今日は汗ばむ陽気だった。


受付には「初宮参り」とある。
食初め、初詣、書初め、姫初めなど、何かと日本人は初が好きだな。
ゲン担ぎの一つかな。

娘には申し訳ないが、父方の親、つまり祖父祖母はいない。
九州からそのためだけに、というのは難しかった。

穢れの最も薄い父方の祖母が抱いて参るのがお宮参りだが、「お産が穢れ」という考えが基にある。現代に生きる私たちには少々受け入れ難い。とはいえ慣わしには出来る限り従いたい、という思いも私にはあった。
子作りは、人知の及ばないものだと強く感じていたからだ。
やむなく父である私が抱いて参った。

お宮は多くのお宮参りの親子や安産祈願のカップルで賑わっていた。安産祈願で参ったときよりはるかに多い。陽気のせいか、出生数が増加しているのか。
我々と同様に、親子3人、という組み合わせは案外多く見つけられた。
一方、子、両親、祖父母全員集合&和服、という家族もそれなりにいる。しかしどちらかというとマイナーかも。

皆、幸せそうであることにはまったく変わりない。

女の子なので数え32日で参ることを考えていたが、天気を考慮して今日(数え31日)とした。
人ごみが心配だったので、ワクチン接種の終わっていない娘の顔はなるべく大きく覆った。
他の子は、しっかり首も据わり、巨大!に見えたので、100日で参っているのだろうか。


娘の名前の札が神殿に貼られた。我ながらかわいい名前をつけたものだ。
読み上げられたときは、ジーンときた。
激動の一年、特にこの一ヶ月を振り返ると、このような結果は全く予想せず、ただ無我夢中に突き進んできた。大きなうねりに乗り、小波の間をぬって、数多くの進み方(選択肢)から一つずつ選んできた。その度に良くも悪くも人生が変わってきたのだろう。別の人生もあったのか。神風は吹いたのか。
一時は暗闇に入りかけた。よいこと楽しいことばかりではない。楽ありゃ苦もあるさ。むしろつらいことのほうが多いかもしれない。思うとおりに出来るものではない。大きなうねりの中でいくらもがいても無力だ。
当初描いていた理想と、現実のギャップは小さくなかったが、今となっては最良の結果が得られた、と思うことができる。そう思うことができるのは、38にして初めての子だから、というのがあるかもしれない。 一つのことを達成したからかもしれない。

お祓いを受けて、あぁ、これで私たち家族が受け入れられたのだ、と感じた。目頭に熱いものがこみあげた。
娘は私の腕の中でスヤスヤ眠っている。

この子の健康だけを祈念した。(やばっ、妻の回復を祈るのを忘れた!)

神殿を退出後は妻に娘を抱かせた。

アリスで記念撮影も考えてはいたが、私たちのラフなスタイルも、名より実で、ありだと考えた(娘には申し訳ないが)。
アリスのカメラマンの代わりに、目の前にいた通りすがりのご夫婦に撮影をお願いした。
カメラは携帯。
とても優しそうなご主人だった。
一発でよい写真が撮れた。

この一枚が、私たち三人の前途洋洋たる人生の出発点。

shakureesさんのブログ


神様仏様、御先祖様、病院関係者、家族親類の皆、育休をくれた会社関係者、その他支えてくれた皆様、ありがとうございました。
この一年、全力を注いで目標に立ち向かった妻、僕たちを選んでくれた我が子、ありがとう。