医師から告げられたのは、最悪の場合「余命3か月」。その日から、私の人生は大きく変わりました。

医師から告げられたのは、最悪の場合「余命3か月」。その日から、私の人生は大きく変わりました。

このブログでは、がんと診断されてからの闘病生活、身体障害者認定や障害年金の申請など、実際に経験した出来事を全16回の連載として記録しています。
同じような状況にいる方の参考になれば幸いです。

医師から告げられたのは、最悪の場合「余命3か月」。

その日から、私の人生は大きく変わりました。

 

手術、抗がん剤治療、入院生活。

救急搬送は8回。

そして働けなくなった後の生活とお金の問題。

 

 ・がん治療の実体験

  手術、抗がん剤治療、放射線治療の体験

  日常生活の変化

 ・社会保障

  障がい者認定の手続き

  障がい年金の受給

 ・病気になっての収入・支出

  国や自治体からの支援、健康保険、生命・医療保険

  会社の制度(休職保証、企業年金)

 ・救急搬送

  突然の病気やけがによる救急搬送の実態

  入院中の出来事

 

等の実際に経験した出来事を全16回の連載としてブログに記録しました。

 

同じような状況にいる方の参考になれば幸いと思います。

 

是非、ご覧ください。

 

ちなみに、このブログを書けているので「余命3か月」は克服しました!(^^)!

 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は16回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。

 

世間ではよく「抗がん剤治療はつらい」と言われる。
私自身、がんを患い、手術・抗がん剤・放射線と一通りの治療を経験した。

 

手術は麻酔がかかるため、気づけば終わっている。
「つらい」という意味では、手術そのものはあまり実感がなかった。

 

放射線治療は、数十分間体を固定されるのが苦しかった。固定器具がきつくて痛かった。

 

しかし、これらの治療にも後遺症は残ったものの、副作用という意味で最も大変だったのは抗がん剤だった。

 

ここでは、私が経験した抗がん剤の副作用について紹介したい。
抗がん剤治療は3つのフェーズに分けて行われた。

 

 

抗がん剤治療① 一発勝負の36時間投与

 

 

最初の抗がん剤は、いわば「一発勝負」の薬だった。
約36時間かけて投与するもので、手術後そのまま入院中に行われた。

 

主な副作用

 

発熱
38度以上の発熱が数日続いた。

 

強い倦怠感
発熱とともに体がだるく、ほとんど動けなかった。

 

下痢
発熱と倦怠感のため、出たことに気づかないほどだった。
そのため、おむつを使用していた。

 

酸欠
自覚症状はなかったが、測定すると酸素不足の数値。
気管切開した部分から酸素吸入で補った。

 

脱毛
年齢のわりに毛量は多い方だったが、
気づけば鳥のヒナのような頭になっていた。

 

このような状態だったため、トイレへ行くにも

  • 携帯酸素をぶら下げ
  • 転倒防止のため車いす

という生活だった。

 

脱毛も厄介だった。


ベッドの上は抜け毛だらけになり、粘着テープ付きのコロコロを何本使ったことか。

 

この状態は約3週間続いた
酸素吸入は退院まで続いた。

 

 

 

抗がん剤治療② 全身の湿疹との戦い

 

 

この頃には、髪の毛はほぼ元に戻っていた。

 

治療方法は変わり、
3週間に1回、通院して数十分投与する形式になった。

 

主な副作用

 

全身の湿疹

磯や堤防にいるフジツボのような気味の悪い湿疹が、全身に現れた。
とにかく猛烈にかゆい

 

頭皮にもできたため、薬を塗るのが本当に大変だった。

 

直接的な副作用はこれくらいで、脱毛もなかった。
しかし、かゆさに負けて掻いてしまい、

 

出血 → かさぶた → また掻く

 

という繰り返し。

 

家の中にはかさぶたが落ち、
妻からは「掃除が大変」と言われてしまった。
申し訳ない話である。

 

 

抗がん剤治療③ 手のひらの激痛

 

 

湿疹が少し落ち着いたころ、3回目の治療が始まった。

 

方法は

 

週1回投与 × 3週間 → 1週間休み

 

というサイクル。
薬も変わり、1回あたり約4時間かかる点滴だった。

 

主な副作用

 

湿疹
今度は蚊に刺されたような湿疹。
やはり、かゆさは相当だった。

 

皮膚の乾燥
保湿しないと皮膚が粉のようになって落ちた。

 

手のひらと指のダメージ(これが最悪)

  • 指や手のひらが割れる
  • 物に触れるたび激痛
  • 爪が剥がれる(手は全部剥がれた)

痛みは少ないが、物を持つときにうまく力が入らない。

 

絆創膏で保護したが、何枚も貼るのは面倒だし、
正直言って不経済だった。

 

副腎機能の低下

 

あと、前回も触れた通り、抗がん剤の影響で副腎機能が低下した。

薬の飲み方を誤って胃に穴が空いてしまった。

 

投薬の継続

 

現在5種類の薬を服用している。

うち2つは抗がん剤による、前述の副腎機能の低下に伴うものである。

 

参考までに他の薬を紹介する。何れもガンとは関係しない。

 

・整腸剤

お腹を壊しやすいので。

服用する前は1日10回近くトイレに行っていた。

 

・心拍数を制御する薬

救急搬送編でもふれたが、以前心臓をやった時のを継続している。

 

