昼間、携帯から投稿しましたが、
今日の出張は午前の打ち合わせのみ。

打ち合わせもすんなり終わったので
烏山城に行く事にしました。


宝積寺から烏山線で烏山に向かいます。
久しぶりに乗る烏山線。
広々とした北関東の平地の向こうに
遠く、那須山が聳えていました。
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進行後ろ側には男体山も見えていて、
広々と、雄大な景色です。

やがて丘陵地の、のどかな景色を走り、
烏山駅に到着です。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/fa/fa/shanehashi/folder/538435/img_538435_60086716_1?1261478542.jpg

ここから烏山の町巡りをしながら
烏山城を目指しました。

八雲神社の脇に、烏山城という案内板があり
これに従って急な階段を上って行ったのですが、
このルートは、標高199mの毘沙門山に上ってから、
隣の山の尾根にある烏山城に向かうルートで
思わぬ時間がかかってしまいました。

毘沙門山の山頂から眺めた、烏山の町と、
その東を流れる那珂川の様子です。
イメージ 2

この時は、烏山城址の隣の毘沙門山に上っているとは
思っていなかったので、烏山城の櫓跡からの眺めは
なんと景色がいいのか、と勘違いしていました。
今思い返すと、自分でも可笑しくなってきます(^^ゞ

毘沙門山を下ると、堀切があらわれ、
本物の烏山城址に出ました。

那須与一の子孫・沢村五郎資重が1417年(応永25年)に築いた山城で、
江戸時代も烏山藩の政庁として明治まで続いたお城です。

本丸や二の丸のある中世からの山城部は
杉の木が鬱蒼と茂っていて、まだ午後2時台だったのに
陽は山陰に隠れ、薄暗くなっていて、もう1時間も遅かったら
遭難してしまうのでは、という恐れも抱きました。

山城部から、江戸時代の藩政庁のあった三の丸へは
七曲りと呼ばれるつづら折れの急坂でした、
イメージ 3

烏山は、かの織田信雄(のぶかつ)も一時城主になっていたそうで、
烏山の町の南にある天性寺には、織田信雄が
信長の供養を営んだ際の位牌もあるそうです。
この天性寺には那須家六代の墓もありました。

烏山城の登城で、訪問したお城の数は170になりました。

今日乗った烏山線の乗車記、烏山城の登城記、
そして烏山の街歩きの様子は後日、
本編のホームページで紹介しようと思っています。

本編のホームページはこちらです:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html


烏山の街歩きを終えて乗った
烏山線の大金駅の様子です。
イメージ 4

帰る頃にはすっかり暗くなっていました。


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