そんな今日は有休をとり、
久しぶりにEscape R3に乗って出かけました。
久しぶりにEscape R3に乗って出かけました。
今回は、岡崎市と豊田市にある古城を
いくつか巡りながら豊田スタジアムに向かいました。
いくつか巡りながら豊田スタジアムに向かいました。
岡崎駅から西に向かうとすぐに稲荷神社があります。
ここは、実は通った小学校の
すぐ裏にある神社なのですが、
ここが羽根城址だそうです。
すぐ裏にある神社なのですが、
ここが羽根城址だそうです。
この羽根城で、三河物語を書いた
大久保彦左衛門忠教が生まれたお城だそうです。
大久保彦左衛門忠教が生まれたお城だそうです。
この稲荷神社から小さな占部川を渡ると
上和田の集落です。
上和田の集落です。
岡崎市の南部を横断する県道・岡崎 - 刈谷線。
地元ではいつも渋滞する道路として知られていますが
お盆の時期でも車が連なっていました。
地元ではいつも渋滞する道路として知られていますが
お盆の時期でも車が連なっていました。
この道は僕も何度も通ったことがあるのですが
その交通量の激しい通りに面して
大久保一族発祥の地の碑がありました。
その交通量の激しい通りに面して
大久保一族発祥の地の碑がありました。
この辺りに上和田城があったそうです。
この羽根城と上和田城は、宮城谷昌光さんの
『古城の風景』で紹介されていて、
身近なところにこうした古城が
あったのを初めて知りました。
『古城の風景』で紹介されていて、
身近なところにこうした古城が
あったのを初めて知りました。
この羽根城と上和田城の様子は
後日、本編のホームページで紹介する予定です。
後日、本編のホームページで紹介する予定です。
上和田城址を訪れた後、県道を西に向かい
矢作川を渡橋で渡ります。
矢作川を渡橋で渡ります。
この渡橋からの岡崎市街の眺めも好きな景色です。
ここから矢作川の右岸を北上しました。
渡橋の北側に架かるJR東海道本線の
矢作川鉄橋に差し掛かりました。
渡橋の北側に架かるJR東海道本線の
矢作川鉄橋に差し掛かりました。
鉄橋を渡る普通電車です。
東海道本線をくぐり、矢作川の堤防道路を走ります。
河川敷では、バーベキューをしている家族連れを
何組も見かけました。
河川敷では、バーベキューをしている家族連れを
何組も見かけました。
やがて、岡崎市の中心街の間に
岡崎城の天守閣が見えてきました。
岡崎城の天守閣が見えてきました。
上の写真の右端に天守閣が小さく写っています。
やがて、矢作川の堤防道路が尽き、
矢作の集落を走りました。
矢作の集落を走りました。
集落を走っていると、
名鉄名古屋本線の線路が見えてきました。
名鉄名古屋本線の線路が見えてきました。
この名鉄の線路と国道1号線をくぐり、
再び、矢作川の堤防道路を走ります。
再び、矢作川の堤防道路を走ります。
振り返って眺めた矢作川と
岡崎市中心街の様子です。
岡崎市中心街の様子です。
しばらく矢作川の堤防道路を走りましたが
日名橋の袂から、一般道を走ると
愛知環状鉄道の北野桝塚駅に出ました。
日名橋の袂から、一般道を走ると
愛知環状鉄道の北野桝塚駅に出ました。
この駅は、愛知環状鉄道の本社もあり
広い駅構内に、電車が留置されていました。
広い駅構内に、電車が留置されていました。
北野桝塚駅横のガードをくぐると、
右手に立派な伽藍のお寺が見えてきました。
右手に立派な伽藍のお寺が見えてきました。
行福寺です。
立派な楼門です。
立派な楼門です。
お寺の由来はわからなかったのですが、
境内には樹齢300年のしだれ桜があり、
保存会の人たちによって、守られているようです。
境内には樹齢300年のしだれ桜があり、
保存会の人たちによって、守られているようです。
この行福寺を過ぎると、
