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モット・ザ・フープル

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モット・ザ・フープルは初担当アーティストです。


レコード会社に入社してミッシェル・ポルナレフなどの


宣伝プロモーションを2年間やった後の1974年6月21日に


「花のディレクター」として初めて仕事をしたのが


このモットの「ロックンロール黄金時代」というLPでした。


そんなこともあって私の携帯電話のアドレスはhoople@です。




モット・ザ・フープルは日本では無名ですかねー。


力足らずでしたか。


イギリスの5人組ロックンロールバンド、


リードヴォーカルの「イアン・ハンター」を中心に


この時のギターは元スプーキートゥースのルーサー・グローヴナー、


その前はバッド・カンパニーを作ったミック・ラルフスで


最後のギタリストはミック・ロンソンでした。




こんな風にバンドは何度もメンバー交代を繰り返し


結果解散するのですが、


リーダーのイアン・ハンターの憂いを帯びたヴォーカルは


今でも充分通用すると思います。


てか、今でも活動しているようです。


あ、キーボードのモーガン・フィッシャーは日本に住んでいますね。




当時は「グラムロック」っていうジャンルに入れられてました。


グラマラスという意味でバンドがみんな化粧してたんです。


Tレックスなんかもね、同時代です。




当時のレコード会社の宣伝マンや制作マンは


自分の担当アーティストと同じ格好をしてプロモーションしてまして、


私もサングラスして長い髪の毛にパーマをかけて


手の指の爪にマニキュアなんかしとりましたが、


「ガロのマーク」の真似か?なんて言われちゃいました&x-hurahura;




バンドはデヴィッド・ボウイに書いてもらった


「すべての若き野郎ども」が1972年に大ヒットしました。


私の担当では「ロックンロール黄金時代」シングルが


日本の洋楽ヒットチャートの10位くらいに初めてランクされて


当時の彼女と乾杯しました。


業界人として幸せなスタートが切れたわけですね。




アメリカの公演のオープニングを


あの「エアロスミス」や「クイーン」がつとめたり


クラッシュのミック・ジョーンズがファンクラブに入っていたり


その後の70年代のイギリスのロックシーンに


実は大きな影響を与えたバンドでした。




この「モット・ザ・フープル物語(Saturday Gigs)」は


ベスト盤だけに最初は収録されていた曲です。


初めてこのバンドのアルバムをお聞きになるなら


[ベスト盤「黄金の軌跡(モット ザ フープル物語)」]をお奨めします。

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この曲、自分達のバンドの歴史を切々と歌うイアン・ハンターの声がまるで泣いているように聞こえませんか?




69年はワインが安かった・・


70年は女の子が集まった・・


71年は「トップ・オブ・ザ・ポップス」でストーンズよりもうまかった


君たちはあの土曜日のライブを覚えているかい?♪




と懐かしんでいます・・・




ところで、バンドを解散したイアンハンターはギタリストで友人の


ミック・ロンソンと2人でソロ・アルバムを出します。


原タイトルは「Ian Hunter」だったんですが


日本語タイトルは「http://mora.jp/package/80307744/MHCP01070/ [双子座伝説]」と付けました。


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それはその当時私が「戦国自衛隊」で有名な作家、半村良のファンで


氏の著作には「~伝説」というタイトルのものが多かったせいと、


イアンハンター、ミックロンソン、そして私が双子座だったからでした。


いい加減?そんなもんです、それにもう時効でしょ。

初めまして、野中規雄と申します。

野中規雄と申します。


このブログは2006年から始めて2007年に終了したものです。


当時私は「ソニー・ミュージックダイレクト」という会社の社長を
しておりましたので、こんなタイトルになっていますが
現在は退社しています。


2008年8月


****


はじめまして、私は1948年生まれの58歳、団塊の世代。


洋楽を18年、邦楽を16年やってきて
あと2年で退社を迎えるオジサマです(だよ!)。
そんな私がふとこの連載を思いついたのは
退社前に一度入社以来の半生を振り返ろうとしたからでした。
とは言え、個人の昔の思い出日記だけで終わっては
縁側のお爺ちゃんの話と同じになってしまいます。


なので私の体験の、特に洋楽に関する
当時の記憶を辿りながらお話を進めさせていただきます。
古いアーティストのことなので情報としては知らなくても
とりあえず音楽関連だし、しかも真実の出来事ですから
少なくともミクシィで私の今の日記を読んでもらうのよりは
楽しんでいただけるんじゃないでしょうか。


時代は私の入社した1972年から10数年のことです。
ビートルズのデビューから数年がたち、
世界中でロックが熱く若者たちに支持されていた頃、
日本にも海外から続々と新しい音楽が紹介され
「日本洋楽」とも言えるシーンが活気を呈していた・・
そんな時代のお話です。


会社も今の社名ではなくて「CBSソニー・レコード」でしたから
確かに昔話ではあるんだけど、今でも私の中の熱さというか
気持ちは変わってないんですよ。気持ち悪いですか?

音楽評論家でもありませんから全体のシーンは語れないです。
私にリアリティがあるとしたら唯一、自分が担当したアーティスト、
自分が発売したLPレコード(アナログのアルバムですね)なので
テーマは「私の関わった70年~80年代アーティストたち」に絞ります。
これを書くためにざっと調べたんですよ。
そしたら100以上のアーティスト担当をしていました!
てことは?100回の連載ですか?
自分でもわかりませんです。
疲れてやめちゃうかもしれません。


何せ、大昔のことですから記憶間違いについてはご容赦下さい。
でも「そりゃ、ちがいます」というような
大きなミスはどうぞご遠慮なくご指摘下さい。


それと年代順でも思い出の大きい順でも売り上げ順でもありません。
文字通り、順不同です。
だけど、おっきく考えれば2~30年前の話ですから
みなさんにとっては似たようなもんですよね。


ではでは・・・

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