先週末に、神戸で行われたグランパス vs ヴィッセル神戸戦に
遠征しら際の旅の様子の続きです。
遠征しら際の旅の様子の続きです。
神戸戦の応援をした後は、明石のホテルに泊まりました。
この遠征を決めたのは2~3週間程前なのですが
この時点で神戸のホテルはどこも満員状態で
空いていたのは一泊何万もする高級ホテルのみということで
試合会場から30分ほどかかる明石に泊まりました。
この時点で神戸のホテルはどこも満員状態で
空いていたのは一泊何万もする高級ホテルのみということで
試合会場から30分ほどかかる明石に泊まりました。
今回の明石での宿泊は思い返してみると、
兵庫県内で初めての宿泊でした。
兵庫県内で初めての宿泊でした。
47都道府県で、住んだり宿泊したことのない県を
数えてみると、46都道府県で宿泊を重ねていて
残すは徳島県みとなりました。
数えてみると、46都道府県で宿泊を重ねていて
残すは徳島県みとなりました。
そして一夜明けた24日は、朝8時から行動開始し、
まずは明石にある船上城を訪れました。
まずは明石にある船上城を訪れました。
元々の計画では7時にチェックアウトしようと
思っていたのですが、昨日のハードスケジュールと
この日は午後から天気が崩れるとの予報で
一番楽しみにしていた目的地を訪れるのを
諦めたので、ちょっとゆっくりのスタートでした。
思っていたのですが、昨日のハードスケジュールと
この日は午後から天気が崩れるとの予報で
一番楽しみにしていた目的地を訪れるのを
諦めたので、ちょっとゆっくりのスタートでした。
船上城は、元々はこの地の豪族・
赤松氏が築いたお城ですが、
キリシタン大名で知られる高山右近が改修し、
明石城を築いた小笠原忠真もその前には
この船上城を居城としたそうです。
赤松氏が築いたお城ですが、
キリシタン大名で知られる高山右近が改修し、
明石城を築いた小笠原忠真もその前には
この船上城を居城としたそうです。
そんな由緒ある船上城ですが、今は住宅地の裏にある
小さな神社が本丸跡として残るだけでした。
小さな神社が本丸跡として残るだけでした。
この神社は荒れていて、神社への参道も
どこにあるのかわからず、
日曜日の朝に住宅地をウロウロしていたら
犬に吼えられて往生しました(^^;
どこにあるのかわからず、
日曜日の朝に住宅地をウロウロしていたら
犬に吼えられて往生しました(^^;
この船上城を攻略した後は、山陽電鉄と
JRを乗り継いで神戸に戻りました。
JRを乗り継いで神戸に戻りました。
神戸ではまず、湊川神社を訪れました。
湊川神社は十年程前に一度
遠くから眺めたことがあるのですが、
境内にある楠正成公の墓所や終焉の地を
訪れたことがなく気がかりになっていました。
遠くから眺めたことがあるのですが、
境内にある楠正成公の墓所や終焉の地を
訪れたことがなく気がかりになっていました。
そして、再びJRに乗って、次の元町で下車。
元町駅からは中華街を抜け、埠頭に出た後に
坂本龍馬が塾頭を務めた海軍操練所跡を訪れ
その後、近くの旧居留地を散策しました。
元町駅からは中華街を抜け、埠頭に出た後に
坂本龍馬が塾頭を務めた海軍操練所跡を訪れ
その後、近くの旧居留地を散策しました。
埠頭での写真です。
海軍操練所も10年以上前に訪れた事があるのですが
写真も残っておらず、是非再訪してみたい史跡でした。
写真も残っておらず、是非再訪してみたい史跡でした。
旧居留地には瀟洒な洋館が
ビルの合間にいくつもあって、
それらを一つずつ訪れるのは
楽しかったです。
ビルの合間にいくつもあって、
それらを一つずつ訪れるのは
楽しかったです。
写真の十五番館は国の重要文化財に指定されています。
元町の散策を終えたのが11時頃。
元々の予定よりも1時間半遅れ。
