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どこまで行けるかな

日々のこと、思った事など。

今日は腰痛にチャレンジですキョロキョロ

 

内側を見て行くアプローチもしますが、今日は腰痛のあるままピラティスに行ってみました。肉体の方のチャレンジグー

 

ピラティスは元はリハビリ目的で始まったものらしいですし、エクササイズでは腰を守る動きなどします。でももちろん腰痛の人がやったらイタタタタってなる動きもあります。

 

肉体のチャレンジではありますが、ちょっとスピリチュアルというか精神的な要素を入れ込みつつニコニコ

 

痛みというのは力が入っているから痛い。だから抜けばいい。(By師匠)と聞いたので痛っ!てなる場面で恐怖と自衛から入ってる腰の力を思い切って抜いてみたらどうなのかしら?と思ってやってみたんです。

 

最初は中々できないんですよね。怖いし痛いし・・。でも思い切って抜く。そしたら確かに力入っちゃってる時より痛くない!でもやっぱり痛みはあるーっと思った直後にその痛みがスーーっと抜けていく感ありびっくり

痛みがリリースされるような・・面白い感覚。

一度成功してしまえば、その動きの中では痛みは出なかったけど、違う動きになるとまた痛みが出たりしました。

 

自然と力を抜けるようになるまでもう少し精進が必要だな。

そもそもどんな瞬間も骨からスッと動く事で、最小の力で最大の可動をするカラダにならなくては。筋肉中心に使って「私が」「我が」にならないように。カラダのスピ道ダルマ

 

朝起きて、よし!今日もやるぞ!とか歓喜!とかワクワク!でないなら、何がそれを妨げているのかちゃんと見る事。by師匠。

 

今日は起きた時、ちょっとずーんと重さがあったので、かくにんしてみた。この重たさの中心はどこですか?と問い、背骨近くの体の前側で少し左にズレた所に長細くはびこった感あり。

 

なんじゃろ?なんじゃろ?と「見よう」と感じたところ、錆びた剣のようなもの。両方の矢印みたいに上にも下にも矢尻の先みたいなのがついている。サビサビだけど胴体部分も両方刃がある刀のようだった。

 

もう360度刀!な感じナイフ

 

なるほど。もう「みんな大嫌い!」がよく伝わってくるというか・・

360度、全ての人に裁きの目線を向けてトゲトゲした波動を振りまいている・・ゲホゲホキザギザハートが過ぎるわね。

 

何度か中心を改め、入れ替えして来たし、今年の初めにも改めて中心を入れ替えて歓喜で行くと宣言したけれども。古いもの残っていたんだなぁ・・。

 

それでも今まで私を精一杯守ってきてくれた事に感謝の意を述べ、最高の敬意を持って光にお返しさせて頂きました。

 

うん。軽くなった。ご機嫌継続も楽になったぞ。

 

 

さて。会社は有給消化中のわたくし。

休み始めて結構たちます。その間に24時間ご機嫌な状態を保てるようにトレーニングしてます。鬼滅の刃で言う常中というやつです。

 

スピ師匠曰く、感謝とか歓喜とか敬意だとか、このバイブレーションで居るのは「普通の事、当たり前のこと」だったのに、いつからか私たちは不機嫌な子になってしまった。当たり前のように不機嫌が通常運転中。

 

その不機嫌もそう「して」いる。自らが。もう自分があえてそうしていることにも気づかないほど当たり前になっておるんですと。

 

えー。記憶にないけどそうなんだ・・

 

もうね。何年も前から今月の宿題だとかで感謝の常中とかスピ師匠からは出てるんですけど。その時は出来る限り頑張るんですよ。でも満員電車に乗った時。道の幅いっぱいにまるでGメンのように広がって歩く高校生が誰一人絶対フォメーションを崩さず突進してくる時。会社で悪口合戦が始まった時・・

 

どうしても途切れるんですよね。そんでごきげんじゃない状態だと気づくまでに凄い時間経過している・・驚きすぐ持って行かれちゃう。

それに落ち込んだり反省したりしてさらに落ちるダウン・・ことに気づいて踏ん張ってみたりアップ・・踏ん張れたことに満足してまた忘れたり・・無気力

 

