日本に戻って

和食ばかり食べています。


銀座のとあるお店の、

『長芋のステーキ』が美味しかったので

家で作ろうと、翌日さっそく長芋を購入。即行動・・。


これを煮詰めて甘辛にするのだけど・・・


あることを発見。


長芋って、煮詰めていくと『ジャガイモ』に変身するんです。

誰か知っていた人いるのかな?


ネバネバでシャキシャキのあの長芋が、

フツーのジャガイモに・・・。

損したような、得したような・・・

信じてもらえなそうなので、

友人にも試してもらおうとおもっています。


『長芋』のままで召し上がりたい方は、

煮込み時間を5分位にすることをお勧めします。

材料は、醤油、三温糖、みりん、だけ。


そういえば

NYの 『萩~hagi~』っていう居酒屋さんは

なかなか良かった。


そこはまさしく日本にある普通の居酒屋で、

銀だら、鰹のたたき、煮物、鍋、冷奴、焼き鳥

うなぎ、焼きそば、焼きうどん、もずく、ひじき

たいがいのものはある。


『萩』は地下にあるお店で、一階部分はお鮨屋さん。

店内のお客さんは、現地の人もけっこういて、

日本人と半々くらいかな。

日本にいると居酒屋には滅多に行かないのに、

ここではホッとできた。




バージニアの射殺事件以来、

半旗が掲げられています。

手前はシカゴの市旗



ひと仕事終え、「野球観に行く?」ということになり

ホワイトソックス対レンジャーズ戦に行ってきた。

ホワイトソックスといえば内野手の井口

かつては高津選手も在籍していたチーム。


シカゴblue linesox-35thという駅で降りる。

スタジアムは目の前なのに活気はあまりない。


シカゴの不人気球団などとも言われるが、

そのとおりなのだろうか...


