今夜、相部屋からの話を聞いた。
僕のかつて付き合っていた人に告白するらしい。
彼女は僕と同じクラス。僕は寮生で、1年生の頃は自由の少ない生活をしていた。教室と自室以外での私語、ケータイ禁止。食事中の私語禁止。先輩への服従は絶対。四六時中ジャージの着用強制。チャックの高さまで決められていた。人権なんてあってないようなものだった。思い返せば大したことはないのかもしれないが、当時の僕にとっては地獄、迫害、奴隷生活以外のなにものでもなかった。通学生はほぼ校則はなくそのギャップがまた寮生1年生の惨めさを醸し出していた。そして、入学前にイメージしていた華やかな高校生活を完全に諦めきっていた僕はクラスともうまく馴染めないでいた。また、そのクラスも高校とは思えないほど騒々しく、中学校からのあまりの落差に生活のすべてに完全に絶望していた。そんな僕は中学校からの癖で放課後に黒板をきれいにすることと、教室の机を整頓することでなんとか過去の明るい生活を思い出して自分を慰めていた。
ある日、みんながいなくなったはずの教室で黒板を掃除していたら、一人の女子がおずおずと手伝ってくれた。そして、僕のことを不思議なものを見るようにして笑った。背が小さくて、まつげの長いよく笑う可愛らしい娘だった。それからしばしば僕と彼女は、放課後に教室の整頓をした。連絡先を交換し、LINEをするようになった。その後、クラスの中でもちょくちょく話すようになり、そこそこ仲の良いまま、1年が終わった。
2年になり、僕は寮でいくらか自由になった。そして、また教室の整頓をするようになった。すると、おのずと彼女も手伝ってくれた。1年の頃のようなためらいもなく、2人は話をした。音楽の話、授業の愚痴、なんやら、かんやら「Coldplayって知ってる?」「ううん、知らない。」「すごくいいバンドだよ、いつか聴いてみるといい。」「わかった、おすすめは?」「えーとね」……「僕は歩くことが好きなんだ。」「私も。」「本当に?」「うん。」……そして僕は、地元の友達の高校で文化祭があるんだけど、一緒に行かないかと誘った。彼女は私が行ってもいいの?と怪訝な顔をしたが僕が少し強く促して一緒に行くことになった。それから当日、高校で会った友達に「彼女?」と聞かれた。「まぁ、そんなもんかな」と返した。照れくさかった。気持ちとしてはそうだったが、彼女にとってはどういうつもりだったのかわからなかったので適当にお茶を濁した。それから学校を出てほとんどいつも通りの会話をして別れた。
学校やLINEの中で授業の話をし、勉強の話になった。僕は中学の頃の名残で成績は悪くない方だったが、彼女は芳しくなかった。だから、今度どこかで一緒に勉強をしようという話になった。そしてその土曜日、ちょっと離れたファミレスで一緒に食事をし、勉強をした。とは言っても、互いにちょっかいをかけあったせいでほとんど進まなかったが。進まないと外に出て、少し歩いた河原でだらだら過ごした。
そしてまた次の土曜日も、勉強と称して河原で会って、のんびりしていた。パッとしない曇り。青空は広く見えるのに部分的な大きい雲が太陽を隠していた。暑さとふとした寒さがおり混じったなんとも言えない天気で。僕は彼女に告白をした。「付き合ってよ」iPhoneからはBjorkのUnravelが流れていた。返事はなかった。数秒の間の後、彼女は涙をこぼした。僕はどうしたらいいかわからず、色々と声をかけた。なんとなく互いにわかっていたことであっただろうが、やはり実際に言われてみたら衝撃だったのだろう。「嫌だったらいいんだ。」繰り返しそう言った。結局返事はないまま話題が変わり、あまり触れられないままその日は別れた。帰り際にまた「嫌だったら無理しなくていい。」と付け加えた。
その後の月曜日、学校では普通に喋ったしLINEも続いていたが、どことなくぎくしゃくした。そわそわしたまま土曜日を迎え、僕たちはまた河原にいた。彼女ははっきりと言わなかったがOKという旨の言葉をこぼした。僕は、僕は、なんとも言えない気持ちだった。実際に僕は彼女を好きだったのだろうか。確かに仲が良かったし、いちゃいちゃしているのは楽しかった。しかし、愛というか、好きという感情ではないような気がした。僕はあの娘が欲しかったんじゃない。彼女がいるというステイタスが、身を寄せていちゃつく相手が、欲しかっただけなのかもしれない。そんな考えをうやむやに否定しながらも、捨てきれずにいた。