のどかな田園地帯が広がりました。
のどかな田園地帯が広がりました。
この田園地帯の中を1km程走り、
津島神社の先の交差点を
左に折れると住宅地に入ります。
津島神社の先の交差点を
左に折れると住宅地に入ります。
住宅地に入ってまもなく、
こんもりとした杜が見えてきました。
こんもりとした杜が見えてきました。
上野城です。
このお城も宮城野昌光さんの
『古城の風景』で知ったお城です。
このお城も宮城野昌光さんの
『古城の風景』で知ったお城です。
1467年(応仁元年)頃に戸田氏によって
築かれたと言われているそうです。
築かれたと言われているそうです。
戸田氏は渥美半島の田原に移っていきますが
15世紀待つになると、松平清定が入城します。
15世紀待つになると、松平清定が入城します。
この松平清定は家康の祖父・清康に従いますが
清康が急死すると、清康の子の広忠には従わず
岡崎城に入城し、一時期は松平宗家の立場になったようです。
清康が急死すると、清康の子の広忠には従わず
岡崎城に入城し、一時期は松平宗家の立場になったようです。
そんな三河の歴史の舞台に顔を出す上野城ですが
いまでは、この杜が残るばかりでした。
いまでは、この杜が残るばかりでした。
上野城址前の通りです。
この道を西に向かうとすぐに
愛知環状鉄道の三河上郷駅に出ました。
愛知環状鉄道の三河上郷駅に出ました。
若い女の子が二人、駅前広場を歩いていましたが
この辺りは殆ど人影を見かけず、ひっそりとしていました。
この辺りは殆ど人影を見かけず、ひっそりとしていました。
三河上郷駅からは愛知環状鉄道に沿って北上しました。
思いがけず、明治用水に出会いました。
思いがけず、明治用水に出会いました。
この用水は江戸末期から、安城の豪農・都築弥厚が
岡崎平野の中央を占める不毛の洪積台地に
矢作川の水を引き入れることを計画し、
明治になって、完成した用水路です。
岡崎平野の中央を占める不毛の洪積台地に
矢作川の水を引き入れることを計画し、
明治になって、完成した用水路です。
ここから明治用水に沿って走る事にしました。
上郷の集落を抜けると、田んぼの中を走る
愛知環状鉄道の電車を見かけました。
愛知環状鉄道の電車を見かけました。
しばらく明治用水に沿って走ると
愛知環状鉄道の永覚駅が見えてきました。
愛知環状鉄道の永覚駅が見えてきました。
明治用水の側道から別れ、駅に向かうと
ちょうど下り電車が発車するところでした。
ちょうど下り電車が発車するところでした。
永覚駅から明治用水に戻り
用水に沿って遡っていきます。
用水に沿って遡っていきます。
明治用水は、ところどころ暗渠になっていて
残念でしたが、用水の側道には、
時折花が咲いていました。
残念でしたが、用水の側道には、
時折花が咲いていました。
しばらく住宅街の中を走っていましたが
高速道路のインターチェンジの脇を走り
しばらく行くと水門が現れました。
高速道路のインターチェンジの脇を走り
しばらく行くと水門が現れました。
住宅街を抜け、周囲の景色も明治用水の流れも、
どことなく鄙びた雰囲気になりました。
どことなく鄙びた雰囲気になりました。
そして、矢作川の取水口にあたる
水源に辿り着きました。
水源に辿り着きました。
矢作川の本流に作られた堰です。
堰の高さは10m程と思いますが、
堰に作られた橋を渡ると、
堰止湖が目前に迫っていて
足が竦む思いでした。
堰に作られた橋を渡ると、
堰止湖が目前に迫っていて
足が竦む思いでした。
この水源橋から矢作川に沿って遡り
豊田スタジアムに向かいました。
豊田スタジアムに向かいました。
この日の走行距離は51.80km、
平均速度は18.2km/h、最高速度は33.3km/hでした。
平均速度は18.2km/h、最高速度は33.3km/hでした。