今日は、滝山寺の2回目、滝山寺本堂の様子です。
滝山寺は686年(朱雀元年)に創建された天台宗のお寺です。
その後は廃れていたようで、12世紀初めの保安年代に
比叡山の僧・仏泉永救によって再興されているそうです。
その後は廃れていたようで、12世紀初めの保安年代に
比叡山の僧・仏泉永救によって再興されているそうです。
長い階段を上がると、それ程広くはない境内があり、
柿葺の本堂がありました。
柿葺の本堂がありました。
この本堂は4度目の造営とされ、
南北朝時代に建てられたと考えられています。
南北朝時代に建てられたと考えられています。
滝山寺と源頼朝との関係は深く、
頼朝の従兄にあたる僧寛伝が、滝山寺の
観音菩薩、梵天や帝釈天立像を収めたそうです。
この仏像も運慶作と伝わるそうです。
頼朝の従兄にあたる僧寛伝が、滝山寺の
観音菩薩、梵天や帝釈天立像を収めたそうです。
この仏像も運慶作と伝わるそうです。
滝山寺は2月の初めに行われる鬼祭りで知られています。
本堂の回廊を松明を掲げた鬼が走り回るそうです。
この鬼祭りは、源頼朝公の祈願により
始まったと言われています。
本堂の回廊を松明を掲げた鬼が走り回るそうです。
この鬼祭りは、源頼朝公の祈願により
始まったと言われています。
この日はひっそりとしていて、
他に誰もいなかったのですが
鬼祭りの日には境内は見物客で溢れるそうです。
他に誰もいなかったのですが
鬼祭りの日には境内は見物客で溢れるそうです。
本堂の左手には、鬼塚がありました。
ある年の鬼祭りの際、諸国修行の山武士と称する
二人の旅僧が現れ、定められた「行」を行わずに
鬼祭りの面を被ったそうですが、祭りが終わっても
面が脱げず、息が詰まって死んでしまったそうです。
ある年の鬼祭りの際、諸国修行の山武士と称する
二人の旅僧が現れ、定められた「行」を行わずに
鬼祭りの面を被ったそうですが、祭りが終わっても
面が脱げず、息が詰まって死んでしまったそうです。
また境内には、数々の燈籠が並んでいました。
滝山寺に隣接した滝山東照宮が建てられた際、
各地の大名が寄進したものと思います。
滝山寺に隣接した滝山東照宮が建てられた際、
各地の大名が寄進したものと思います。
中にはあの浅野内匠守、寄進の燈籠もありました。
本編のホームページの滝山寺本堂の様子は こちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Takisanji.html#TakisanJi
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Takisanji.html#TakisanJi
次回は、滝山東照宮の様子を記事にしようと思います。
【註】
ホームページの記事を更新するのを忘れていました(^^;
23:40頃アップしました(汗)
上のリンク先で今日更新したところに飛ぶようになっていますので
良かったらお立ち寄り下さい(^^ゞ
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Takisanji.html#TakisanJi
ホームページの記事を更新するのを忘れていました(^^;
23:40頃アップしました(汗)
上のリンク先で今日更新したところに飛ぶようになっていますので
良かったらお立ち寄り下さい(^^ゞ
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Takisanji.html#TakisanJi