・尿酸を抑える薬

痛風もやってしまった。この時も激痛に襲われて大変だった。

救急搬送はされなかったが、休日診療の世話になってしまった。

 

抗がん剤の副作用は今どうなったか

 

抗がん剤をやめて約1年が経った。

 

現在は

  • ほとんどの症状は解消
  • 髪の毛も復活
  • かゆみは少し残る程度

ただし、湿疹の跡はかなり残っている。

正直、見た目はあまりきれいとは言えない。
夏でも半袖は着ない。
こんな腕を見せたら、他人に不快な思いをさせてしまうかもしれないからだ。

 

後に気づいたことがある。

抗がん剤の影響かは定かではないが、以下の変化があった。

 

血圧と脈拍に変化があった。

 

・抗がん剤投与時からしばらく

 血圧(上)80~90前後、脈拍 100を超えることがよくあった

 

・抗がん剤中止後1年経過時(現在)

 血圧(上)100超、脈拍80~90で推移

 

この数値がどちらが良いのかはよく分からないが、抗がん剤の影響と考えられる。

実際、がんに罹る前は、後者の数値に近かった気がする。

 

(注意)脈拍は心臓を悪くしたこともあり、通常よりは多い。

 

あと、体重が増加した。もとの体重に近くなった。

 

手術の後遺症

 

 

私の手術はかなり大がかりだった。

  • 下顎の骨と左奥歯1本を残し、ほぼ全摘出
  • 舌の大半を切除
  • 失った部分は腹部・胸部の組織を移植

呼吸のために気管切開を行い、
カニューレという器具を装着して呼吸するようになった。

 

また、口から食事ができないため、
腹部から胃へ直接栄養を入れる胃ろうも装着した。

 

 

気管カニューレの生活

 

  • 痰を吸引機で定期的に吸引
  • 器具が擦れて傷になる
  • ベルトの洗濯や交換
  • 定期的な器具交換

さらに、水が入ると危険なため、風呂も慎重に入らなければならない。

 

しかし何よりつらいのは、

 

声が出せないこと

 

である。

 

 

胃ろうの生活

 

 

胃ろうの生活も不便が多い。

  • 栄養剤を注入するポンプが必要
  • 使用後は器具の洗浄が必要
  • 食事を挟む外出ができない

やむを得ない場合は食事を抜くしかない

 

さらに、

 

食べる楽しみがない。

 

栄養剤と飲み物くらいしか口にできない。いや、注入できない。

テレビでグルメ番組を見ると、少し寂しい気持ちになる。

 

放射線治療の後遺症

 

放射線治療自体はそれほどつらくなかった。

 

しかし、照射した左鎖骨付近の皮膚が大変なことになった。

 

約5cm四方がケロイド状になり、

そこから体液がダラダラと流れ出てきた。

 

ガーゼでは足りず、尿取りパッドで吸収したほどである。

 

裏の背中側も、軽いが同じ状態になった。

 

体液は徐々に減り、
完全に止まるまで約1年かかった。

 

現在は止まり、ケロイドもほぼ落ち着いたが、
触ると少し痛いような、変な違和感は残っている。

 

 

補足:点滴ポートのトラブル

 

抗がん剤の点滴は、血管を守るため
**CVポート(点滴用ポート)**を上腕に埋め込んで行った。

 

しかし、

  • 感染して腕が倍ほど腫れる
  • 再埋め込み
  • さらにポートの一部が皮膚を突き破る

などのトラブルがあり、最終的には抜去した。

 

 

そして今

 

 

手術をして3年半経った2026年3月現在、再発の気配はない。

 

ありがたいことに、今は落ち着いた生活を送っている。

 

とはいえ、手術の後遺症が消えたわけではない。
声は出ないし、食事も楽しめない。生活にはいろいろな制約がある。

 

それでも、今の生活はそれなりに気に入っている。

 

月に数回、妻が車で近隣の観光地や公園に連れ出してくれる。

 

週末になるとウイスキーを開ける。
トリスかブラックニッカの安売りしている方だ。どうせ味はあまり分からない。

 

ロックはさすがにきつかったし、ハイボールは炭酸の泡が合わなかった。
結局、今は水割りに落ち着いている。

 

金曜・土曜・日曜で、だいたいボトル1本。
とはいえ、いつも瓶の底に2センチくらい残る。

 

それはどうするかというと、月曜から木曜のどこかで私が「始末」している。
まあ、もったいないからである。

 

医者と看護師には、この酒のことは話してある。
「我慢して苦しむくらいなら飲みます」と。

 

もしそれで体が悪くなるなら、それはそれで仕方がない。
楽しめるものは楽しむ。
それが今の私のQOLであり、私の生き方だと思っている。

 

もともと私は
「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」
と思って生きてきた。

 

がんになったことも、大きな手術をしたことも、もう変えられない。
だからそこを嘆いても仕方がない。

 

変えられるのは、これからどう生きるかだけだ。

 

さて、このブログだが、ここで一区切りにしようと思う。

2026年3月現在、再発の兆候はない。
だから、もう書くことがない。

 

もし再発すれば、また経過を書くことになるだろう。
しかし正直に言えば、それはあまり望んでいない。

 

がんになることよりも、
今の生活よりつらい状態に戻ることの方が嫌だからだ。

 

せっかくここまで日常を取り戻した。

 

時々ドライブをし、

週末にはウイスキーを飲み、
普通に生活する。

 