メジャー観戦は

ヤンキース戦と、エンジェルス戦とこれで3度目


NYやボストンだと、今日みたいに

「野球観に行く?」「じゃあ行こう」

なんてことはできない。

チケットが手に入らないのだ。


それに比べ、シカゴホワイトソックスのホームというと

ごく普通に入り口のチケット売り場で購入できるし、

しかもシートも選べてしまう。


やはり近くで観たいので

『プレミアムロウアーボックス』という

最前列から3番目のやや高価なチケットを購入


・・・・・・・・近すぎです。


メジャー観戦といえばビール片手にホットドッグ

歓声いっぱいヤジいっぱいとおもっていたが

実際そのとおりだった。


国歌斉唱で穏やかになったのもつかの間

目の前をサミー・ソーサが走り過ぎ、一斉にヤジの嵐

井口は2番・二塁で先発




8回5打席でヒットを打ち、4打数1安打

ホワイトソックスが6―4で勝利したのは良かったけど

日本では放送されることのない

ちょっとシビアな現実を見たような気がした。

日本のメディアは日本人選手の活躍の様子を

もちろん大きく取り上げるけど

ここではそうでもない。


現地の子供達やファンが

声援をおくったり、サインを求めたり、

日本人選手の応援をしてる様子を

積極的に放送しているように感じる。


実際、地元の選手に対しての声援とは大きく違うのだ。


ここシカゴはもっとも格差がひどかった。

コールされて画面に顔がアップされると歓声があがる

2番で井口の打順がまわってきた。


No.15 イグーチ-」


歓声がない。静寂に近い。

ソックスのサポーターでブーイングする者もいた。


しかも前に座っている太っちょのおばさまたちは

「イグーチは韓国人、日本人?わかんない」などと

カチンとくること言っているし。


大相撲の幕内土俵入りの際に、

力士の名前を読み上げた後、

人気力士には歓声が上がる。

そう、あれによく似ているのだ。


観客は残酷なほど正直だ。

ヒットを打っても反応はイマイチ

7回でお決まりの『私を野球に連れてって』をうたい、

8回が終わり、渦巻く思いを胸に、球場を後にした。




今日は生牡蠣をいただいた。


日本と比べれば、当然オイリーな食事が多いから

生ものが食べたくなるのも当然かもしれない。


『Nick's fish market』

地元の有名店らしい。


広い店内には何やら有名人来店の際の

額縁入りフォトがずらり・・・。


有名人に疎いので、

クリントン前大統領くらいしか分からなかった。

日本では馴染みの薄い『ボランジェ』

世界三大シャンパンのひとつ




今日は移動日なので特に何もなく、

7時半から始まるYo-Yo-Maのコンサートまで

部屋でうとうとしていた。

ホールはここから徒歩5分もかからない場所にある。


日本からチケットを取った時に、

コンサートの詳細は何も載っていなくて

てっきりYo-Yo-Maのソロだと思い込んでいた。


実際に会場に行って初めて

『シルクロード』というタイトルがついた中国の

民族楽器を使ったオーケストラとの共演だと知った。

日本からも、尺八奏者の方が参加していた。


やや残念な気持ちを抑えながら

美しい二胡や琵琶の音に耳を傾けていた。


前日の睡眠不足のせいか、

途中で何度か寝入ってしまった。



NYに着いてすぐに、CNNを見ていたら飛び込んできたニュースは、                                      バージニアテックでの銃乱射事件だった。

                                                            

当初は情報が錯綜していて、犯人はアジア系だの、                                               中国人だのと言っていた。結局、23歳の韓国人学生の犯行だったが、                                                          これを機に市街地を中心に何かデモでも起きないかと心配になった。                                       韓国人留学生の受け入れには、                                                           今後やはりどうしてもナーバスにならざるを得ないだろう。

                                                

一昨日こんなことがあった。

                                                                   

ブロードウェイで『CHICAGO』を観た後に寄ったstoreで                                                   店主らしいアジア系の中年男性がこういった。

                                                        

You are Korean, I'mJapanese.     


彼はおそらく韓国の出身なのだろう。だから                                                         こんなこと言ってからかっただけなのかもしれないが、                                                        自分には、この言葉の意図がよくわからなかった。                                                     冗談にしても、何の面白みもない。                                                                                                                                                                                                  


さらに翌日、5番街のブティックでは                                                              高級店ならではの接客が身に付いていそうな女性店員が                                               微笑みながらこういった。                                                                                 「あなたは日本人ですか、韓国人ですか?」                                                 異国で発揮されるごく自然な愛国心か、                                                       日本人だ!とムキになって答えるものも多いのではないだろうか。                                                  もちろん、どっちがいい悪いなんてないのに、                                                        なぜか“そんなこと聞いて失礼ではないのか?"と思ってしまう。 

                                       

さらに続きがあって、                                                                   その女性店員は「見分けがつかないから」と言った。

                                               

その質問は客にはしないほうがいいかもしれません。                                               それはナーバスな質問です。と言おうかと思った。                                                


不快感を味わうのがどうしてなのか、自分にもよくわからない。                                            


イタリア人に、「あなたはフランス人ですか?」と聞いて                                                   「いいえ、私はイタリア人よ」というのなら不快感が無いのでは?                                         実際に聞いたことが無いし、自身がイタリア人ではない為                                            真相は不明だが、日本人は、国籍を問われること                                          

間違われることにおいてはとかくこだわりを持つのでは?と感じた。                                                                                                                                   


私達は劣等感を感じているか。                                                                 


ここアメリカやアメリカ人に対しても。                                                               


アメリカ人の旦那さんを持つ知り合いがいて、                                                         彼女は、「ハーフの赤ちゃんは特別かわいい」「天使のよう」                                                   と多くの日本人に言われるのだそうだ。                                                               白人の血が混ざってると“素敵”に見えるのだろうか。                                                  白い肌にミルクティ色の髪、                                                                  私たち日本人にとって、果たして憧れの対象なのか。                                                              