なので、ホント今更ですが宿題に取り組んでいます。人との接触があまりなくても、一人でいても、なんかすぐ抜けてゆく無気力なんかコツとかあるんですかね・・師匠はど根性って言ってたけど。

 

どっこい生きてるシャツの中。

 

 

カラダも神化していくと、伸び伸びと柔軟性があり、どこにもコリみたいな硬いところなんてなく、筋肉も非常に柔らかい触り心地なのだそうだ。

 

筋肉って硬いものだと思ってた。私、肩けっこう硬いんですが、ある時マッサージ行ったら、凝ってもいるけど、これは筋肉ですよ。だから硬いんです。って言われて私の肩のこれ(硬さ)は筋肉ですっ!って言いはってたのに・・・ちょっと不満 違かったー。残念。

 

硬いところには何かしらの癒されてない情報・観念・痛み・信念などなどあるので、日々癒して行くのです。体内の中の爆弾を見つけては解除していく・・爆弾処理班なイメージでやってます。

 

例えば今、左肩に手を当てて、聞いてみた事・・

私:硬いねー!凄いねー!何があった?どんな事だった?

 

来た感じは「望みを叶えたくない」

 

私:(内心焦る。え?望み叶えないの?)そうかー。どんな望み?

 

「お母さんの」

 

私:(ああ!そう言う・・指差し)そうか。そうかー。あとは?言いたいことなんかある?

 

「いやだ いやだ いやだ ・・・・」

 

私:うん。わかった。そうねー。重かったねー。それ下ろそうねー。(ご免ねと、癒しと敬意を送る。)

 

 

私は爆弾解除が終わると鼻の通りが良くなったり、なんか体内の巡りが良くなります。肩に関して言えば、もう何度か解除を試みてますが、まだまだ硬いちょっと不満処理班の仕事は続くよ。(毎回違うのが出てきます。)

 

今回のような精神体・感情体・肉体まわりの癒しと、運動などで肉体から魂を開き、そして魂から肉体を開くこと。まだまだ私のスピ道やること目白押し。

 

カラダを神化。カラダの真価。

 

 

 

去年、プラブヨガなるものを習いに行ったのです。本格的にでなく、体験のような単発クラスです。

ちょっと足を向こう側に・・そして戻す。みたいな一見どうってことない動きが、やってみるとピクリとも動かないなんてのがあるんです滝汗

え?人体構造のアレで、そうは動かないものなんでしょ?っていうんじゃ無いんですよ。先生もアシスタントの方もするする動いっていらっしゃる。

 

動かないところは、その筋肉と脳のコネクトが無いまたはうまく行ってないんですよね。初日はまずそのコネクトできてないところを発見し、コネクトして行くをしました。先生は「今日はまずそこに挨拶しに行きましょう」っておっしゃってた。

 

自分で手を使って補助したり、他の方とペアを組んで補助してもらったりなどなどして、動かしていきます。

これぞヨガという感じの難しいポーズをするでもなく地味で簡単そうな動きなのに動かない所があり、そこを動かしていく。そんな地道な作業にこのうえない喜びと、もっとやりたい!もっともっと!という意欲がこんこんと湧き出てきます。

 

終わった後、明日の筋肉痛に怯えながらも何だろうこの解放感と清々しさ・・精神の奥底でどこかパーンッキラキラと開かれたような・・謎のハイテンションに包まれ帰宅。

 

翌日のクラスでは先生がとある発音(Raみたいなやつ)はどっかのチャクラが活性していないと出ないというような話をされていた。(すみませんうろ覚え)

初日のように脳と筋肉のコネクトというと神経だとか体の中の事という感じがしていたが、チャクラというと私てきには精神的・魂的なアプローチ。

精神からのアプローチで体のポテンシャルが上がる!?と。

何だか初めて知ったような驚き。勉強してたら筋肉ついた!?みたいな。

 

いや、もちろん根性で体を鍛えるだとか、心と体は繋がってる精神的な事が病気を生むだとか、今までも普通に分かっていたのですが・・

 

カラダとタマシイの磨き方は違くて。で、どちらも別々に磨いていくつもりでいたんです。魂の勉強の時間。体を鍛える時間。みたいな時間割が自分の中にあって。

 

初日に新しく開かれた体の神経経路に魂が開かれたような喜びや解放感を感じたのものそういう事か!

