携帯からも何度か記事を投稿しましたが、
昨日の日曜日、久しぶりにお城めぐりの旅に出かけました。
http://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/60867370.html
昨日の日曜日、久しぶりにお城めぐりの旅に出かけました。
--- 昨日の記事はこちらです:
http://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/60865947.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/shanehashi/60867370.html
昨日は名古屋発 7:32 の「ひかり」で米原に向かい、
米原発 8:09 の「しらさぎ51号」で福井下車、
福井からは、一乗谷の朝倉氏遺跡に向かいました。
米原発 8:09 の「しらさぎ51号」で福井下車、
福井からは、一乗谷の朝倉氏遺跡に向かいました。
一乗谷の朝倉氏遺跡は、戦国時代の15世紀半ばから
越前を支配した朝倉氏が築いた城下町の遺跡で
足羽川の支流の一乗谷川に沿う1km程の
細長い谷間に広がっていました。
越前を支配した朝倉氏が築いた城下町の遺跡で
足羽川の支流の一乗谷川に沿う1km程の
細長い谷間に広がっていました。
この城下町の入り口と出口にあたる谷間の幅が
狭くなっている所に城戸と呼ばれる
高い土塁を築いて守りを固めていました。
狭くなっている所に城戸と呼ばれる
高い土塁を築いて守りを固めていました。
2箇所の土塁のうち、遺跡の南端にある
上城戸からの一乗谷の眺めです。
この谷間のかなり広い範囲にわたって発掘調査が行われ、
朝倉氏最後の当主・朝倉義景の居館をはじめ、
発掘調査された武家屋敷や町屋などの建物跡を示す
平面復元がなされていました。
朝倉氏最後の当主・朝倉義景の居館をはじめ、
発掘調査された武家屋敷や町屋などの建物跡を示す
平面復元がなされていました。
この一角に、朝倉義景のお墓もありました。
朝倉義景の居館跡に残る唐門です。
この唐門は、朝倉氏が滅びた後に
豊臣秀吉が寄進したものだそうです。
この唐門は、朝倉氏が滅びた後に
豊臣秀吉が寄進したものだそうです。
朝倉氏最後の当主・朝倉義景は、
急速に勢力を増してきた織田信長に対抗していましたが
信長との戦いに敗れてこの一乗谷を捨て、
越前大野に逃げるのですが、そこで
同族の朝倉善鏡に叛かれ、自刃したそうです。
急速に勢力を増してきた織田信長に対抗していましたが
信長との戦いに敗れてこの一乗谷を捨て、
越前大野に逃げるのですが、そこで
同族の朝倉善鏡に叛かれ、自刃したそうです。
という事で、朝倉義景のお墓は越前大野にもあるので
この一乗谷の朝倉氏遺跡を訪れた足で、
越前大野に向かいました。
この一乗谷の朝倉氏遺跡を訪れた足で、
越前大野に向かいました。
越前大野へは一乗谷駅からJR越美北線に乗りました。
朝倉氏遺跡から一乗谷駅に向かう途中、
一乗谷駅近くにあった西山光照寺の石仏群です。
一乗谷駅近くにあった西山光照寺の石仏群です。
実は、この越美北線のダイヤが今回の
お城めぐりの旅では少々難点でした。
お城めぐりの旅では少々難点でした。
写真は、越美北線一乗谷駅です。
越美北線は福井の一駅南の越前花堂で分岐し九頭竜湖に向かう路線ですが、
運転本数は一日わずか9往復。
9往復でも、都合のいい時間に列車が走ってくれれば
問題ないのですが、名古屋から一番早く着ける
「しらさぎ51号」が福井に到着する7分前に
越美北線の列車が福井を発車してしまうという
意地の悪いダイヤになっています。
次の越美北線の列車は12:49まで
4時間近くも空白の時間があります。
4時間近くも空白の時間があります。
それではさすがに使えないので、
一乗谷に向かう際には鉄道を諦め、
福井駅10:00のバスで向かいました。
一乗谷に向かう際には鉄道を諦め、
福井駅10:00のバスで向かいました。
しかし、一乗谷から越前大野に直接行くには越美北線しかなく、
一乗谷を13:06 か15:08のどちらかの列車しかありません。
13:06では一乗谷の朝倉氏遺跡を見る時間が足りなく、
15:08では、越前大野の滞在時間が1時間20分しかない、
という選択を迫られてしまいます・・・
一乗谷を13:06 か15:08のどちらかの列車しかありません。
13:06では一乗谷の朝倉氏遺跡を見る時間が足りなく、
15:08では、越前大野の滞在時間が1時間20分しかない、
という選択を迫られてしまいます・・・
結局、一乗谷の朝倉氏遺跡をゆっくり散策し
15:08の越前大野行きに乗る事にしました。
15:08の越前大野行きに乗る事にしました。
越美北線の途中駅、美山での列車交換の様子です。
越前大野では、駅から1.5km程離れた
越前大野城と朝倉義景のお墓を見るには
ざっと2時間はかかるかなと思っていたのですが
そんな事情で、1時間20分の滞在時間しかとれませんでした。
越前大野城と朝倉義景のお墓を見るには
ざっと2時間はかかるかなと思っていたのですが
そんな事情で、1時間20分の滞在時間しかとれませんでした。
駅からタクシーで越前大野城の麓まで行き、
大急ぎで小高い山の上の越前大野城を訪れ
小走りで、朝倉義景のお墓を訪れました。
大急ぎで小高い山の上の越前大野城を訪れ
小走りで、朝倉義景のお墓を訪れました。
越前大野藩は古河藩の土井利勝の四男の
土井利房が1631年から藩主を務めたとか
新たな発見もありましたが、あまりに急いでいたので
朝倉義景の無念さに思いを馳せるゆとりはありませんでした。。
土井利房が1631年から藩主を務めたとか
新たな発見もありましたが、あまりに急いでいたので
朝倉義景の無念さに思いを馳せるゆとりはありませんでした。。
この一乗谷の朝倉氏遺跡や越前大野の様子も
後日に本編のホームページで紹介しようと思っています。
後日に本編のホームページで紹介しようと思っています。