去年のちょうど今頃、私はLAに滞在していて、                                                                                              週末にユニバーサルスタジオを訪れたことがあった。                                                      日本人もかなり来ていて、アトラクションひとつ行くごとに                                                      日本人どうし遭遇しないことは無いほど多かった。                                                                                       幼稚園児くらいで、                                                                        白いドレスワンピース姿ではしゃいでいる日本人の女の子がいて、

近くには同じくふわふわとしたワンピースを                                           

身にまとったフランス人らしき女の子。                                                           


「日本人の子のほうは似合ってないよね」 


隣で声がした。                                             

なんてひどいことを言うのだろう!                                                           その女の子は白いワンピースがお気に入りの様子で                                               何度も何度もふわふわの裾を両手でつかんで                                                      おじぎしたり、スキップしたりしている。                                                        あの子が着ると滑稽で、こっちの子が着ると天使みたい??                                              しばらく考えてしまった。                                                                 「似合っていない」 というのはもちろん失礼極まりない話だが                                           いろいろと考えを廻らしてみると、                                                              なるほどと納得のいく答えが出てきた。                                                        


ドレスやワンピースは、日本のものではないじゃないか。                                                


もともとこういったいわゆる“洋服”のモデルは西洋人である。                                                


外国にはお城があって、お姫様がいて、綺麗なドレス姿で                                                      私はよく想いを馳せていたものである。                                                        そういったものに日本人の姿形がフィットしないからといって                                                  何も不思議なことなんてない。                                                                   


逆を考えれば同じことだ。                                                                       日本人の着物姿よりも、外国人の着物姿のほうがしっくりくる                                                    なんて思う人はきっといないだろう。                                                                               そもそも着物は日本人の容姿を基準に                                                        その美しさをより引き立たせるように作られていているのだと昔教わった。                                                                                                                                                                                                 


それぞれの国のトラディショナルなところで、                                                             あなたは似合ってるとか合ってないというのは間違ってる。                                                   


日本に観光に来た外国人が着物や浴衣に袖をとおすのを見て                                              微笑ましいとか、なんだか嬉しいような気持ちになるのは                                                    他国の人々も同じではないだろうか。                                                                   そう思うと、あの白いドレスではしゃいでいた女の子も                                                             きっとかわいらしく映っていたにちがいないのだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

読売ウィークリー主催

中川人司氏×茂木健一郎氏の対談を聴きに行く。


テーマは『脳と宇宙』


元宇宙航空開発研究機構(JAXA)の広報に居た方で

現在、高校教諭の中川氏


茂木さんと一時間半にわたっての対談だったが、

話の感じから、お二人はどうも初対面の様子だった。


宇宙の話が主であり、中川氏の話に茂木さんがコメントする

といった形が多く見受けられた。

中川氏は2年前より高校教師として働いておられるとのことだが、

茂木さんがトークの途中で何度か絶妙なトス?をあげても

中川氏は決して笑いをとりにいかないので

相当真面目な方であると思った。

それでも会場は和やかムード


終了後にお二人の著作にサインしてもらえる機会があったが、

茂木さんの著作に中川氏がサインしているのが

不思議でならなかった。


見開きいっぱいに描いてくださった絵と、

『生きて死ぬ私』のほうに戴いた長い文章は、

何度見ても、読んでも、

私の気持ちを豊かにしてくれます。


撮影、録音はご遠慮くださいとのことだったが、

関係者らしき人物が私用カメラで茂木さんと写っていたので

自分も駄目もとでお願いしたところ

快く引き受けてくださった。


たいへん嬉しかったのだが・・


同時にとてつもない違和感が

私のどこか奥底から湧き上がってきた。


彼にはおそらくこう記憶されただろう。


“今日は何人かの人物と写真撮影をした” と

 

