2015.7.27.梅田ZEELAをもって脱退しました。
沢山思い出はありますが、大きな分岐点となったのはXZONEの1st singleのツアーです。
初めのツアーは本当に大変だった。一本目の名古屋から横浜までの流れはよかったのだけれど、大塚DEEPAでのLIVEで僕たちは非常に悔しい思いをした。そこからこれではいけないと翌日のオフを利用してスタジオに入ってもう一度意志を固めた。たった2時間だけのスタジオだったが、その翌日の渋谷サイクロンのでは対バン相手からは「何か変わったね」東京のお客さんからは「かっこよかったです」などと言葉を頂き僕たちの中でも大きく変わるきっかけとなった忘れらない記憶となった。
現在のXZONEはラウドな曲が多いけれど初めからラウドなバンドじゃなかった。結成当初は歌モノ、パンク、ハードロック、かなり現在とは違う雰囲気でした。2011.12.22.FANJの初ライブの時に配った音源に収録されていて、もう手に入らない貴重な音源となっていますがもしかしたらYouTubeで探すと残っている可能性はあるので興味がある方は是非。
僕自身も今少しずつもう次はないのかとひしひしと感じて脱退という実感が湧いてきました。いつも遅れてくるんですよ。楽屋の雰囲気、LIVE始まる前のくだらん話とか、眠い中なんとか頑張って練習してた深夜スタジオ、LIVE中のみんなの表情とか写真みたいに頭にパッと出てきて遅れてくるんですよ。それを思い出と言うのでしょうね。バンドは本当に素晴らしいと思います。もちろんバンド活動自体も素晴らしいですが、一つのバンドを通していろんな人が他人から仲間になる瞬間とか、趣味から本気になるとか、ライブハウスに行く間に人見知りがなくなったとか、変わるきっかけを沢山与えてくれる素晴らしい存在だと思います。
XZONEは今はまだ日本の人口とか、世界人口に比べれば少ないけれど人に影響を与えられる力を持っているのは確かです。近い将来1万人、5万人、何千何万の人に影響を与えられるほどになっていることを願います。僕はその時改めて「本当にXZONEのドラムをしてよかった」と思うでしょうね。
XZONEは商品でも物でもありません、人間です。だから幸せな時もあるし苦しい時もあるのも当然なんです。だから今このブログ読んでいるあなたの力が凄く支えになります。
お互いの気持ちが重なった(Xクロス)時に素晴らしい領域(ZONEゾーン)が生まれる。
その繰り返しの過程で彼らはまた大きくなって帰ってきます。
最高の景色を観れる日を楽しみしています。
本当に、ありがとうございました。
またどこかで会いましょうお元気で
Shu
