「受験勉強に意味はあるのか?」という問いがよく見られます。ここでいう「意味はある」とは、入りたい大学に入るということではなくて、「今後の生活に役立つ」かどうかである、と解釈できます。
「意味はない」という主張の根拠としてよく見かけるのは、
1.学習内容を活かす機会がない
ex.)数学なんて社会に出て(ほとんどの人は)使わない/源氏物語なんて読める必要ない
2.暗記偏重である
ex.)いわゆる「パターン学習」でも、ほぼ全ての大学の試験に対応できるので、思考力は養われない、というかむしろ低下する。
という2点だと思います。
私は受験勉強は有意義だと考えているので、少し反論をしてみます。言ってみれば、受験勉強で問われている内容というのは、これからまさに大人になろうとしている18歳前後の青少年が、社会に出る前に「教養として」身につけておくべき(と社会が考える)内容のはずです。そういう内容を学ぶ意義を考えるには、教養とは何かから考え直す必要があるでしょう。
広辞苑によれば教養とは…
(一部引用)学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。
とあります。つまり、高校までの学習での目的は、世界を変えるテクノロジーを作ることではなく、各々が人間性・知性を磨くことなのでしょう。大学以降の専門性の高い学習もその先にあるはずです。
だとすれば、数学や古典の学習がどのように人間性や知性を高めてくれるのかという点と、諸道の習得により人間性が向上するとはどういうことなのか。
この2点を次の記事では考察していきます。