それで十分だと思っている。

 

だから、このブログの続きが書かれなかったら、
それは再発していないということだと思ってほしい。

 

それが、私にとって一番いい結末だからである

 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は15回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。

抗がん剤治療の終了

 

 

がんの話に戻る。

 

2022年11月、私は初めて抗がん剤の投与を受けた。
途中で一時中断したこともあったが、治療は継続していた。

 

その間、訪問診療と訪問看護も続いていた。

 

2025年3月。
治療の効果を確認するため、PET検査を受けた。

 

結果は――

 

がんの気配は一切なし。

 

医師と相談し、抗がん剤は中止することになった。

 

 

突然の激痛

 

 

その翌月、2025年4月。

 

胃のあたりに、少しだけ痛みを感じた。
「何となく気になるな」という程度だった。

 

しかし、2~3日後。
その痛みは激痛へと変わった。

 

私は妻に頼み、訪問看護師を呼んでもらった。

 

看護師の指示で痛み止めを飲んだが、まったく効かない。
訪問診療の医師に連絡し、より強い痛み止めを使うことになった。

 

薬剤師が薬を届けてくれた。
しかし、それでも痛みは治まらない。

 

私のあまりの苦しみ方を見て、看護師はこう言った

「胃に穴が開いているかもしれません」

 

医師と電話で相談した結果、救急搬送となった。

 

これが、8回目の救急搬送だった。

 

 

激痛の原因は・・・

 

 

病院で検査をした結果、原因はすぐに分かった。

 

胃に穴が開き、内容物が外に漏れていた。

 

これが、あの激痛の正体だった。

 

緊急手術が行われ、

  • 胃の穴を塞ぐ
  • 漏れ出た内容物を洗浄する

という処置が行われた。

 

担当医によると、かなり危ない状態だったらしい。

 

漏れ出した内容物が感染を起こし、
危険な状態になる寸前だったとのことだった。

 

それ以上詳しい話は聞かなかったが、
とりあえず私は助かった。

 

それにしても訪問看護師の判断は、本当にナイス判断だった。

 

その後、約3週間入院した。

 

 

入院中の「せん妄」

 

 

がんの入院の時にも書いたが、
今回もまたせん妄の洗礼を受けた。

 

例えば、こんなことが起きた。

 

会社関係の幻覚

  • すでに退職しているのに、会社の夢を見る
  • 社員が病院まで押しかけてきて、ベッドの私を無理やり会議に参加させる
  • 病室の隣で社員たちが会議をしている
  • いつの間にかトランプ大統領が社長になっている

その他の幻覚

  • 病室でこっそり酒を飲んだ
  • 筆談用ボードで株取引ができた

今となっては笑い話だが、
当時はかなりリアルだった。

 

 

胃に穴が開いた本当の原因

 

 

では、なぜ胃に穴が開いたのか。

 

原因は、抗がん剤の影響だった。

 

私が使っていた抗がん剤は、胃を荒らす副作用がある。
そのため、胃の粘膜を守る胃薬(薬A)を飲んでいた。

 

しかしその後、抗がん剤の影響で副腎機能が低下してしまった。
そのため、回復させる薬(薬B)を飲むことになった。

 

ところが問題があった。

 

この副腎機能低下は、抗がん剤の影響の場合
回復が困難とのこと。

 

つまり、薬Bは一生飲み続ける必要があると言われた。

 

そしてここでミスが起きた。

 

抗がん剤を中止したため、
胃薬(薬A)をやめてしまった。

 

しかし薬Bも、実は胃に強い負担をかける薬だった。

 

結果として、

 

胃を守る薬をやめた

胃が弱る

胃に穴が開く

 

ということになったらしい。

 

 

現在の体調

 

 

この文章を書いているのは
2026年3月

抗がん剤を中止してから1年が経った。

 

その間、数回CT検査を受けているが、
再発は確認されていない。

 

体重も少し増えた。

 

医師に「完治ですか?」と聞いてみたが、

 

「1年では断言できません」

 

とのことだった。

 

それでも、特に問題が起きていないので、
私はひとまず安心している。

 

ただし、今回あらためて感じたのは、

 

抗がん剤の副作用や影響は、想像以上に大きい

 

ということだった。

 

 

そして今、ニュースを見ながら

 

 

……と、ここで話を終えようとしていた。

 

今(2026年3月11日)、
私はテレビを見ながらこの原稿を書いている。

 

すると、ショッキングなニュースが流れてきた。

 

抗がん剤の投与ミス。

 

患者1名が死亡、
2名が重篤とのこと。

 

どうやら別の薬が混入していたらしい。

 

抗がん剤は、命を救う薬でもある。
しかし一歩間違えれば、命を奪うほど強力な薬でもある。

 

私はその薬に助けられ、
そしてその副作用にも苦しんだ。

 

だからこそ思う。

 

がん治療は、まさに命がけの綱渡りなのだ。

 

次回は、
抗がん剤によって実際にどんな副作用が出たのかを、
私の体験として書いていきたいと思う。

 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
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・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
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今回は14回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。

初めてのテレワーク

 

 

コロナの影響で、会社でもテレワークが始まった。

 

新卒で入社して以来、仕事は「会社でするもの」だった。
だから、家で仕事をするというのは正直少し不安だった。

 

不安の内容は意外と単純だ。

 

