今日、3日間の旅を終えて帰ってきました。
最終日の今日は雨になってしまいましたが、
今回も充実した旅になりました。
最終日の今日は雨になってしまいましたが、
今回も充実した旅になりました。
旅行中にも関わらず、多くのコメント頂き有難うございました!
明日以降,ゆっくり返事させて頂きます(^^ゞ
明日以降,ゆっくり返事させて頂きます(^^ゞ
夕日ヶ浦温泉で、夕暮れの綺麗な情景を眺めて
一泊した翌朝(5月1日)、木津温泉駅から
北近畿タンゴ鉄道の普通列車で豊岡に向かいました。
一泊した翌朝(5月1日)、木津温泉駅から
北近畿タンゴ鉄道の普通列車で豊岡に向かいました。
1両編成のディーゼルカー。
列車の一番前に陣取って、
前面展望の眺望を楽しみました。
この区間は、とてものどかな車窓風景でした。
豊岡からは、バスで出石に向かいました。
出石は、城下町の佇まいの残る町で、
江戸時代のお城の背後の山には戦国時代に
山名氏が本拠にした有子城という山城もあります。
江戸時代のお城の背後の山には戦国時代に
山名氏が本拠にした有子城という山城もあります。
出石に向かうバスの車窓からも、
遠くに,有子城のある有子山が見えていました。
まず、出石城の散策をしました。
出石城は江戸時代に入ってから
有子山の山麓に築かれたお城です。
有子山の山麓に築かれたお城です。
三の丸に建てられたこの辰鼓楼は、出石城の名物ですが、
これは明治に入ってから建てられたものだそうです。
これは明治に入ってから建てられたものだそうです。
出石城には二つの櫓が復元され、石垣もしっかり残っていました。
出石城の次は、いよいよ有子山城の攻略です。
標高321mの有子山ですが、その山容は険しく、
登山道はかなりの急斜面です。
標高321mの有子山ですが、その山容は険しく、
登山道はかなりの急斜面です。
登山道は整備はされているものの、
滑りやすい岩肌が露出しています。
ロープも設置されていて、それを使いながらの山登りです。
息も絶え絶えになりながら、40分かけて山頂の本丸に辿り着きました。
息も絶え絶えになりながら、40分かけて山頂の本丸に辿り着きました。
本丸からのこの眺め。
涼しい風も吹き渡り、疲れも一気に吹っ飛びました。
この有子山城は、麓の出石城hが築かれると
廃城になったそうですが、石垣もしっかり残り、
本丸背後の堀切は、規模もとても大きなもので、
汗を掻いて上った甲斐がありました。
廃城になったそうですが、石垣もしっかり残り、
本丸背後の堀切は、規模もとても大きなもので、
汗を掻いて上った甲斐がありました。
有子山城から下山し、有名な蕎麦でお昼を済ませ、
城下町の散策を始めました。
城下町の散策を始めました。
といっても、復元された赤門を見に行っているうちに時間が経ち、
古い町並みの散策は慌ただしいものになってしまいました(^^;
古い町並みの散策は慌ただしいものになってしまいました(^^;
そんな出石散策ですが、ここだけは
見落とさないようにしていました。
見落とさないようにしていました。
桂小五郎の隠れ家跡です。
桂小五郎は、幕末の長州藩士。
長州藩が8月18日の政変で京を追われると、
桂小五郎は乞食に身を替え、京を脱出し、
この出石で9か月も身をひそめていたそうです。
長州藩が8月18日の政変で京を追われると、
桂小五郎は乞食に身を替え、京を脱出し、
この出石で9か月も身をひそめていたそうです。
ここでは、荒物屋として商いをしながら暮らし、
一緒に暮らしていた女の人も居たそうなので、
このままここで一生を終える覚悟をしていたのではないでしょうか。
一緒に暮らしていた女の人も居たそうなので、
このままここで一生を終える覚悟をしていたのではないでしょうか。
出石散策を終え、バスで豊岡に戻り、
ここでもお城めぐりをしました。
ここでもお城めぐりをしました。
豊岡には、戦国期の豊岡城と、江戸時代に入り
その麓に築かれた豊岡陣屋があります。
その麓に築かれた豊岡陣屋があります。
写真は、豊岡陣屋跡に移築された旧豊岡県庁正門です。
まるで、陣屋門そのものに見えます。
こうして、出石と豊岡でお城めぐりと
古い城下町の散策を愉しんで、豊岡から
山陰本線の普通列車で鳥取に向かいました。
古い城下町の散策を愉しんで、豊岡から
山陰本線の普通列車で鳥取に向かいました。
豊岡 - 鳥取間の営業キロは81.9km。
以前は、何往復も特急列車が走っていましたが、
いまはこの区間を結ぶ特急列車は1往復だけになっています。
以前は、何往復も特急列車が走っていましたが、
いまはこの区間を結ぶ特急列車は1往復だけになっています。
普通列車は、途中の浜坂乗り換えで、約2時間の道のりです。
時折、日本海を眺めながらの、のどかな鉄道の旅でした。
時折、日本海を眺めながらの、のどかな鉄道の旅でした。
しかし,残念な事に、列車はずっと空いていました。
普通なら、平日の夕方だったので、学校帰りの
高校生で混む時間帯だったのですが、
あまりの空き具合に、この路線の行く末が
心配になってしまう程でした。
高校生で混む時間帯だったのですが、
あまりの空き具合に、この路線の行く末が
心配になってしまう程でした。
~ つづく ~
この日の散策の様子は、後日に
本編のホームページで詳しく紹介する予定です。
本編のホームページで詳しく紹介する予定です。