鹿児島・熊本めぐりの旅を終えて、
今は、名古屋に向かう「のぞみ」の車内です(^^ゞ
今は、名古屋に向かう「のぞみ」の車内です(^^ゞ
昨日、人吉の宿ではインターネットが出来なかったので
まずは、一日遅れで、3日目の様子を紹介します。
まずは、一日遅れで、3日目の様子を紹介します。
今回の旅は、1日目の午後から雨が降りだし、
その後、日が差すことはありませんでしたが
3日目の昨日は朝から晴れていました。
その後、日が差すことはありませんでしたが
3日目の昨日は朝から晴れていました。
爽やかな朝の空気の中、隼人を 7:06 発の
吉松行ディーゼル列車で出発です。
隼人から肥薩線の列車を乗り継いで人吉に向かったのでした。
吉松行ディーゼル列車で出発です。
隼人から肥薩線の列車を乗り継いで人吉に向かったのでした。
このディーゼル列車、2両編成ですが、
車内は高校生で満員の状態。
その高校生が。霧島温泉で下車すると
車内には数人しか残りませんでした・・・
車内は高校生で満員の状態。
その高校生が。霧島温泉で下車すると
車内には数人しか残りませんでした・・・
1時間程で吉松に到着。
かつては特急停車駅だった吉松も今は寂れ、
駅はとても静かでした。
駅はとても静かでした。
次の人吉行まで1時間の待ち合わせ。
吉松 - 人吉間は一日5往復しか走っていないので
1時間の待ち合わせは、接続のいい方です。
吉松 - 人吉間は一日5往復しか走っていないので
1時間の待ち合わせは、接続のいい方です。
吉松から人吉の間は、険しい九州の
背骨にあたる山々を超えるので、
想像以上に勾配の厳しい区間です。
背骨にあたる山々を超えるので、
想像以上に勾配の厳しい区間です。
この区間には、日本三大車窓風景や
ループ線、それにスイッチバック駅もあって
鉄道ファンには知られた路線です。
ループ線、それにスイッチバック駅もあって
鉄道ファンには知られた路線です。
人吉行の車両には10人程が乗っていましたが、
まともな乗客は2人程でした。
まともな乗客は2人程でした。
吉松から勾配を上り、木々の間から
日本三大車窓風景のポイントに差し掛かりました。
日本三大車窓風景のポイントに差し掛かりました。
晴れてはいるのですが、霞んでいて視界は開けなかったのですが、
雄大な景色の一端を味わうことが出来て良かったです。
視界が良ければ霧島や遠く、桜島や
開聞岳も眺められるそうです。
雄大な景色の一端を味わうことが出来て良かったです。
視界が良ければ霧島や遠く、桜島や
開聞岳も眺められるそうです。
雄大な景色を楽しみながら人吉に到着です。
人吉からは湯前までくま川鉄道で往復してきました。
くま川鉄道は、第三セクターの鉄道で、
その名の通り、球磨川のつくる
広い谷をのんびりと走ります。
くま川鉄道は、第三セクターの鉄道で、
その名の通り、球磨川のつくる
広い谷をのんびりと走ります。
球磨川を渡る鉄橋の様子です。
車窓にはレンゲや菜の花、
そしてツツジの花が綺麗でした。
車窓にはレンゲや菜の花、
そしてツツジの花が綺麗でした。
湯前で停車中のくま川鉄道のディーゼル気動車です。
以前、この路線に乗った時は湯前から
バスで米良庄という平家落人の里を抜けて
宮崎へと抜けたのですが、この日は
湯前で引き換えし、人吉観光を愉しみました。
バスで米良庄という平家落人の里を抜けて
宮崎へと抜けたのですが、この日は
湯前で引き換えし、人吉観光を愉しみました。
人吉に戻ったとき、丁度「SLひとよし」号が
到着したところでした。
到着したところでした。
駅でレンタサイクルして、人吉の散策の開始です。
まず訪れたのが人吉駅から程近い青井阿蘇神社です。
まず訪れたのが人吉駅から程近い青井阿蘇神社です。
この神社は9世紀初めに建立された国宝の神社です。
この楼門は素晴らしい門でした。
その後に向かったのが人吉城です。
人吉は12世紀末に遠江(今の静岡県)の
相良氏が地頭として入封して以来、
明治まで相良氏の支配が続いた土地です。
人吉は12世紀末に遠江(今の静岡県)の
相良氏が地頭として入封して以来、
明治まで相良氏の支配が続いた土地です。
相良氏は入封後、すぐに築城したと伝えられているそうなので、
築城900年のお城という事になります。
築城900年のお城という事になります。
球磨川に架かる大橋を渡ると
復元された隅櫓が見えてきました。
復元された隅櫓が見えてきました。
江戸時代の人吉城の跡は、麓の一画の
門や櫓の一部が復元されていて、
近くの丘の上の三の丸、二の丸を
中心とした石垣も残されています。
門や櫓の一部が復元されていて、
近くの丘の上の三の丸、二の丸を
中心とした石垣も残されています。
こちらは、丘の上の三の丸、二の丸、
本丸への登城口にあたる御下門跡の櫓台です。
本丸への登城口にあたる御下門跡の櫓台です。
そして、二の丸から三の丸を眺めた様子です。
丘の上の曲輪の様子は、古城の佇まいを残していますが
人吉城には中世の城郭の遺構も残され、
その規模はかなり広いものでした。
人吉城には中世の城郭の遺構も残され、
その規模はかなり広いものでした。
人吉城の散策に思った以上の時間を費やしてしまったので
中世人吉城の散策を途中で切り上げ、向かったのは
相良家菩提寺の願成寺です。
中世人吉城の散策を途中で切り上げ、向かったのは
相良家菩提寺の願成寺です。
ここには、歴代当主のお墓が並んでいます。
900年もの間、続いてきた歴史ある家の菩提寺だけあって
その墓所の荘厳さも見事なものでした。
その墓所の荘厳さも見事なものでした。
そして、願成寺から戻る際、球磨川沿いを通りました。
黄砂で霞む空に、傾いた日が差し、球磨川沿いの
人吉城址が浮かび上がるように見えていました。
黄砂で霞む空に、傾いた日が差し、球磨川沿いの
人吉城址が浮かび上がるように見えていました。
日中は汗ばむ陽気だったのですが、
夕方、川面を渡る風は涼しく、
とても心に残る景色となりました。
夕方、川面を渡る風は涼しく、
とても心に残る景色となりました。
また今日の旅のサマリー記事も後ほどアップする予定です。