誰にも見られていないとサボってしまうのではないか。
出社しないなら朝寝坊してしまうのではないか。
途中でテレビを見たりして、自己管理ができなくなるのではないか。

 

そんなことを考えていた。

 

 

思いのほか快適だった在宅勤務

 

 

しかし、実際に始まってみると、その心配はまったくの杞憂だった。

 

テレワークの勤務形態は、
週5日のうち 3日は終日テレワーク、2日は出社
しかもそのうち 1日は午後出社 だった。

 

まず、通勤がないことで時間的余裕が生まれた。
朝の起床もまったく問題ない。

 

むしろ一人での仕事は、周囲からのちょっとした声掛けや割り込みがなく、作業に集中できた。

 

終業後も「帰宅する時間」が不要になる。
そのぶん自分の時間を有意義に使えるようになった。

 

テレワークという働き方は、思っていたよりずっと快適だった。

 

 

そしてまた、やらかす

 

 

そんな日々の中、淡々と仕事をしていたのだが——

 

私はまた やらかしてしまった。

 

9月の、まだ暑い日のことだった。

 

昼休み、リビングでくつろいでいると、エアコンが少し冷えすぎてきた。

 

温度を調整しようとリモコンを操作したが、反応しない。
電池切れだろうと思い交換したが、それでも動かない。

 

仕方がないので、エアコン本体の電源を一度切ることにした。

 

脚立に上がり、前面フィルターのカバーを開けてスイッチを探していたときだった。

 

ふっとバランスを崩した。

 

飛び降りようとしたが、下を見ると昼食で使った食器が置いてあるテーブルがある。
直撃するわけにはいかない。

 

とっさに体をひねった。

 

柔道の受け身のような格好で落下し、かかとを強打した。

 

その瞬間、すさまじい激痛が走った。

 

しばらく動けない。

 

10分ほどだろうか、床に固まったままだった。

 

それでも何とか起き上がり、
とりあえずエアコンのスイッチだけは切った。

 

痛みに耐えながら仕事続行

 

気がつけば、昼休みはとっくに終わっている。

 

痛みをこらえながら、私はパソコンに向かった。

 

足を床につけることができない。
向かいの椅子に足を乗せ、なんとか仕事を続けた。

 

そのうちトイレに行きたくなった。

 

しかし、立ち上がれない。

 

仕方なく、尻を床につけたまま腕の力で進むという、
なんとも情けない移動方法でトイレへ向かった。

 

 

救急搬送6回目

 

 

その後、パートから妻が帰宅した。

 

事情を説明し、病院へ行くことにしたのだが、問題があった。

 

私は自力で外に出られない。
そして、体格差がありすぎて妻が私を抱えて運ぶこともできない。

 

正直、これくらいで呼ぶのは気が引けたが結局、救急車をお願いすることにした。

 

これが 6回目の救急搬送 である。

 

診察の結果、
かかとの骨にヒビ が入っていた。

こうして私の 松葉杖生活 が始まった。

 

 

テレワーク生活の延長

 

 

当然ながら通勤は難しい。

結果として、毎日テレワークになってしまった。

 

ちょうどテレワークの良さを感じ始めていた頃だったので、
これはこれで少しラッキーだったのかもしれない。

 

結局、出社できるようになるまで 1か月以上 かかった。

 

ちなみに余談だが、
脚立から落ちたときに エアコンのフィルターカバーを破壊 してしまい、
エアコンそのものもお釈迦になってしまい、買い替えるハメになった。

 

痛い出費だ。

 

踏んだり蹴ったりである。

 

 

救急搬送の記録

 

 

これまで、このブログでは
救急搬送1回目から6回目まで の話を書いてきた。

 

ちなみに 7回目 はすでに別の記事で触れている。

退職の挨拶に会社へ行く途中、階段から転げ落ちて救急搬送された件だ。

 

最初に全部で7回救急搬送されたと書いたので、だから本当は今回の記事で

 

「これで救急搬送の話は終わりです」

 

と、きれいに締めたかった。

 

だが——

残念ながら、人生はそう都合よく終わってくれない。

 

実は、もう一度救急搬送されることになる。

 

しかも今度は、
「そんなのありかよ」という出来事だった。

話しがガンの話しに戻る。

 

その話は、また次回に。

 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は13回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。

 

崩れていく日常

 

 

 

不安な日々が続いていた。
仕事も私生活も、すべてがうまくいかない。

 

これまで仕事で大きな失敗をしたことなどなかった。
システム開発の第一線でプロジェクトをリードしてきた、という自負もあった。

 

ところがその頃の私は、
期日を守れなかったり、間違ったものをそのまま顧客に引き渡してしまったりと、信じられないようなミスを繰り返していた。

 

プライドはボロボロだった。
自己嫌悪ばかりが積み重なり、次第に自信も失われていく。

 

酒の量も増えていった。
一日中、頭がもうろうとしている。

 

何をしても面白くない。
というより、何もする気が起きない。

 

そんな日々が続いていた。

 

 

金曜日の深酒

 

 

ある金曜日の夜、私はかなり深酒をした。
どんな夢を見たのかも覚えていないが、どこかおかしな夢だったように思う。

翌朝目を覚ましたとき、


自分が自分ではないような、妙な感覚があった。

眼鏡が合わなくなっている気がして、作り直すことにした。
妻に付き添ってもらい、出かけることにした。

 

