このブログは、がんと診断され身体障害者となった私の体験を、全16回で記録したものです。
・がんで働けなくなった人
・障害年金を申請する人
・救急搬送を繰り返した体験を知りたい人
に向けて書いています。
今回は16回目です。
末尾に各回の目次(リンク)を記載しています。
本記事と合わせてごらんください。
世間ではよく「抗がん剤治療はつらい」と言われる。
私自身、がんを患い、手術・抗がん剤・放射線と一通りの治療を経験した。
手術は麻酔がかかるため、気づけば終わっている。
「つらい」という意味では、手術そのものはあまり実感がなかった。
放射線治療は、数十分間体を固定されるのが苦しかった。固定器具がきつくて痛かった。
しかし、これらの治療にも後遺症は残ったものの、副作用という意味で最も大変だったのは抗がん剤だった。
ここでは、私が経験した抗がん剤の副作用について紹介したい。
抗がん剤治療は3つのフェーズに分けて行われた。
抗がん剤治療① 一発勝負の36時間投与
最初の抗がん剤は、いわば「一発勝負」の薬だった。
約36時間かけて投与するもので、手術後そのまま入院中に行われた。
主な副作用
発熱
38度以上の発熱が数日続いた。
強い倦怠感
発熱とともに体がだるく、ほとんど動けなかった。
下痢
発熱と倦怠感のため、出たことに気づかないほどだった。
そのため、おむつを使用していた。
酸欠
自覚症状はなかったが、測定すると酸素不足の数値。
気管切開した部分から酸素吸入で補った。
脱毛
年齢のわりに毛量は多い方だったが、
気づけば鳥のヒナのような頭になっていた。
このような状態だったため、トイレへ行くにも
という生活だった。
脱毛も厄介だった。
ベッドの上は抜け毛だらけになり、粘着テープ付きのコロコロを何本使ったことか。
この状態は約3週間続いた。
酸素吸入は退院まで続いた。
抗がん剤治療② 全身の湿疹との戦い
この頃には、髪の毛はほぼ元に戻っていた。
治療方法は変わり、
3週間に1回、通院して数十分投与する形式になった。
主な副作用
全身の湿疹
磯や堤防にいるフジツボのような気味の悪い湿疹が、全身に現れた。
とにかく猛烈にかゆい。
頭皮にもできたため、薬を塗るのが本当に大変だった。
直接的な副作用はこれくらいで、脱毛もなかった。
しかし、かゆさに負けて掻いてしまい、
出血 → かさぶた → また掻く
という繰り返し。
家の中にはかさぶたが落ち、
妻からは「掃除が大変」と言われてしまった。
申し訳ない話である。
抗がん剤治療③ 手のひらの激痛
湿疹が少し落ち着いたころ、3回目の治療が始まった。
方法は
週1回投与 × 3週間 → 1週間休み
というサイクル。
薬も変わり、1回あたり約4時間かかる点滴だった。
主な副作用
湿疹
今度は蚊に刺されたような湿疹。
やはり、かゆさは相当だった。
皮膚の乾燥
保湿しないと皮膚が粉のようになって落ちた。
手のひらと指のダメージ(これが最悪)
- 指や手のひらが割れる
- 物に触れるたび激痛
- 爪が剥がれる(手は全部剥がれた)
痛みは少ないが、物を持つときにうまく力が入らない。
絆創膏で保護したが、何枚も貼るのは面倒だし、
正直言って不経済だった。
副腎機能の低下
あと、前回も触れた通り、抗がん剤の影響で副腎機能が低下した。
薬の飲み方を誤って胃に穴が空いてしまった。
投薬の継続
現在5種類の薬を服用している。
うち2つは抗がん剤による、前述の副腎機能の低下に伴うものである。
参考までに他の薬を紹介する。何れもガンとは関係しない。
・整腸剤
お腹を壊しやすいので。
服用する前は1日10回近くトイレに行っていた。
・心拍数を制御する薬
救急搬送編でもふれたが、以前心臓をやった時のを継続している。
・尿酸を抑える薬
痛風もやってしまった。この時も激痛に襲われて大変だった。
救急搬送はされなかったが、休日診療の世話になってしまった。
抗がん剤の副作用は今どうなったか
抗がん剤をやめて約1年が経った。
現在は
- ほとんどの症状は解消
- 髪の毛も復活
- かゆみは少し残る程度
ただし、湿疹の跡はかなり残っている。
正直、見た目はあまりきれいとは言えない。
夏でも半袖は着ない。
こんな腕を見せたら、他人に不快な思いをさせてしまうかもしれないからだ。
後に気づいたことがある。
抗がん剤の影響かは定かではないが、以下の変化があった。
血圧と脈拍に変化があった。
・抗がん剤投与時からしばらく
血圧(上)80~90前後、脈拍 100を超えることがよくあった
・抗がん剤中止後1年経過時(現在)
血圧(上)100超、脈拍80~90で推移
この数値がどちらが良いのかはよく分からないが、抗がん剤の影響と考えられる。
実際、がんに罹る前は、後者の数値に近かった気がする。
(注意)脈拍は心臓を悪くしたこともあり、通常よりは多い。
あと、体重が増加した。もとの体重に近くなった。
手術の後遺症
私の手術はかなり大がかりだった。
- 下顎の骨と左奥歯1本を残し、ほぼ全摘出
- 舌の大半を切除
- 失った部分は腹部・胸部の組織を移植
呼吸のために気管切開を行い、
カニューレという器具を装着して呼吸するようになった。
また、口から食事ができないため、
腹部から胃へ直接栄養を入れる胃ろうも装着した。
気管カニューレの生活
- 痰を吸引機で定期的に吸引
- 器具が擦れて傷になる
- ベルトの洗濯や交換
- 定期的な器具交換
