9月26日の京都、嵐山・嵯峨野散策の続きです。
 -- 前回の記事はこちらです:
    http://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/62186286.html


嵯峨鳥居本の重要伝建地区は愛宕街道に
沿う延長650m程の区域です。

その途中には化野念仏寺もありました。

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この辺りは平安時代以降、墓地だったところで、
空海が野ざらしになった遺骸を葬った事が
お寺の由来だそうです。

境内には数多くの石仏がありました。


古い家並みは、この先にも続いていました。

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嵐山・高尾パークウェイから眺める
嵯峨鳥居本の集落です。

この集落の北側に道路が通っていますが
この道路には第二次大戦まで、
愛宕鉄道という鉄道が走っていたそうです。

この先にある愛宕神社一の鳥居。

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嵯峨鳥居本の重要伝建地区はここまでです。
鳥居の脇にある古い料理屋の「平野屋」

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鮎料理で有名だそうです。

ここから山間となり、愛宕鉄道の廃線跡とも並走し、
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)に至りました。

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ここにも多くの石仏がありました。
こちらの石仏はユニークな顔の
仏さんが多いと思っていたのですが、
調べてみると荒廃したお寺の復興に、
素人の参拝客が奉納したものだそうです。


この愛宕念仏寺で、来た道を引き換えし、
嵐山駅へと戻りました。

既に時刻は午後1時過ぎ、
途中で軽食を摂りました。

午後に入り、化野念仏寺周辺の
観光客は少なくなっていたのですが
常寂光寺から野宮神社、嵐山駅周辺は
多くの観光客でごった返していました。

午前中に通った竹林の道などは、
自転車を降りないと進めない程でした。


嵐山駅で自転車を返し、
駅に近い天龍寺に向かいます。

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ここは蛤御門の戦いの時に長州藩が陣取ったところで、
さらには坂本龍馬や武市半平太、中岡慎太郎
吉村寅太郎といった土佐藩士らが密談を
交わした場とも言われています。

この天龍寺は世界遺産に指定された為か
いつもとても多くの観光客で賑わっているので
つい、足が遠のく所です。

綺麗な庭園が残る天龍寺から
その隣の寶巌院に向かいました。

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この寶巌院も庭の綺麗なお寺でした。
天龍寺とは異なり、訪れる人も少なく
静かに散策出来ました。


寶巌院から嵐山駅に戻る途中、
壽寧院という天龍寺の支院で
坂本龍馬夫人の「おりょうどの」の
永代供養墓を、おもいがけず見つけました。

天龍寺を散策して嵐山駅に戻った時、
時刻は午後2時半過ぎ。

ここから京福電鉄(嵐電)に
乗って北野白梅町に向かいます。

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この写真は終点の北野白梅町に到着した時の様子です。


北野白梅町から歩いて5分程の所に北野天満宮があるのですが
ここは以前訪れたので、今度は仁和寺に向かいました。

仁和寺も以前訪れているのですが、その時はもう夕暮れに近く
境内をゆっくり見て回れなかったのです。

以前の北野天満宮や仁和寺の様子はこちらです:
http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Kansai/Kyoto/Rakusei.html


今回は御殿の庭園や五重塔、
金堂などをゆっくりとみて回りました。

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仁和寺をのんびり散策しているうちに、
時刻は午後4時を回ってしまいました。

もう、二条城の受付時間は終了している頃です。

結局、この日は3大目的のうち、
嵯峨鳥居本しか行けませんでしたが、
本当に久しぶりに嵯峨野を散策出来て、良かったです。



この京都散策の様子も、後日に
本編のホームページで紹介しようと思います:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html

ホームページの京都散策の紹介記事はこちらです:
http://www.geocities.jp/shanehashi/Travel/Japan/Kansai/Kyoto.html



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