高校生なりに最近社会について語る
「働く」というのは人の手を必要とされる事で、作る人がいないとその物はないし、売る人がいないと買う人がいない。みんな何気に買ってる物は一体誰が作っているのだろうと思う事はないだろうか。僕は最近これを作るのにどれだけの人々が携わっているのだろう、と思う事がある。しかし消費する人は使えればいい。と思っているだろう。多分それを使えるようになるまで沢山の人が携わっていると思う。その人々の事を思うと少しでも長く使おうと僕は最近思ったのだ。「壊れかけた」から新しいのを買う。のではなく、「壊れた」から新しいのを買うということに視点を変えてみてはどうだろうか。そうすることにより生産する側はほんの少し労働が減るだろう。消費する側は長持ちさせるようにする事で金銭の負担は少し減るだろう。最近の工場ではロボット化が進み、日本人特有の繊細な手さばきを使う事なくどんどん生産されていく。しかしそれでは、最先端の物でも壊れやすくなる。でもコスト削減になる。人の手で一からやるとなると、かなりのコストがかかるが壊れにくい物が作れると思う。それでは、人が作ることとロボットが作る事の境目はなんだろう。自分なりに考えてみたのだが、ロボットが作るのは簡単に消費するものや便利なものだと思う。人が作るのは、命に関わるものだと思う。例えば、家などは設計士や大工などはロボットではなく人である。仮にロボットが家を作るとロボットには「ベテラン」という言葉がなく成長しないで、同じものを作ることしかできない。そして工夫することもできない。その技術はいつか追いつけなくなる倒壊するだろう。今回は最近の社会について高校生なりに語ってみました。