カラダから開いていくタマシイ。タマシイから開いていくカラダ。

 

スピ師匠の言う魂とご神体どっちもってこれかーーーー!

と。いまさら発言をして本日のブログを終えるお願い

 

 

 

 

もう少しで50歳ですが、数年前からピラティスやっています。

十何年ぶりに運動してみようと思い立って、何しようかな〜と考えて、思いついたのが、ヨガかピラティスだったんです。

 

スピ系の人間として、ここはやっぱりヨガかと思いましたが、なんかピラティスから始めたくなりました。

 

昔はダンスとかやってたんで、ある程度はできるかと思いきや、もう体はカッチコチで硬く、前屈なんてスネまで手が届くかな程度。

そしてかなーり太っちゃったので、脂肪が邪魔ゆえに物理的にできないポーズがある。これはかなり屈辱的笑い泣き

 

多少、若見えする方でしたので、もう自分のボディがおばちゃんになっているなんて認めたくなかったですが・・笑い泣き

でも、そうだった。もう若返るとか、ここから体のポテンシャルが伸びていくなんてことないんだなぁ。と観念したものです。

 

それでも、ピラティスはまぁ健康のために続けました。途中でヨガもやり始めましたが。続けたら何だかどんどん体のポテンシャルが上がってきましてね。体の柔軟性が上がり、可動域が広くなり、よく動けるようになりした。ダンスやってた時より動く所も結構あり。あと痩せたので、脂肪のせいでできないポーズは無くなりましたニヤニヤ

 

 うちのスピ師匠は体はご神体として、カラダの進化(神化)と魂の進化(神化)どちらもやる派です。

ご神体への進化の一つとして、体も中心を意識し、中心から動くというものがあります。体では中心=骨です。

 

その師匠からもなんか若返ったねと言われましたが、ピラティスやってたのはなかなかポイント高かったのではないかと思うんですよ。

ピラティスって骨で動きを指導されるんで、エクササイズ中ずーっと骨のこと考えてるんですよね。骨を動かす1時間みたいな。

 

カラダの進化にはさすがに年齢制限があるかと思いましたが・・

いやいや。そんなことなさげ。アセンション祭りにカラダの進化も乗せていきたい次第ですウインク

 

歯並びは良い方です。親知らずもばっちり普通の歯と同じに生えました。20代の頃、歯医者さんにそそのかされて3本むやみに抜いてしまいましたが・・ショック ま。それはさておき。

 

その歯並びの良い子のわたくしですが、1箇所、一本だけ内側に倒れ気味の歯があるのです。親知らずもバッチリ生えましたからね。全体のスペースが足りないのでしょう。それで1個だけ内側に押され気味なのだと思うと言われておりましたが、スペースが確保されたであろう後も、その1つが戻ることはありませんでした。

 

だからと言って特にその歯を気にすることなく過ごしてまいりました。良いとも悪いとも思っていなかった。そしたら今朝、というか夜明け前、その歯の痛みで目が覚めました。激痛というのではなく、痛いなぁ程度。

 

覚醒してすぐ自覚したのはその歯をピンポイントで噛み合わせを利用してグリグリと内側に押すように食いしばりをしていた事ガーン

起きた時に全体的に食い縛ってたなーと自覚したことは何度かありましたが、こんなの初めて知った!ガーン

 

ってか、傾くほど自分でやってたのかー!ずーーーっと。

ショーーックガーンガーン

どんどん痛みが引いていく中、ちょっとまだ痛みが残っている内に顔に手を当てて尋ねてみた。

 

私:痛いね。何があったの?どんなことだった?

 

来た感じは「殴られた」

 

私:(!!んん??今世殴られた記憶はないが)そうかーそうかー。そしてそして?