ただ、前日飲みすぎたこともあり、少し寝てから行くことにした。

これが後から振り返ると ポイント① だった。

 

 

記憶の空白

 

 

「病院いくよ」

妻に起こされた。
これが ポイント②

 

私は、眼鏡を作り直すのだから眼科に行くのだろうと思い、妻に確認した。
妻は「そう」と答えた。

 

マンションのエントランスまで行くと、救急車が止まっていた。

 

救急隊員が私に乗るよう促してくる。

 

「眼科に行くのに、なぜ救急車?」

 

そう思った私は、必死に抵抗した。
しかし、救急隊員の体力には到底かなわない。
私はストレッチャーに縛り付けられてしまった。

 

そこで観念した。

 

…そこまでは覚えている。

 

 

気づいたら病院のベッド

 

 

次に気がついたとき、私は病院のベッドの上にいた。

妻と子ども、そして看護師がそばにいた。

 

話を聞くと、私は 2〜3日眠っていた らしい。
正確には、暴れるため睡眠薬で眠らされ、ベッドに縛られていたという。

 

どうやら、ポイント①と②の間 に私は家の中を叫びながら走り回っていたらしい。
訳の分からないことを叫び、暴れ、そのまま眠り込んだという。

 

心配した妻が救急車を呼んだのだった。

 

看護師に体調を聞かれたが、どうも焦点が合わない。

 

青いスマホの上に、
赤いイトミミズのような模様 が見えていた。

 

CTやMRIなどの検査は、眠っている間に終わっていた。
さらに眼科の検査も行われた。

診断は、やはり ミトコンドリア脳症 だった。

 

私はそのまましばらく入院することになった。

 

 

よみがえる奇妙な記憶

 

 

入院しているうちに、
ポイント①と②の間の記憶が、少しずつよみがえってきた。

 

しかし、その内容はどれも奇妙なものばかりだった。

  • 自分が生まれる瞬間を、自分の目線で見ている
  • 梅干しの種で特許を取った
  • 定年退職してのんびり暮らしている

どれも現実ではあり得ない、まるで夢の断片のような光景だった。

 

先ほど

 

>ただ、前日飲みすぎたこともあり、少し寝てから行くことにした。

>訳の分からないことを叫び、暴れ、そのまま眠り込んだらしい

 

この時、夢ではなくて、現実としてそんなことを叫んで暴れたのかもしれない。

 

原因はミトコンドリア脳症なのだろう。


だが、私自身はこう思っている。

それまで積み重なっていた 強いストレス が引き金だったのではないか、と。

 

プライドは傷つき、
自己嫌悪と自信喪失が積み重なっていた。

 

 

現場を離れる

 

 

退院後、会社へ行くと、すでに事情は伝わっていた。

 

私は システム開発の現場から外されることになった。

 

配属されたのは管理部門だった。

 

数億円規模のプロジェクトを率いてきた私にとって正直、悔しさもあった。
だが同時に、心は少しずつ落ち着いていった。

 

ここで気持ちを切り替え、与えられた仕事に取り組むことにした。

 

 

転職活動、そしてコロナ

 

 

しかし、やはり私はシステム開発の現場に戻りたかった。

 

転職サイトに登録し、転職活動を始めた。

 

職務経歴や保有スキルだけ見れば、
システムエンジニアとしての経歴はそれなりに立派だった。

 

そのため、面接のオファーはよく来た。

 

だが、現実は厳しかった。

 

年齢と高額報酬。

 

この二つがネックとなり、結果はことごとく不採用だった。

 

そんな中、世の中では コロナ禍 が始まった。

 

転職活動どころではなくなった。

私は諦めて、今の仕事に集中することにした。

 

 

小さな工夫の仕事

 

 

管理部門の仕事は、決して面白いものではなかった。

 

だが、前任者のやり方はかなり属人的だった。

 

そこで私は、

  • 業務の標準化
  • 手順の整理
  • 定例業務のツール化

などを進めていった。

 

地味な仕事ではある。
しかし、自分なりに工夫し改善していくことには、わずかな楽しさもあった。

数年経過したが、ミトコンドリア脳症の症状も現れない。

 

やがてコロナが拡大し、会社でも テレワーク が始まった。

 

そして——

 

私はまた、やってしまうことになる。

 

 

次回へ

 

 

ようやく落ち着き始めたと思っていた日常。
 

テレワークの始まりとともに、
私は再び思いもよらない出来事を引き起こしてしまう。

 

その話は、また次回に。

 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は12回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。

 

転倒虫

 

「またかよ…」
俺は、4度目の救急搬送で、病院のベッドに横たわりながら、そう呟いた。
あれから半年。
前回の救急搬送から、ようやく落ち着いた生活を送れると思っていた矢先だった。
2、3ヶ月の間に、まるで何かに取り憑かれたかのように、俺は何度も転倒を繰り返した。
 

 

転倒その1

 

最初は、寝室で何の前触れもなく転んだ。
「あっ、こけちゃった」
そう軽く受け止めていた。


転倒その2

 

次の転倒は、自宅付近の歩道だった。
急に足がもつれ、植え込みに倒れ込んでしまい脱出できなくなってしまった。
脱出しようともがいていると、近くの商店の店員さんが助け起こしてくれた。
「なんだったんだ?」
と、寝室での転倒が頭をよぎり、胸騒ぎがした。


転倒その3

 