さらに、水が入ると危険なため、風呂も慎重に入らなければならない。
しかし何よりつらいのは、
声が出せないこと
である。
胃ろうの生活
胃ろうの生活も不便が多い。
- 栄養剤を注入するポンプが必要
- 使用後は器具の洗浄が必要
- 食事を挟む外出ができない
やむを得ない場合は食事を抜くしかない。
さらに、
食べる楽しみがない。
栄養剤と飲み物くらいしか口にできない。いや、注入できない。
テレビでグルメ番組を見ると、少し寂しい気持ちになる。
放射線治療の後遺症
放射線治療自体はそれほどつらくなかった。
しかし、照射した左鎖骨付近の皮膚が大変なことになった。
約5cm四方がケロイド状になり、
そこから体液がダラダラと流れ出てきた。
ガーゼでは足りず、尿取りパッドで吸収したほどである。
裏の背中側も、軽いが同じ状態になった。
体液は徐々に減り、
完全に止まるまで約1年かかった。
現在は止まり、ケロイドもほぼ落ち着いたが、
触ると少し痛いような、変な違和感は残っている。
補足:点滴ポートのトラブル
抗がん剤の点滴は、血管を守るため
**CVポート(点滴用ポート)**を上腕に埋め込んで行った。
しかし、
- 感染して腕が倍ほど腫れる
- 再埋め込み
- さらにポートの一部が皮膚を突き破る
などのトラブルがあり、最終的には抜去した。
そして今
手術をして3年半経った2026年3月現在、再発の気配はない。
ありがたいことに、今は落ち着いた生活を送っている。
とはいえ、手術の後遺症が消えたわけではない。
声は出ないし、食事も楽しめない。生活にはいろいろな制約がある。
それでも、今の生活はそれなりに気に入っている。
月に数回、妻が車で近隣の観光地や公園に連れ出してくれる。
週末になるとウイスキーを開ける。
トリスかブラックニッカの安売りしている方だ。どうせ味はあまり分からない。
ロックはさすがにきつかったし、ハイボールは炭酸の泡が合わなかった。
結局、今は水割りに落ち着いている。
金曜・土曜・日曜で、だいたいボトル1本。
とはいえ、いつも瓶の底に2センチくらい残る。
それはどうするかというと、月曜から木曜のどこかで私が「始末」している。
まあ、もったいないからである。
医者と看護師には、この酒のことは話してある。
「我慢して苦しむくらいなら飲みます」と。
もしそれで体が悪くなるなら、それはそれで仕方がない。
楽しめるものは楽しむ。
それが今の私のQOLであり、私の生き方だと思っている。
もともと私は
「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」
と思って生きてきた。
がんになったことも、大きな手術をしたことも、もう変えられない。
だからそこを嘆いても仕方がない。
変えられるのは、これからどう生きるかだけだ。
さて、このブログだが、ここで一区切りにしようと思う。
2026年3月現在、再発の兆候はない。
だから、もう書くことがない。
もし再発すれば、また経過を書くことになるだろう。
しかし正直に言えば、それはあまり望んでいない。
がんになることよりも、
今の生活よりつらい状態に戻ることの方が嫌だからだ。
せっかくここまで日常を取り戻した。
時々ドライブをし、
週末にはウイスキーを飲み、
普通に生活する。
それで十分だと思っている。
だから、このブログの続きが書かれなかったら、
それは再発していないということだと思ってほしい。
それが、私にとって一番いい結末だからである
目次
第1回 :余命宣告後の自宅療養中に知った「障害年金」と「身体障がい者認定」への道
↑ガンを起因として障がい者に認定された経緯です。
第2回 :身体障害者手帳の申請から交付まで|認定までの体験談
↑どのような障害が残り、どのような認定のされ方をしたのかの説明です。
第3回 :がんで働けなくなった後のお金|申請から受給まで
↑がん治療にかかったお金と、それをカバーする制度を紹介します。
第4回 :窓の外に見たドローン夏祭り|病気になって感じたこと
↑病気療養中に見た、特別な光景です。
第5回 :病気で働けない生活を支えてくれた制度
↑主に障害年金や保険に関する制度や手続きの経験談です。
第6回 :手術・抗がん剤・治療の日々|闘病生活の現実
↑一体どのような病状だったのか、そしてこの時どのような状況だったかを報告してます。
第7回 :がん闘病中に入ってきたお金|生活を支えた出来事
↑第5回に加えて支給されたお金の話しです。
第8回 :がんで会社を離れた後の手続きと医療費
↑会社を退職したことによる、保険や年金の扱いについてのエトセトラ。
同時に次回以降続く救急搬送された序章になります。
第9回 :体力自慢だった私の過去|36歳で経験した記憶喪失
↑1回目の救急搬送です。以降第15回まで同様です。
第10回:救急車で運ばれた日|最初の異変
第11回:何度も続いた体調異変と救急搬送
第12回:医師から告げられた診断とその衝撃
第13回:脳症による幻覚と暴れ|入院中に見た信じられない光景
第14回:テレワーク中の異変|仕事中に起きた体調悪化と救急搬送
第15回:命の危険を感じた夜|闘病生活で最も危険だった出来事
↑この救急搬送の時は大変でした。医療関係者を巻き込んで大騒ぎでした。
第16回:【実体験:がん治療を振り返る】手術・抗がん剤・入院…闘病生活のまとめ
↑最終回。ガン治療の総括と現時点での私の状況報告です。
どうぞご覧ください!