晴れて二人は付き合うこととなった。また河原でゆっくり過ごしたり、ちょっと遠くまで歩いたり、大きなショッピングモールで買い物したり、フードコートで勉強したり、花火大会を遠くから眺めたり……。それからまた二人で何もない町をよく歩いた。昼も夜も。
ハグはよくした。他人の体温をこう近くに感じられるというのは、とても嬉しく、気持ちのよいものだった。キスは、何度かした。といっても軽く触れる程度のもので私は少し気落ちしたが、彼女はやり方がよくわかっていなかったのかあまり好まなかったようなので、今でなくていい、と思った。今はもっとコミュニケーションを取るべきなのだと思った。ハグは本当にしばしばした。唯一できることだったというのもあるが、なんだかそうしていないと彼女から自分の心が離れていってしまいそうで恐かったのだ。現に会うたびに違和感が募っていった。普通に会話できるし笑うこともよくあったが、やはり何か伝えたいことが伝わりきらない歯痒さというか虚無感みたいなものが残った。自分が相手に求めすぎていたのかもしれないが、どうしても会うことが億劫になってしまっていた。女の子と二人でいちゃいちゃすることは楽しかったけれど、その先にある精神的な満足にはどうしても達していないような気がした。また、彼女も僕の心の揺れを察したのか、LINEも日に日に色素が薄まっていった。
そんな心の影を抱えながら、夏休みを迎えた。僕は寮生なので荷物をまとめて地元に帰った。そのせいで学校近くに住んでいる彼女とはなかなか会えなくなってしまった。一度、課題の材料の買い出しに一緒に行った。なんとなく話しづらさはあったが、それなりに普通に会話した。そして、それほど支障なく別れた。しかし、それからLINEはさらにスローペースになり、夏休みに会ったのはそれきりだった。
そんなまま、後期を迎えた。互いに寄るでもなく、会うでもなく、時間が過ぎた。文化祭に向けてだいぶ忙しくなったこともあったせいか、あまり余裕を持った生活ができなくなり、彼女とのLINEが途絶えたこともあった。しかし、僕はそれどころではなかったのだ。
そしてある日、彼女からLINEが来た。「もう終わりにしよう。」僕は、悲しいことにショックではなかった。「そうか。」と返した。それから一言二言交わした。「うまくいかなかったことは仕方ない。別れるとは言ってもこれからも今まで通り良い友達でいよう。」と送った。それからまたいくつか交わして会話は終わった。空っぽな気持ちだけ残った。
僕たちは終わった。その後は学校でも普通になったし、むしろ互いに気楽に過ごせるようになったみたいだった。それからたまにLINEも元通り、ペースこそぐっと落ちたものの、なんだかんだでずっと続いた。そしてそのまま2年生が終わった。
3年が始まると、僕は2人部屋になった。相部屋は2年生で寮に編入してきたというちょっと変わったルートの男だった。つまり多少仕事はあったものの地獄のように苦しい1年を過ごしてこなかったわけだ。彼曰く「1年にも2年にも分類されないこの立場もなかなか苦しい。」らしいが、やはり1年の頃の不自由さに比べたらずっと楽だった。彼とは、主に2年の前期からよく関わり、後期ではよく互いの部屋を行き来するほどだった。
そんな彼が3年生が始まり、面倒な新学期のごたごたがだいぶ落ち着いた最近、1年の頃特に仲が良かったクラスの連中と放課後に残って恋愛について話していたところ、彼女がたまたま教室に立ち寄ってその場面に出くわしたらしい。話の流れで彼はそんなことは一言も発していないのに他のクラスメートに彼女が好きだとでっちあげられてしまった。彼は別に狙っている人がいるんだと説明していたが、彼と彼女は席替え後の新しい席が周囲のメンツの関係でよく交換していたこともあって、最近は言葉を交わすことが多かったようだ。そして彼はこの一連の流れをチャンスと捉えたらしく、明日、彼女に告白すると言っている。彼は狙っている人がいるが、それとは別にクラスメイトに仕立て上げられてなんとなくいいムードになった特に好きでもない彼女に告白しようとしている。僕はどう感じるのだろうか。かつて彼女と身を寄せ合っていた僕は。
すっきりしない。何か心残りがあるような気がしてしまう。惜しい。悔しい。
