久しぶりに秋晴れの天気が続いたこの週末。
昨日は、どこにも出掛けずに家でゴロゴロしていましたが
今日は、久しぶりに設楽原古戦場に出掛けてきました。
 
本編のホームページの設楽原古戦場は こちらです:
http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Chubu/Shitaragahara.html
 

豊橋からJR飯田線の普通電車に乗り換え、
約1時間程で、三河東郷駅に向かいました。
 
本編のホームページのJR飯田線の乗車記は、 こちらです:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/Train/Japan/JR/Iida.html
 
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写真は、豊橋から乗車した長篠行の119系電車。
長山駅停車中の様子です。

長篠・設楽原(したらがはら)の戦いが
起きたのは1575年(天正3年)5月。
 
武田信玄亡き後、武田家を継いだ武田勝頼が
徳川家康の拠点の城、長篠城を攻めたことから、
織田・徳川連合軍と武田軍との全面戦争になった戦いです。
 
長篠城を包囲していた武田軍に対し、
織田・徳川連合軍が、連吾川沿いの谷間に
布陣し、そこで激しい戦いが行われました。

設楽原古戦場は2007年1月にも訪れた事があるのですが、
その時は織田・徳川連合軍の陣地跡を中心だったので
今回は、武田方の陣跡などを中心に巡りました。

三河東郷駅でJR飯田線の電車を下車しました。
 

まず向かったのは三河東郷駅の
南にある勝楽寺です。
 
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ここは、武田方の山県昌景の陣跡だったところです。
山門もあり、本堂の前には仁王像も飾られた
立派なお寺です。
 
ここは当時は松楽寺という表記でしたが、
戦いの後に織田信長が立ち寄り、
勝楽寺に名前を変えたという逸話があるそうです。
 
この勝楽寺東側に広がる田圃の中に
勝楽寺激戦地の碑がありました。
 

織田・徳川連合軍の大久保忠世・忠佐隊が
武田方の山県昌景に鉄砲を射掛け、
設楽原決戦の火ぶたが切られたところです。
 
動画は、碑の前から北の方向を眺めた様子です。
遠くに、鳶ヶ巣山も見えています。
 

この後、設楽原歴史資料館を目指しました。

JR飯田線、国道151号線バイパスを横切り、
血の池を過ぎて、すぐ左手の丘の上に
案内板を見つけました。
 
この丘に上がった時の光景です。
 
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のどかで、素晴らしい光景が広がっていました。
ここに岡部竹雲斉、岩手左馬之助のお墓がありました。
残念ながらこの武将の詳しい事は判りません。。。

この畑の先に、山県昌景陣跡とお墓がありました。
 
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勝楽寺前激戦地で大久保隊と戦った
山県昌景は、徳川家康本陣と谷を挟んだ
地点に陣を移し、そしてここで戦死したと言われています。

山県昌景陣墓から南に坂道を下ると、
連吾川沿いの狭い谷間に出ます。
 
竹廣激戦地の碑が立っている辺りです。
 
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いまはのどかな景色が広がるばかりですが
ここで戦死者1万6千を数える戦いが
行われたとは想像もできません。
 
 

この後、設楽原歴史資料館に立ち寄り、
内藤昌豊陣跡や才ノ神の武田勝頼本陣跡を訪れました。
最後に立ち寄ったのは、連吾川南にある川路城跡です。
 
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ここは戦国時代にこの地を治めた設楽氏の本拠で、
設楽原戦いでは、徳川軍の大久保忠世・忠佐隊が
布陣したところです。
 
お城の跡形もなく、古い井戸が残るばかりでした。
 

今日の設楽原古戦場の散策の様子は
後日、本編の長篠・設楽原のページに追記しようと思います:
http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Chubu/Shitaragahara.html

本編のホームページはこちらです:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html
 
 
 
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