3度目。
会社帰りの駅で、エレベーターを待っていると、突然足がガクガクと震え出した。
なんとか改札までたどり着いたものの、ホームへの階段で力尽き、10段ほど転げ落ちてしまった。
左の鎖骨を強打し、夜も眠れないほどの痛みに襲われた。
整形外科では打撲と診断されたが、体の異変は明らかだった。


転倒その4

 

ラスト
やはり会社からの帰り道、コンビニに寄ろうと歩いていると、また足がガクガクと震え始めた。
今度は目の前がクラクラし、景色が回り出した。
消火栓の鉄柱に掴まろうとしたが、そのまま植え込みに倒れ込んでしまった。
動けずに途方に暮れていると、通りがかりの人が救急車を呼んでくれた。


4度目の救急搬送

 

運ばれたのは、奇しくも以前心臓の病気で入院した病院だった。
診察の結果、告げられた病名は「ミトコンドリア脳症の疑い」。

(ミトコンドリア脳症は末尾参照)
3度目の救急搬送時の資料から、その兆候が見られたという。
「もっと早く分かっていれば…」
前回は誤診だったのか見落とされたのか、悔しさがこみ上げた。
しかし、疑いの段階であり、有効な治療法もないという。
「疲れないように」
医師の言葉が、重く響いた。
いつまた発症するのか分からない不安。
それでも、この時から1年ほどは落ち着いた日々を送ることができていた。


悪夢再び

 

しかし…
「またかよ…」
平穏な日々は長くは続かなかった。
(続きは次回へ)


参考

 

ミトコンドリア脳症とは?
ミトコンドリア脳症は、細胞内でエネルギーを作り出すミトコンドリアに異常が生じることで発症する病気の総称。
脳や筋肉などエネルギーを多く必要とする臓器が影響を受けやすく、けいれん、脱力、意識障害など多様な症状が現れる。
遺伝的要因が関与することが多いものの、確定診断が難しく、現在のところ根本的な治療法は確立されていない。

 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は11回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。
 

 

 

今回は、私が40代後半に経験した3回目の救急搬送について。
この出来事が、後に私の人生に大きな影響を及ぼすことになったのである。

 

 予兆


ある朝、目を覚ますと体調がすぐれなかった。
体が重く、立ち上がるのもつらい状態。
仕方なく少し休んでから出社することにした。

1–2時間ほど休んだ後、「そろそろ行かなければ」と思い、ベッドから立ち上がろうとしたが、足がまったく言うことをきかない。
ベッドに腰かけた状態から立とうと試みても、結局床にへたり込んでしまう始末。
何度挑戦しても結果は同じ。


不安になり家族を呼び、状況を説明すると、すぐに救急車を呼ぶことになった。

 

 救急搬送と診断


搬送先の病院では、足が動かない原因として脳梗塞などの脳のトラブルが疑われ、CT検査などが行われた。


その日はそのまま入院となったが、検査の結果は「特に異常なし」であった。
不思議なことに、自分自身も次第に普通に立てるようになり、再度の検査でも異常は見つからなかった。

担当医からは「全く問題なし。一過性のものだろう」との診断を受け、退院した。
退院後は特に問題もなく、普通に出勤した。

 
ピンチの始まり


しかし、この救急搬送は、後に私の人生に大きな影響を与えることになった。
実は、このとき脳に問題があったのである。

後になって分かったことだが、この時の検査では見落としがあったらしく、どうやら誤診だったようだ。
この誤診が引き金となり、私の仕事や日常生活に様々な支障をもたらした。
会社ではこれまで通りのパフォーマンスを発揮できなくなり、周囲に迷惑をかけることも増えていった。

精神的にも肉体的にもつらい日々が続き、この経験は私にとって大きな試練となった。
この先の出来事については、次回以降のブログで。
 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は10回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。

 

 救急搬送2回目:40代での試練


前回のブログでは、飲酒が原因で救急搬送された話をした。

今回はその数年後、40代に入ってからの話。

 

 続く体調不良

 

ある日を境に、朝起きるのが辛くなり、仕事にも支障をきたすようになってきた。
始業ギリギリに出社する日が続き、数か月後には遅刻や午後からの出社が増えてきた。
会議中に人の話が理解できなかったり、提出する書類のミスをすることがしばしばあった。
周囲から心配され、上司の勧めで心療内科を受診すると

 

「うつ病」

と診断され、投薬治療を始めた。



 

しかし改善の兆しはなく、むしろ新たな症状が現れはじめた。
 ・夜中に大量の寝汗をかく
 ・顔や手足のむくみが取れない

そのような中、健康診断で肺に影が見つかった。
そして再検査の結果で、肺に水が溜まっており、原因は

 

「心臓の異常」

である可能性が指摘された。
その後、紹介された大きな病院で詳細な検査を受けることになった。
 

飲酒が原因で救急搬送された時と同じく12月末の出来事。
また、その紹介された病院は、前回紹介した流血事件の時に救急搬送された所と同じであった。
何かの因縁か。

 

 年明けの入院


年が明けて紹介された病院でレントゲンや血液検査等を受けた結果、
 ・心臓の肥大(通常の1.5倍位)
 ・異常に高い脈拍(約140回/分)
 ・重度の体のむくみ
 

これらが確認され、医師から

即時入院を勧められた

最初は翌日に再来院するつもりであったが、医師から「この状態で帰すわけにはいかない」と言われ、その場で入院することに。

入院中は安静を保ちながら、心エコーなど様々な検査を受けた。
体のむくみや肺の水分は心臓の機能低下によるものと判明し、利尿剤の投与が開始された。

参考だが、トイレの際は排尿の量を計測するよう指示されていたのだが、利尿剤投与直後は2,3時間のうちに500ccの計量カップで測れないほどの量が数回採取さた。
これにより体重が数キロ減り、むくみも改善した。