時間が経ってそのことを思い出すとすれば

あるいは誰かに聞かれたとしたら思い出せるかもしれない。

が、しかし、お願いしてみた側はどうだろう。


“今日は何人かの人物と写真撮影をした” どころではない。


写真はたちまち忘れられぬ思い出となり、

宝物となり、はたまた私が死んだら棺桶にこの写真を・・・

なんてことにまでなるかもしれないのだ。


幸福な気分に浸れるとおもっていたのに


写真の中の自分と茂木健一郎氏は


とてつもなく奇妙に写っていた。


私は何者だろう。何かおかしい気がしてならない。


茂木先生の授業、講演、テレビ出演、著作、トークショー


彼の思想に触れることは出来るが

それは彼のランダムに発信しているいわば電波だ。

“誰か”に向けられているものであって、

特定の人物を指すものではない。


私がどう感じ取ろうが、彼に同調しようが

勇気付けられようが、生き方が変わろうが

変化など無い。私だけだ。


奇妙な写真を今日も見ている。









無性にアートに触れたくなり、美術館に行こうと思い立った。


仕事を早めに切りあげられそうだったので、


バスで10分ほどの『岡本太郎記念館』へ


以前から『豊饒の神話』を見たいと思っていた。



『豊饒の神話』





どう見ても『顔なし』?








『悲しき動物』





『 岡本太郎美術館 』

所在地 :港区南青山6-1-19

 開館 :10:00~18:00

      火曜定休 

六本木ヒルズ脇の CLUBKING DELUXEで行われた


トークイベント『表現の自由』に参加した。


リトルブリテン(BBC)の笑いを語る というテーマで


茂木健一郎さんと劇作家の宮沢章夫さんのトークを


間近できけることになった。




茂木さんは21時過ぎまで丸ビルでイベントが入っており、


どう考えても登場するのは10時頃だろうと考えて


私は21時半に会場入りした。


人数は300人ほど。


皆、アルコール片手に、


出演者を取り囲むように弧を描くようにして座り、


トップバッターの『エレキコミック』のトークに耳を傾けていた。



22時をまわってもなかなか現れない茂木さん。


外に出たくなったが、どんどん混んできて


席を離れられない状態になったので仕方なく


このまましばし待つ。



22時20分


茂木健一郎さん、宮沢章夫さん登場。





私は「きっと少しだけ喋って帰ってしまうんだろう・・」と思っていたのに


トークライブは意外な展開に。


当初の、“笑い”をテーマにした話から、


『STOP ROKKASHO 問題を語る』のテーマで


次の出番だった田中優さん飯野賢治さんが加わって


ライブは座談会さながらの状態。


↑の写真では茂木さん達は椅子に座ってますが

ギネスビール飲みながら

この直後に地べたに座ったり、しゃがんだりして話してます。


1メートルちょっとしか離れていない状態で話ができるなんて


なかなかできない経験だとおもいました。


笑える映像、いわゆるヤバい映像、


TVやラジオでは放送できないようなダークな内容だったり


またはシモネタであったりしたが、


その笑いのなかに『表現の自由』があるわけで、


現代社会たいしてのメッセージを


あらゆる形で発信していた。


話は、六ヶ所村再処理工場の核燃料サイクル施設の問題で、


田中優さんの、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターの


高濃縮ウラン(HEU)及び分離済みプルトニウムの話が熱かった。



日米関係のこと、都知事選のこと、学歴社会のこと、


話はずっと続いていった。


初対面の人々との深夜のトークセッション


こんな空間は自分にとってたいへん新鮮なものだった。



もう1時になろうとしていた。


会場を抜け、タクシーを待っていたら


隣で同じくタクシー待ちの、茂木さん発見。


恐れ多くて?話しかけられなかった。残念。


全然タクシーが来なかったので


仕方なくテクテク歩いて帰った。

























1日の最後に聴く曲がある。


楽しかった日、苦しかった日、悲しかった日、感動した日、

憤った日、後悔した日、発見した日、平凡な日、


どんな私の1日も、この曲が締めくくる。



ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第8番ハ短調 作品13 『悲愴』



傑作多くあれど、


ベートーヴェンの初期を代表するピアノソナタで、


当時、リヒノフスキー公爵に献呈されたものです。




『月光』 『悲愴』 『情熱』 『告別』


この美しい旋律に癒され、


明日への英気を養うのです。