長崎、福岡旅行の二日目は福岡でした。
まずは、博多からJRの快速電車に乗り基山駅で下車。
ここで第三セクターの甘木鉄道に乗り換え、甘木着。
ここから西鉄の甘木駅に向かい、
宮の陣まで西鉄・甘木線に乗り、
西鉄・本線の急行で、二日市に出て、
ここで乗り換えて大宰府に向かいました。
甘木鉄道は、15年前に一度乗ったことがあり、
のんびりとした田園地帯の景色が懐かしかったです。
小さなレールバスに揺られながら、
踏み切りのそばに咲く・・・と、
「思えば遠くにきたもんだ」のフレーズを
口ずさんでいました。
大宰府駅で、レンタサイクルがあったので、
大宰府天満宮から「遠の朝廷」といわれた
都府楼跡にかけての辺りを散策してきました。
大宰府天満宮は、大宰府政庁に左遷させられ
この地で亡くなった菅原の道真を祀った神社です。
境内は思いのほか狭く、境内の心字池にかかる太鼓橋を渡ると
赤い楼門が見え、その先にすぐに本殿が見えてきます。
本殿脇には、「飛梅」伝説で知られる梅の木がありました。
今は、緑の葉で覆われていますが、春には
きっと綺麗な白い花を咲かせることでしょうね。
大宰府天満宮を参拝した後、都府楼跡に向かったのですが、
この界隈には、光明禅寺、観世音寺、そして戒壇院と
古いお寺が点在しています。
光明禅寺は、しっとりとした庭園がとても美しいお寺でした。
観世音寺と戒壇院は8世紀建立の古刹で、
境内の楠の大木が見事です。
このあたりの佇まいは、まるで京都や
奈良の古寺にいるような錯覚を覚えます。
都府楼跡は、戒壇院からわずか500mほどのところにあります。
急に夏草の香りが漂い、広々とした都府楼跡が現れてきました。
当時はこの都府楼の周辺に、奈良の都の
1/3程の都が築かれていたそうです。
当時の様子を伝えるものは礎石だけです。
当時の栄華は偲ぶ由もありませんでしたが、
”まほろば”という言葉がふいに浮かんできました。
由緒ある太宰府天満宮、そして古刹と遠の都。
古の日本を想う事が出来る、心の故郷という感じがしました。
上の写真は、大宰府天満宮の本殿と都府楼跡の様子です。
この福岡での旅の様子も、後日
HPの本編でもUPしようと思います。
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html
まずは、博多からJRの快速電車に乗り基山駅で下車。
ここで第三セクターの甘木鉄道に乗り換え、甘木着。
ここから西鉄の甘木駅に向かい、
宮の陣まで西鉄・甘木線に乗り、
西鉄・本線の急行で、二日市に出て、
ここで乗り換えて大宰府に向かいました。
甘木鉄道は、15年前に一度乗ったことがあり、
のんびりとした田園地帯の景色が懐かしかったです。
小さなレールバスに揺られながら、
踏み切りのそばに咲く・・・と、
「思えば遠くにきたもんだ」のフレーズを
口ずさんでいました。
大宰府駅で、レンタサイクルがあったので、
大宰府天満宮から「遠の朝廷」といわれた
都府楼跡にかけての辺りを散策してきました。
大宰府天満宮は、大宰府政庁に左遷させられ
この地で亡くなった菅原の道真を祀った神社です。
境内は思いのほか狭く、境内の心字池にかかる太鼓橋を渡ると
赤い楼門が見え、その先にすぐに本殿が見えてきます。
本殿脇には、「飛梅」伝説で知られる梅の木がありました。
今は、緑の葉で覆われていますが、春には
きっと綺麗な白い花を咲かせることでしょうね。
大宰府天満宮を参拝した後、都府楼跡に向かったのですが、
この界隈には、光明禅寺、観世音寺、そして戒壇院と
古いお寺が点在しています。
光明禅寺は、しっとりとした庭園がとても美しいお寺でした。
観世音寺と戒壇院は8世紀建立の古刹で、
境内の楠の大木が見事です。
このあたりの佇まいは、まるで京都や
奈良の古寺にいるような錯覚を覚えます。
都府楼跡は、戒壇院からわずか500mほどのところにあります。
急に夏草の香りが漂い、広々とした都府楼跡が現れてきました。
当時はこの都府楼の周辺に、奈良の都の
1/3程の都が築かれていたそうです。
当時の様子を伝えるものは礎石だけです。
当時の栄華は偲ぶ由もありませんでしたが、
”まほろば”という言葉がふいに浮かんできました。
由緒ある太宰府天満宮、そして古刹と遠の都。
古の日本を想う事が出来る、心の故郷という感じがしました。
上の写真は、大宰府天満宮の本殿と都府楼跡の様子です。
この福岡での旅の様子も、後日
HPの本編でもUPしようと思います。
http://www.geocities.jp/shane_hsmt/index.html