ナースレジェンド(2) | 酒とアニメの日々(鯱雄のオフィシャルブログ)

 祖父に付き添われてクミがナースステーションに戻ってきたのは午後3時の休憩時間になっ
てからである。
 クミの姿を見るなり、マユミは冷たく言い放った。
「クミちゃん、職場放棄は減点の対象よ」
 しかし、クミは怯まない。
「マユミさん、どちらが作った料理がおいしいか勝負です!クミが買ったら、さっきクミを叩
いたのを謝って、院内食でもおいしい料理を出してください!!」
 言われたマユミは、一瞬だけ間をおいて、鼻で笑いそうな勢いで応えた。
「いいわよ。でも、一つだけ条件があるわ」
「条件?」
「タチバナ先生が審査員として参加することよ」


 夕方。マユミは帰宅前に生徒会室に立ち寄った。
 生徒会室には案の定、副会長が各報告書のチェックをしていた。
 付属高校の副会長はアルテタリア・ゼレコフという、ストレートで淡い栗色の髪に四角い目がねをかけた、いかにも「学級委員長」と呼ばれそうな容貌の少女である。
 副会長はマユミを見つけると、軽く溜息をつきながら、昼間起きた事件とその後のマユミとクミ勝負のことについて説明を求めた。
 マユミは少し沈んだ声で答えた。
「言いそうだったのよ。医療に携わるものが絶対言ってはいけない言葉」
「『死んだ方がマシ』?」
「正解。しかも、患者さんたちのいる前でね。叩いたことは後悔してないけど、本当はそっちの流れに話をもっていかないようにするべきだったわ。
 それに、クミちゃん本人か、タチバナ先生からの入れ知恵かはわからないけど、あの子が私に勝負を挑んでくるのは初めてのことでしょ。今まで誰かに助けられるだけだったあの子が一人前になろうとしているのなら、それは良いことじゃないかしら?」
「それで、それとタチバナ先生を審査員にすることとどういう関係があるの?あれだけ孫を溺愛してるんだから、わざとハンデを与えるようなもんじゃない?」
「ハンデを与えたつもりは全くないわ。むしろハンデを奪ったのよ」
 副会長の頭の上に?マークが浮かび上がった。
「タチバナ先生のことだから、クミちゃんをあれこれ助けてしまうはず。それでは、私とタチバナ先生の対決になってしまう。そんな不毛なことをするつもりはないわ。だからタチバナ先生には審査員という中立的な立場において、手出しできないようにしたわけ。
 それに、タチバナ先生はクミちゃんを溺愛しているとはいえ、勝負事の判断を捻じ曲げるようなことは絶対しないわ。そういう人よ」
 副会長はまた溜息まじりに言った。
「どうでもいいけど、生徒会の仕事を増やすようなことにはしないでね。それにリーマンショック以降、寄付金が減ってて、生徒会の運営費だってかなり削られているんだから、くれぐれもお金のかかる厄介事は持ち込んでこないでね!」
「それについてタリアに相談があるんだけどぉ。勝負の会場設営を・・・」
 副会長の心から血の涙が流れた。


 一方、クミは一人でナースステーションで落ち込んでいた。
 クミには大きな問題があった。いままで自分で料理をしたことがないのだ。
 クミの家系は、母がクリミア共和国の現首相であるだけでなく、祖母はクリミア共和国の初代首相。祖母の出身であるバーコフ家は旧ソ連時代にエリート官僚を数多く輩出しており、クミはまさに名門の血筋を引くお嬢様なのである。そのため、家の手伝いなどをしたことはなく、一般的な家事は全くダメダメなのだ。しかも、今回はマユミはもちろん、祖父のショージにも頼ることができない。
 勢いでマユミに勝負を挑んだものの、数時間も経たないうちにクミの心は後悔でいっぱいに
なった。


 いっそのこと今からでも謝って・・・


 そんなことを考えていると、突然誰がクミを呼んだ。
 いや、誰かというより、それは顔を見なくても主がわかるほど聞き覚えのある嫌な声だ。
「あーら、どこのミジンコ小学生が紛れ込んで来たのかと思ったら、タチバナさんじゃあーりませんかしら。あぶなく踏み潰してしまうところでしたわ。おほほほ」
 その声は明らかな敵意に満ち溢れていた。
 クミが振り返ると、そこにいたのは、やはりクラスメートのリーゼロッテ・マイエルだった。


 リーゼロッテは付属高校の一年生で、クミのクラスメートである。
 また、カラスを連想させる緑光りする巻き毛の長い黒髪は、スケベなおじさまたちを悪い方に魅了し、逆に子供からは恐怖の対象となっている。
 それにしても、どうしてリーゼロッテは神経を逆なですることに関してこれほど天才的なのかしら。しかも大概、会いたくないときに現れる・・・。
 思えば、リーゼロッテには栗ノ宮医大付属高校の入学式でからまれて以来、良い思い出が一つもない。成績は常にクミに次ぐ2位と優秀なのだが、口ぶり、態度、そしてお金に対しての異常な執着心と目的のためには手段を選ばない行動がクミには到底理解できなかった。
 もっとも、リーゼロッテの方にもそれとは逆の言い分があるのだが、つまりクミとリーゼロッテは犬猿の仲なのである。


「タチバナぁ、聞いたわよ。マユミお姉様にケンカ売ったんだって?」
「ケンカじゃなくて勝負です。それにしても、どうしてどうしてそのことを?」
 リーゼロッテは笑みを崩さず答えた。
「どうしてもこうしても、病院中どころか高校中でも噂になってるわよ。まさか気がつかなか
ったの?」
 噂が広まるの速すぎ!!!とクミは思った。
「まったく、普段あれだけお姉様に世話になっておいて、よくそのお姉様にケンカを挑めるわ
ね。あんた飼い主に噛み付く飼い犬と一緒よ」
 リーゼロッテの声はクミを非難しているようだが、それには嘲笑もふくまれていた。そのことを瞬時に察知したクミが半切れする。
「そんなこと、リーゼロッテには関係ないでしょ!!」
「そうでもないのよね。あなたたちの料理勝負の司会が誰か知ってる?」
 クミの背中を非物理的な冷たい風が吹き抜けた。
「そう、この私、リーゼロッテ・マイエルよ。実はさっきマユミお姉様から『直々に』お願いされたの。だから関係大有りなのよ。そういうことだから、当日は私があなたのブザマな負け犬姿を実況してあげるから、無駄だと思うけどせいぜい努力してみることね。あ、それと、」
 突然、リーゼロッテがクミに顔を近づけた。
「もしも逃げ出したりしたら、タチバナクミは恐れをなして逃げ出したという噂が広まっちゃうかもしれませんことよ。それでは、ごきげんよう。おーほっほっほっほっほー」
 リーゼロッテはうやうやしく挨拶してその場を去っていった。
 つまり、もし逃げたら、リーゼロッテがその噂をあらゆるところに広めるということね。マユミに負けるのは、嫌だが、仕方ないとも思う。だから勝負を逃げ出すことも考えた。しかし、リーゼロッテにバカにされるのは全てに最優先して絶対許容できることではない。もうこうなったら、逃げることも負けることも許されないのだ。
 でもどうしたら、マユミに勝てるのか!?
 クミは思案した挙句、付属病院内の食堂のおばちゃんに助けを求めることにした。