告白が成功したときも彼女と別れたときも特に強い感情を持たなかったのに僕は、彼女が明日告白されると聞いて今、気が気でない。もう僕から離れたものなのに。よりを戻すつもりは、というか戻したところでまたうまくやっていける自信は、ないけれど正直成功は願っていない。告白されたところで、彼女は気が弱いからなんやかやでOKしてしまうだろうし、彼だって本命の相手ではないのだ。そんな相手では彼女が可哀想だ。本気で好きでなければうまくはいかない。僕のときのように。”とりあえず”のステイタス作りの恋愛は悲しくなるだけだよ、と。とは言っても僕には止める権限はない。そういえば、去年の今頃は僕と彼女は絶賛仲の良かった時期だったのだ。毎週河原で横になり、喋って、ハグをして、キスをしていた。しかしその彼女は今、他の誰かの手に渡ろうとしている。彼女を本気で愛していない男の手に。それは何か、無性に悔しいのだ。何故だろう。僕はもう好きではないとわかっているのに。のどをかきむしるほどにもやもやするのだ。つまらない言い方ではあるが、彼女には幸せでいてほしい。馬鹿な男のプライドのキープに振り回されるのは、もうだめだよ。これ以上無駄な時間を過ごしてほしくない。彼女は本気で愛されるべきだ。くそう、胸が苦しい。彼女もきっとこの不穏な雰囲気には気づいている。
今、彼女は何を考えているのだろう。僕はどうするべきだったのだろう。
先日あったどうでもいいこと
それはおとといの夜、
近所のお好み焼き屋で演劇部の文化祭打ち上げを終え、
イオンにちょっと買い物をして、その帰りのこと。
学校の正門をくぐり(学校の正門から寮まで
ざっと100mほどあり校舎の間を歩く)、
点呼の時刻も近づき足早で寮に向かう途中、
向かいの校舎から先生が出てきたので、
軽く挨拶をした。が、
寒かったせいかあまり声が出なかった。
そして、そのまま歩いていこうとすると、
前方に同じくイオンの帰りだろうか、
先輩のカップルが見えた。
二人とも一個上の先輩で、
片方は男子寮生の1~3年が過ごす
西寮の寮長を務めている。
二人は寮内でも全体的に認められていて
たまに茶化されるくらいのものだ。
そのカップルを見つけてしまったので
急いではいたがその場で少し立ち止まり、
彼らが寮の方まで行ってしまうのを待った。
というのも、
以前も似たシチュエーションに出くわしていた。
それは二つ上の少し恐い先輩と
一つ下の女子の後輩のカップルで
まだつきあい始めたばかりだった。
校門をくぐり、二人を見つけた自分は
まぁ追い抜いたりしなければ大丈夫だろうと思い、
歩調をゆるめて、なるべく二人から目をそらしながら
ちょっとずつ距離を開けながら寮に向かった。
そして寮のすぐ手前の角を曲がってびっくり。
お二方は曲がってちょっとのところで立ち止まっておられた。
そして、いわゆる、ハグというやつをなさっていた。
これは気まずい。
3秒ほど呆然と立ち尽くした後
我に返りあわてて校舎の陰に引き返した。
いやあニンゲン不意をつかれると本当に動けなくなるものですね。
そこで、時間をつぶすためにKeaneを2曲聴いた。
いつもの曲のはずなのにだいぶ違って聴こえた。
深呼吸をして角を曲がると二人はもういなかった。
そこからは何事もなく寮に戻れたが、
やはりどこか居心地が悪かった。
そして、たびたび二人はリフレインした。
ハグに見えたが実はキスもしていたんじゃないか、とか
二人はいったいどこまで進んだのか、とか
年頃の馬鹿男子にありがちな疑問を
頭の中でぐるぐるかき混ぜていた。
また自分がちょっと前に彼女と別れたこともあって
あの光景はより現実的に焼き付いていた。
なんだか無性にナーバスになった。
ひとことにジェラシーというには、少し複雑で
でもやっぱりそのひとことで片付いてしまう
そんな嫉妬心だった。
まぁ、とにかくこういった出来事があった。
またああいったことをされては困ると思い、
あらかじめ立ち止まって時間をつぶす準備をした。
校舎の冷たい壁に寄りかかり、
ポケットから携帯電話を取り出そうとしていると、
さっき挨拶を交わした先生が
「具合でも悪いのか?」
と寄って来た。
この先生は倫理を教えていて、寮務も務めている。
寮則改革派の先生で多少空気の読めないところもあり、
寮生からはあまり支持されていない。
授業でも結構むちゃくちゃするらしい。
自分は、
「いえ、大丈夫です。あの、いいづらいんですけど、
前に先輩のカップルがいたので、邪魔しちゃ悪いかなって思って。」
とこないだのことは言わないでおいた。
すると先生は笑って
「なるほどな~、気遣ってえらいじゃないかぁ。俺だったら『あれれ~?先輩じゃないすか~?』って突撃してたんだけどなぁ。そうかぁ、なるほど偉いなぁ。まぁあとで気まずくなっちゃうしなぁ。そうかそうか」
と言って去って行った。適当に相づちを打って愛想笑いをした。
あぁ、どうりで好かれないんだな、と思った。
が、少し気分がすっきりした。
