写真は、豊橋から乗車した長篠行の119系電車。
長山駅停車中の様子です。
長山駅停車中の様子です。
長篠・設楽原(したらがはら)の戦いが
起きたのは1575年(天正3年)5月。
武田信玄亡き後、武田家を継いだ武田勝頼が
徳川家康の拠点の城、長篠城を攻めたことから、
織田・徳川連合軍と武田軍との全面戦争になった戦いです。
徳川家康の拠点の城、長篠城を攻めたことから、
織田・徳川連合軍と武田軍との全面戦争になった戦いです。
長篠城を包囲していた武田軍に対し、
織田・徳川連合軍が、連吾川沿いの谷間に
布陣し、そこで激しい戦いが行われました。
織田・徳川連合軍が、連吾川沿いの谷間に
布陣し、そこで激しい戦いが行われました。
三河東郷駅でJR飯田線の電車を下車しました。
まず向かったのは三河東郷駅の
南にある勝楽寺です。
ここは、武田方の山県昌景の陣跡だったところです。
山門もあり、本堂の前には仁王像も飾られた
立派なお寺です。
山門もあり、本堂の前には仁王像も飾られた
立派なお寺です。
ここは当時は松楽寺という表記でしたが、
戦いの後に織田信長が立ち寄り、
勝楽寺に名前を変えたという逸話があるそうです。
戦いの後に織田信長が立ち寄り、
勝楽寺に名前を変えたという逸話があるそうです。
この勝楽寺東側に広がる田圃の中に
勝楽寺激戦地の碑がありました。
勝楽寺激戦地の碑がありました。
織田・徳川連合軍の大久保忠世・忠佐隊が
武田方の山県昌景に鉄砲を射掛け、
設楽原決戦の火ぶたが切られたところです。
動画は、碑の前から北の方向を眺めた様子です。
遠くに、鳶ヶ巣山も見えています。
遠くに、鳶ヶ巣山も見えています。
この後、設楽原歴史資料館を目指しました。
JR飯田線、国道151号線バイパスを横切り、
血の池を過ぎて、すぐ左手の丘の上に
案内板を見つけました。
この丘に上がった時の光景です。
のどかで、素晴らしい光景が広がっていました。
ここに岡部竹雲斉、岩手左馬之助のお墓がありました。
ここに岡部竹雲斉、岩手左馬之助のお墓がありました。
残念ながらこの武将の詳しい事は判りません。。。
この畑の先に、山県昌景陣跡とお墓がありました。
勝楽寺前激戦地で大久保隊と戦った
山県昌景は、徳川家康本陣と谷を挟んだ
地点に陣を移し、そしてここで戦死したと言われています。
山県昌景は、徳川家康本陣と谷を挟んだ
地点に陣を移し、そしてここで戦死したと言われています。
山県昌景陣墓から南に坂道を下ると、
連吾川沿いの狭い谷間に出ます。
竹廣激戦地の碑が立っている辺りです。
いまはのどかな景色が広がるばかりですが
ここで戦死者1万6千を数える戦いが
行われたとは想像もできません。
ここで戦死者1万6千を数える戦いが
行われたとは想像もできません。
この後、設楽原歴史資料館に立ち寄り、
内藤昌豊陣跡や才ノ神の武田勝頼本陣跡を訪れました。
最後に立ち寄ったのは、連吾川南にある川路城跡です。
ここは戦国時代にこの地を治めた設楽氏の本拠で、
設楽原戦いでは、徳川軍の大久保忠世・忠佐隊が
布陣したところです。
設楽原戦いでは、徳川軍の大久保忠世・忠佐隊が
布陣したところです。
お城の跡形もなく、古い井戸が残るばかりでした。
今日の設楽原古戦場の散策の様子は
後日、本編の長篠・設楽原のページに追記しようと思います:
http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Chubu/Shitaragahara.html
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