 

 見えてきた原因と課題

 

さらに詳しい検査で、心臓の弁が正常に開閉せず

血液の逆流が発生していることが分かった

このため、心臓は通常の30–40%程度しか血液を送り出せておらず、それを補うために脈拍が速くなり、心臓が肥大していたとのこと。

「常にマラソンしているような状態」と看護師に例えられたこの状況を改善するため、弁の補強手術を受けることになり、専門の病院へ転院することになった。

 

 

 救急車での転院


転院は救急車を利用した


緊急走行はせず、交通ルールにのっとった走り方だった。
緊急性がない場合でも、安全を考慮して医師が同乗し、また、いざという時は医療装備があり、かつ緊急走行できるように救急車が使用されるとのこと。
このような形で救急車が使用されることを初めて知った

 


ちなみに病名は「僧帽弁閉鎖不全」。

転院先の病院では心臓の弁の補強手術を受け、脈拍は90–100回に落ち着き、心臓の肥大も解消。退院後は2か月ちょいの自宅療養を経て、無事に職場復帰できた。

復帰後は普通に勤務できた。

今回の体調不良は健康診断をきっかけに発見、治療に至った。改めて

健康診断は大事

と認識した。

 

ところで「うつ病」って、何だったのだろうか?

 

 

 過去を振り返って


学生時代、スポーツが得意だったと前回のブログで述べた。
しかし、長距離走や水泳が苦手で、かつ他人より息が上がりやすかったことを思い出した。
もしかすると、当時から心臓に問題を抱えていたのかもしれない。
加齢や生活習慣がそれを顕在化させたのではと想像するが、正確な原因は分からない。

 

 


次回予告

今回は救急車に乗る経緯と、このような救急車の使いかたの話を伝えたが、当時はこれがさらなる救急車との縁の始まりになるとは思ってもいなかった。

続きは次回にて。
 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は9回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。

 はじめに

 

今回から、私が救急車で搬送された経験について話す。

まずは数字から見てみよう。
これまでに救急車に乗った回数は、なんと9回。
そのうち、自分が救急車で搬送されたのは7回である。
さらに内訳を見てみると、


怪我による搬送が3回
病気による搬送が4回


という結果になっている。

この数字だけ見ると、

「この人は体が弱くて不注意な人なのだろう」

と思われるかもしれない。
しかし、意外に思われるかもしれないが、私は若い頃、体力には自信があり、運動神経も良い方だった。

 救急搬送された人はこんな人

 

ここで私の過去を振り返ってみる。

幼少期


テレビゲームのない時代、外で虫やザリガニ、オタマジャクシを取ったり、ゴム飛び、かけっこ、缶蹴り、野球など、活発に遊んでいた

小学校


運動会ではリレー選手に選ばれ走り高跳びでは常に学年トップだった。
これは中学3年生まで続いた。

   


6年生の時には、市町村のサッカー大会で学校代表に選出された。

少年野球チームにも所属していた。

 

中学校〜高校


中学入学時には身長が170cm近くありバレーボール部に入部した。
1年生から試合に出場し、2年生時にはエースアタッカーとして活躍。
その実力が認められ、バレーボールの強豪高校からスカウトを受け進学することとなった。
中学卒業時には地元の新聞に「有力選手の進学先」として名前が掲載された。
県内の中学バレーボール界ではトップ5に入る実力だったと人づてに聞いている。

高校時代は強豪校ということもあり、すぐにレギュラーにはなれなかった。
しかし、3年生時にはレギュラーとして県代表で全国大会に出場した(結果は2回戦敗退)。

中学から高校まで、体育の成績は常に満点。マット運動等、模範演技をすることも多かった。

 

大学〜社会人

 

大学では選手としてではなく、女子高のバレーボール部でコーチを卒業まで続けた。
また、バレーボール以外にもスキーを始め、友人から「上達が早い」と褒められるほどだった。
ウェーデルンもすぐに習得し、急斜面も滑れるようになった。


 

しかし、社会人になってからは運動する機会がほとんどなくなった
それでも若いうちはスキーに行ったり、会社の球技大会に参加したりしていたが、30代になるとほとんど体を動かさなくなった。
ただ、子供が小さいうちは一緒に遊んで体を使うことは多かった。

このように、若い頃はスポーツに打ち込み、体力には自信があった私だが、なぜこんなにも救急車にお世話になることになったのだろうか。

 

 

 

 救急搬送1回目

 

今回は、その最初の出来事、36歳の冬の日のことを話す。

忘れもしない、12月30日のことだった。
会社の納会があり、その後二次会、三次会と続いたが、終電の時間になったため、私は一人で帰路についた。

そこまでは覚えているのだが…。

次に気づいた時には、歩道の端に腰掛けていて、「大丈夫ですか?」と声をかけられていた。

どうやら額から出血していたようだった

通りすがりの親切な方から大量のティッシュをいただき、止血しながら駅へ向かった。
しかし、出血はなかなか止まらず、ハンカチで押さえても

地面に血が滴り落ちる状態

だった。
「これはまずい」と思い、近くの交番に助けを求めた。
警察官に止血してもらっているうちに、いつの間にか

救急車が到着し、そのまま病院へ搬送された。

レントゲンを撮った結果、骨に異常はなく、額の左側を1、2針縫うだけで済んだのだが…

大事には至らなかったものの、

一体どのように怪我をしたのか全く記憶にない

 

 

転んだのだろうか?

