昨日は、風が強く冷え込んでいましたが、
今日は、風もなくよく晴れ、暖かい一日になりました。

金曜日とあって、今夜は夜桜見物には最高かもです。

そんな今日一日ですが、小山評定跡と
小山城址(祇園城)に行ってきました。


小山評定跡の碑です。
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今は、小山市役所の駐車場となってしまい、
わずかな緑地帯に碑が建っているだけです。


Escape R3の旅で、関ヶ原を紹介していますが、
この小山評定は、関ヶ原の戦いへと至る重要な出来事でした。

このあたりの経緯は、今年の大河ドラマの影響で
少し勉強したのですが、とても興味が沸いてきます。


上杉景勝に謀反の疑いありと嫌疑をかけた徳川家康は
上杉討伐軍を率い、関東に向かいます。
この謀反というのは、豊臣秀頼に対する謀反であるので、
家康が率いた軍勢は、豊臣秀頼のいわば政府軍で、
家康が独断で采配を揮える軍勢ではありません。

そして、家康が東上している間に、
石田三成が家康打倒の挙兵をし、
東の上杉と家康を挟み撃ちにします。

家康は、この機を待っていたと思うのですが、
上述の建前上、三成との戦という、家康の私闘に、
この軍隊を使うわけにはいきません。

ところが、家康はこの小山の地で、評定を開き、
率いていた秀頼の軍勢を、石田三成に対する
私闘に駆り出す事に成功します。

この小山での評定で、家康の私闘に加わることに
積極的に同意したのが、秀吉の子飼いの将兵だった
福島正則や加藤清正らです。


家康の野望を見抜き、それを阻止する事に命を賭した石田三成、
豊臣家に対する義を貫いた上杉景勝と直江兼続。


豊臣政権の存続を"正"とすると、
石田三成や上杉景勝や直江兼続の行動は
全く正しかった事になると思うのですが、
"正しい"という事や、論理的な事だけでは、
世の中が動くものでないと、つくづく思います。

そして、この小山評定で家康に加担し、
恩義のある豊臣家を滅ぼす主役となった
福島正則や加藤清正は、江戸時代に入ると
すぐに改易となっている事を思うと、
本質を見抜く力は必要なのだと、思い知らされます。


車に囲まれた評定跡でしたが、
関ヶ原の古戦場を巡った後だけに、
色々な思いが募りました。




小山評定跡を訪れた後は、
近くの小山城址に行ってみました。

ここは、戦国時代に小山氏の居城だったところです。
市街地にあるし、あまり遺構が残っていないと
思っていたのですが、深く切れ込んだ堀がはっきりと残り
城郭の跡がよく残っていました。

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城址公園の桜も綺麗に咲いていて、
花見の場所取りのシートがいくつか敷かれていました。


この小山城の攻略で、訪れたお城の数は134になりました。

小山や小山城址の様子は、また後日、
本編のホームページで紹介しようと思います。


本編のホームページはこちらです:
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html



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