スタートを1時間遅らせた事を考えても
この時までに既に30分程、予定よりも
余分に時間がかかっていました。
元々の予定よりも1時間半遅れ。
スタートを1時間遅らせた事を考えても
この時までに既に30分程、予定よりも
余分に時間がかかっていました。
で、次に向かったのが高槻城でした。
この高槻城も高山右近が城主となり
改修を加えたお城です。
高山右近の時代に、3万人いた領民のうち
2万人がキリスト教に改宗したそうです。
改修を加えたお城です。
高山右近の時代に、3万人いた領民のうち
2万人がキリスト教に改宗したそうです。
この高槻城も殆どその遺構が残っていなかったのですが
街中に、見所も多く、ここも予定よりも30分以上かけて
街中を散策しました。
街中に、見所も多く、ここも予定よりも30分以上かけて
街中を散策しました。
家を出るときに立てた計画では、
この高槻城を訪れた後に、
近江八幡を訪れ、船くだりと街中の散策
そして近江八幡城に訪れようかと思っていたのですが、
午後から雨という予報で船くだりが楽しめそうもないと
今朝の段階であっさり、断念。
この高槻城を訪れた後に、
近江八幡を訪れ、船くだりと街中の散策
そして近江八幡城に訪れようかと思っていたのですが、
午後から雨という予報で船くだりが楽しめそうもないと
今朝の段階であっさり、断念。
次善の策としては、この後に二条城や膳所城、
それに彦根城を訪れようかと思っていました。
二条城と彦根城は再訪ですが、100名城の
スタンプを押すのが目的です。
それに彦根城を訪れようかと思っていました。
二条城と彦根城は再訪ですが、100名城の
スタンプを押すのが目的です。
高槻駅から再びJRに乗り、京都で下車。
二条城に向かうのなら山陰本線の電車に乗り換えるのですが
ここまで精力的に行動していたので
さすがに、疲れが出て、京都駅に近い西本願寺と
油小路にある伊東甲子太郎遭難の地を目指しました。
二条城に向かうのなら山陰本線の電車に乗り換えるのですが
ここまで精力的に行動していたので
さすがに、疲れが出て、京都駅に近い西本願寺と
油小路にある伊東甲子太郎遭難の地を目指しました。
西本願寺は京都駅と目と鼻の先ですが
初めての訪問です。
初めての訪問です。
出来たら、豊臣秀吉が築いた聚楽第の
遺構とされる飛雲閣を見てみたかったのですが
ここは非公開。
それでも、国宝の唐門をしっかり見てきました。
遺構とされる飛雲閣を見てみたかったのですが
ここは非公開。
それでも、国宝の唐門をしっかり見てきました。
西本願寺にも多くの参拝客が訪れていたのですが
この唐門のある一角を訪れる人は少なく
ひっそりとしていました。
この唐門のある一角を訪れる人は少なく
ひっそりとしていました。
西本願寺を訪れた後、京都駅に戻る途中に
伊東甲子太郎遭難の地に立ち寄りました。
伊東甲子太郎遭難の地に立ち寄りました。
油小路は小さな通りで、通りの表示がなく
少し迷いましたが、なんとか見つけられて良かったです。
少し迷いましたが、なんとか見つけられて良かったです。
ここは以前から訪れたいと思っていた所なので
満足しながら京都駅に戻りました。
満足しながら京都駅に戻りました。
この時、時間は既に15時45分。
二条城の閉門時間の午後4時に近く
この日の散策はこれにて終了ということにしました。
二条城の閉門時間の午後4時に近く
この日の散策はこれにて終了ということにしました。
結局、元々予定していた近江八幡だけでなく、
二条城も膳所城も彦根城にも行けませんでしたが
数多くの史跡を訪ねることが出来、満足した
奈良・神戸と京都の散策でした。
二条城も膳所城も彦根城にも行けませんでしたが
数多くの史跡を訪ねることが出来、満足した
奈良・神戸と京都の散策でした。