今日の月曜日、しっかり有休をとって4連休に
したので、久しぶりに散策に出かけてきました。
したので、久しぶりに散策に出かけてきました。
今日のメインは、養老鉄道と桑名城そして大垣城です。
桑名城も大垣城も名古屋から比較的近いところにあるお城で、
徳川家康の四天王の一人、本多忠勝所縁だったり、
関ヶ原の戦いでも登場するお城だったりするのですが
どちらも未登城で気になっていたお城でした。
徳川家康の四天王の一人、本多忠勝所縁だったり、
関ヶ原の戦いでも登場するお城だったりするのですが
どちらも未登城で気になっていたお城でした。
養老鉄道も、2007年に近鉄養老線が分社化されて以来
乗車していなかったので、こちらも気になっていました。
乗車していなかったので、こちらも気になっていました。
先日、小田急20000系RSE車引退の最終日の
「あさぎり」の記事も続きの記事をアップしていないし、
南禅寺の記事も昨日第一回目を紹介したばかり、
更にはお正月の札幌出張の際の動画の紹介も
途中になっているといった状態ですが、今日の
旅の様子を二日間に分けて紹介しようと思います(^^ゞ
「あさぎり」の記事も続きの記事をアップしていないし、
南禅寺の記事も昨日第一回目を紹介したばかり、
更にはお正月の札幌出張の際の動画の紹介も
途中になっているといった状態ですが、今日の
旅の様子を二日間に分けて紹介しようと思います(^^ゞ
今朝、いつもよりも早起きして名古屋に向かい、
名古屋8:15発の関西本線の普通電車に乗って
桑名で下車しました。
名古屋8:15発の関西本線の普通電車に乗って
桑名で下車しました。
まず向かったのは桑名城です。
桑名城は、揖斐川河口に築城された水城で、
本丸、二の丸、三の丸の周囲に
広い堀が巡らされていました。
本丸、二の丸、三の丸の周囲に
広い堀が巡らされていました。
今も広い堀が残され、当時の面影を残しています。
本丸の神社の脇に綺麗に梅が咲いていました。
本丸の神社の脇に綺麗に梅が咲いていました。
ただ、当時は51基もあったという櫓は
七里の渡し付近にあった蟠龍櫓を除いて残っていません。
七里の渡し付近にあった蟠龍櫓を除いて残っていません。
七里の渡し跡は桑名城のすぐ近くにあり、
揖斐川の堤防内へと降りていくことも出来ました。
揖斐川の堤防内へと降りていくことも出来ました。
まさに大河のように満々と水を湛えて流れる
揖斐川の向こうに蟠龍櫓が見えています。
揖斐川の向こうに蟠龍櫓が見えています。
桑名城址を訪れた後は、総構の堀跡を歩き
街中にある浄土寺を訪れました。
街中にある浄土寺を訪れました。
ここには徳川四天王の一人で、桑名藩の
初代藩主となった本多忠勝のお墓がありました。
初代藩主となった本多忠勝のお墓がありました。
藩主の菩提寺だった浄土寺は、本堂もなく
すっかり寂れているようで、本多忠勝のお墓も
ひっそりと住宅の脇にありました。
すっかり寂れているようで、本多忠勝のお墓も
ひっそりと住宅の脇にありました。
この後、薩摩藩士が葬られている海臧寺に立ち寄り
桑名駅に戻り、11:08発の養老鉄道の電車に乗りました。
桑名駅に戻り、11:08発の養老鉄道の電車に乗りました。
まず向かったのは多度です。
写真は多度駅に到着した養老鉄道の電車です。
写真は多度駅に到着した養老鉄道の電車です。
この多度は、多度大社の最寄駅です。
駅から1㎞程西にあるこの神社に行ってみました。
駅から1㎞程西にあるこの神社に行ってみました。
この多度大社は信長の長島一向一揆平定の際に
焼失したものを、本多忠勝が再建したそうです。
焼失したものを、本多忠勝が再建したそうです。
この多度大社は上げ馬神事で知られています。
上の写真の階段の左手の坂を馬で駆け上がる神事です。
上の写真の階段の左手の坂を馬で駆け上がる神事です。
この階段を上ったところにいた
白馬の神馬です。
白馬の神馬です。
本物の神馬がいる神社は今では珍しいと思います。
多度大社の本殿は、この先の山間にありました。
周囲の山の様子はとても厳かで、
いかにも神が宿っていると感じます。
周囲の山の様子はとても厳かで、
いかにも神が宿っていると感じます。
多度大社を訪れた後、多度駅に戻り
再び、養老鉄道に乗って北上し、
次の目的地に向かいました。
再び、養老鉄道に乗って北上し、
次の目的地に向かいました。
養老鉄道は、養老山地と濃尾平野の境を
走っていて、車窓右手には集落の向こうに
広々としと平地が広がっていました。
走っていて、車窓右手には集落の向こうに
広々としと平地が広がっていました。
~ つづく ~
今日の散策の様子は、後日に
本編のホームページで詳しく紹介する予定です。
本編のホームページで詳しく紹介する予定です。