秋葉大助の貢献
秋葉大助(父子)は人力車の歴史を語る上で決して外す事の出来ない存在です。秋葉製の人力車は非常に好評で、彼の作った人力車を大阪では「大助車」と呼んだほどでした。
東京銀座にあった明治期最大の人力車製造工場「諸車製造所秋葉大助」
大助はそれまでの粗雑で殺風景な人力車を一新させ、
車体に漆を塗ったり車軸にバネをつけたりして改良に様々な苦心を払いました。
その結果、だいたい現在の人力車の形になり、乗り心地が快適になりました。
和泉らが営業を始めてからしばらくは人力車の形には様々なものがあり、
腰掛型、坐型、二輪、三輪、四輪、ちりとり型、だるま型など、
多種多様だったが明治8年ごろには現在の人力車と近い形に落ち着きました。
それには初代大助の貢献が極めて大きいと言われています。
また、この年に初めて英・仏への人力車の輸出を開始し、
その後次第にシンガポールやインドなどへと輸出を拡大していきました。
二代目大助は初代とは違う手法を取り広告に勤めましたが、
人力車以外での事業での人力増強、
そして関東大震災による致命的な打撃によってその扉を閉めざるを得なくなりました。

発明者の一人、和泉要助が開いた