酒には強い方で、これまで飲み過ぎて気分が悪くなったり、頭が痛くなったりすることはあっても、記憶をなくすような経験はなかった。
ひどく酔った時でも、折り畳み傘を失くさずに持って帰るくらい、意識は保たれていたはずなのだが…。

 続く

 

この出来事をきっかけに、私の救急車人生が幕を開けることになった。

次回以降、他のエピソードについても紹介していきたいと思う。

 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!

 

 

このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は8回目です。

末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。

 

退職

 

 

 

2022年9月より傷病休職していたが、2024年11月5日をもって休職期間が満了し、退職することとなった。
本記事では、退職にあたり必要な対応やその選択肢について整理する。

 

  健康保険

退職後の健康保険については、以下の選択肢がある。

1.組合保険の任意継続保険
2.国民健康保険
3.被扶養者として扶養者の健康保険に加入

3は選択肢として該当しなかったため、1と2の比較を行った。
保険料の単純比較では2の方が安価であるが、1を選択することで「傷病手当金」の支給を受けられる。この手当金を考慮すると、1の方が経済的に有利であった。
また、組合保険を継続することで介護保険も同時に処理できるメリットがあり、任意継続保険を選択した。
ただし、任意継続には期間制限があるため、終了後は国民健康保険への切り替えが必要である。

 

  厚生年金

退職に伴い厚生年金から脱退し、国民年金に加入した。
ただし、自分は身体障害者認定を受けているため、保険料は免除されることになった。

 

  企業年金

企業年金については退職により掛金の払込みは終わるが、60歳以降に老齢年金として支給される予定。
ただし、障害給付金(障害年金)を受給しているため、減額給付になる見込みである。
 

  介護保険

健康保険を任意継続したことで介護保険の支払いもカバーされた。
ただし、保険の任意継続期間が終了した後は個別に納付手続きを行う必要がある。

  雇用保険
 

退職後は雇用保険料の支払い義務がなくなる。

雇用保険を納付していて退職した場合、失業手当を給付してもらえる。
しかし、失業手当については「病気やけがのためすぐに就職できない場合は支給対象外」という条件があり、自分はそれに該当するため、現時点では受給できない。
ただし、離職後1年以内に病気が原因で30日以上働けない状態が続いた場合、受給期間を延長手続をすることで給付時期の変更が可能とのこと。

回復状態を勘案して今後検討する予定である。

  その他の補足事項
 

 

退職金
 

勤務していた会社から退職金が支給される予定であるが、現時点ではまだ受け取っていない。支給は退職日の翌々月になるとのことである。

 

住宅ローン
 

退職後も返済が継続する予定であったが、退職による財形貯蓄の解約により全額返済することができた。
なお、参考情報になるが、ローン完済後は抵当権抹消手続きを行う必要があったが、YouTubeなどを活用して自力で手続きし、行政書士に頼んだ場合の費用(10,000円位?)を削減できた。

 

社会保険等の管理について

これまで、社会保険関連の手続きは会社が管理していたが、退職後は自分で管理する必要がある。保険料の納付や切り替え時期の確認、確定申告なども含めて対応が求められる。
サラリーマン時代の便利さを改めて実感している。

 

最後に

 

これまで投稿してきたブログでは、障害者認定や各種給付金の手続きやお金の出入りについて述べてきたが、同じような状況の方はぜひ参考にしてみて欲しい。

なお、実際の障害者認定や各種給付金の手続きについてはほぼ全て妻が行った。
また、抗がん剤治療が現在も継続中であり、妻には治療の付き添いもしてもらっている。
この場を借りて心から感謝を伝えたいと思う。
これからもよろしく。

と、締めて終わらせようと思ったのだが…

 

補足(蛇足)


退職の日、退職書類の提出がてら片付けや挨拶をするために、久々に出社することにした。
車で送ってもらおうと地下の駐車場に向かって階段を降りる際、足を踏み外して転倒、そのまま10段ほど転げ落ちてしまった。
背中を強打し頭部から出血、救急車で病院へ搬送されてしまった。
背骨の軽い骨折と、頭部3針、腕8針の裂傷、脚打撲および擦り傷で、一週間ほど入院となった。
結局出社できなかった。
今はほぼ回復している。

これで救急車乗ったのは7回目だ。

今回でこのブロブは終わらせるつもりだったが、今度は救急車で搬送された件について掲載してみよう。
興味のある方はみて欲しい。

なので、続く。
 

目次

 

第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道

 ↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。

 

第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談

 ↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。

 

第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで

 ↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。

 

第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと

 ↑病気療養中に見た、特別な光景です。

 

第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度

 ↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。

 

第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実

 ↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。

 

第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事

 ↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。

 

第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費

 ↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。

  同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。

 

第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失

 ↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。

 

第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変

 

第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送

 

第12回:医師から告げられた診断とその衝撃

 

第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景

 

第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送

 

第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事

 ↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。

 

第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ

 ↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。

 

どうぞご覧ください!