昨日は急に飲みに行くことになり、
遅くまで飲んでいました(^^ゞ
さすがに今日は眠いです(^^;
遅くまで飲んでいました(^^ゞ
さすがに今日は眠いです(^^;
今日アップしたのは、本宿の様子です。
本宿は旧東海道沿いにあり、
岡崎市の東の端にある集落です。
岡崎市の東の端にある集落です。
東海道の宿場町、藤川と赤坂の間にある
間の宿として栄えていたようです。
間の宿として栄えていたようです。
本宿の集落の西側には松並木も残っていました。
集落に入ると、江戸時代末期の医者、
宇都野龍碩邸跡に残る長屋門や
本宿陣屋跡があります。
集落に入ると、江戸時代末期の医者、
宇都野龍碩邸跡に残る長屋門や
本宿陣屋跡があります。
宇都野龍碩邸跡に残る長屋門です。
そして、本宿の集落の東の端に近いところに
法蔵寺があります。
法蔵寺があります。
701年に行基が開山したと伝わる古刹で、
松平初代の親氏の帰依が深く、1387年に
堂宇を寄進したそうです。
松平初代の親氏の帰依が深く、1387年に
堂宇を寄進したそうです。
家康も幼いころ、このお寺で学んだ縁もあり、
江戸時代には、この法蔵寺の門前は
下馬して通らなければならなかったそうです。
江戸時代には、この法蔵寺の門前は
下馬して通らなければならなかったそうです。
それほど、江戸時代には格式の高いお寺だったようです。
そして、松平家・徳川家との縁の深い、
この法蔵寺に、近藤勇の首塚がありました。
この法蔵寺に、近藤勇の首塚がありました。
東京の板橋で刑死した近藤勇の首は
京都の三条大橋で晒されていたのですが、
それを同志が奪い去り、近藤勇が生前に
慕っていた新京極裏寺町の称空義太夫和尚に
供養してもらおうとしたところ、和尚は
この法蔵寺に移り貫主となっていたため、
近藤勇の首もここまで運ばれ、葬られたそうです。
京都の三条大橋で晒されていたのですが、
それを同志が奪い去り、近藤勇が生前に
慕っていた新京極裏寺町の称空義太夫和尚に
供養してもらおうとしたところ、和尚は
この法蔵寺に移り貫主となっていたため、
近藤勇の首もここまで運ばれ、葬られたそうです。
武士に憧れ、徳川幕府存続の為に戦った近藤勇の首が、
家康所縁の法蔵寺で、家康を祀る東照宮の
すぐ近くに葬られているのは、何かの縁も感じます。
家康所縁の法蔵寺で、家康を祀る東照宮の
すぐ近くに葬られているのは、何かの縁も感じます。
本編のホームページの本宿の様子は こちら です:
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Motojyuku.html
http://www.geocities.jp/shanehp_tabi1/Travel/Japan/WagamachiOkazaki/Motojyuku.html
今日は、珍しくTVで映画を見ています。
「たそがれ清兵衛」です。
やっぱり、この映画はいい映画ですね。
「たそがれ清兵衛」です。
やっぱり、この映画はいい映画ですね。