隆の陰で敗れて行った歴史も、
この地域には眠っている事を思い至りました。
大場次郎左衛門のお墓を詣でた後、
本堂に上がり、お参りしてきました。
本堂に上がり、お参りしてきました。
開け放たれた本堂に吹く風が
涼しく気持ち良かったです。
涼しく気持ち良かったです。
この長満寺からは、深溝城跡の高台がよく見えました。
かつて、大場氏の本拠地だったお城。
そのお城が松平氏にとって変わって500年。
そのお城が松平氏にとって変わって500年。
長満寺はその栄枯盛衰の歴史を
眺め続けていたのだと思いました。
眺め続けていたのだと思いました。
今日紹介した、愛知県幸田町の三光院や長満寺の様子は
後日に本編のホームページで紹介しようと思います。
後日に本編のホームページで紹介しようと思います。