 

「かわいくない」「尊敬されてない」

 

そうかー。ご免ね。と癒しと敬意を送ってまた眠った。

朝起きた時、ぼんやり記憶に残っていて、この歯にそんな癒しどころがあったとは・・と思った。

夜な夜な、かわいくないと殴り続け尊敬していない自分があの歯にいたのだろう。

今後、歯並びは戻っていくだろうか。戻らなければまだ癒すべきものが隠れているかもしれない。

 

さっき道を歩いててすれ違った若い女性2人組の会話で聞こえたのが

「顔がかわいい」「そう、かわいいよね」だった。(決して私に向けられたものではないイヒ

それを聞いてああ、あの子(歯)はちゃんと癒やされたんだ。と、ぼんやり思った。

 

 

 

 

 

 

昨日のブログを書いていて「やってみる」にピリッと違和感を感じていた。何だかよくわからないけど何かなーと思いながらUPした。

 

そしたらさっき、「やってみる」の中にほんのり香る負のエネルギーに気づいた。

いやもう気づいちゃうとがっつり「やってみる」時の前提に「失敗する」とか「嫌だけど」があるじゃないの凝視

 

やってみよう!なんて思って始めたものはうまく行かなかったり、やる事自体はできたとしても何かしら苦い経験を伴っていたと思う。

もちろん失敗がいけないわけじゃないけど、もう何かそんな回り道している時代じゃない気がする。だってアセンションでしょ。

 

ただ「やる」って素直にスッと最高のスタートをきればいいのに。

スピ師匠にスタートの気がゴールの気と同じになるから、スタートが肝心と教わっていた。

 

(どうせ失敗するけど嫌でも)やってみる!なんてエネルギーで始めたら、そりゃ不自然な結果に終わるよなーー真顔

 

あぶねー。また回り道する所だった。今度こそブレないで行くって決めたのに。いや、決めたらから教えてもらえたのかな。

 

やってみる!で始めない。

ただ、やる。やる。やる。で、最速で最高のスタートを。はじめっから。

 

 

私の人生に初めて哲学をもたらしたのは叔母だった。

叔母は昔、お中元だかお歳暮だかの包装のバイトをしたことがあったのだそうだ。それで包装ができるようになったと。そして時が経ち、その経験のおかげで高級デパートで働く事ができたのだという話だった。

 

叔母曰く「どんな経験も後々役に立つことがあるんだよ。人生ってね、何がどう繋がっていくか面白い事が結構あるの。だから何でも小さな事でもやってみるのって大事。きっといつか役に立つから。」と。

 

聞いたのは高校生の頃だったと思う。

人生にそんな攻略法みたいなものがあるなんて知らなかったのだ。それからというもの、バイトでも何か頼まれごとでも、初めてやるときは叔母の言葉を思い出して「やってみる」をしていた。

 

「やってみる」を重ねていくうちに本当にいろんな場面で役に立って面白かったし、初めての事でも何かしらの応用につながる事があった。「こっちでもこれ出来るんじゃないのかな?」と思ってやると結果、素晴らしいという事にニヤニヤニヤニヤ

 

それで漠然と全部の事は結局は大元では一つなんじゃないのかな?と思った。

 

なんだか人生には哲学の他に何か秘密めいたものがある感じがして本屋さんの哲学コーナーのあたりをよく見に行った。そこでスピリチュアルを知った。

まだインターネットが普及してなかった時代なので、ここにつながるまで結構かかったのだ。

 

もちろんスピリチュアルも色々あって、今の師匠に出会うまでさらに時間がかかった。でも何でも「やってみる」のがきっと面白いから。

 

昔読んだ足立育郎さんの「波動の法則」を何十年ぶりかに読んでみた。昔は直感を使っていけば調和が取れて波動が上がっていくという内容の本だったと理解していた。

 

まあ、だいたい理解に間違いはないけれども。

今と昔では中心軸が違っていることに気付いた。

 

昔は直感を使っていけば、素敵な私になれる!と思っていた。

 

今は直感を使っていけば、全体の発展に貢献できる!という理解だ。

 

全体の発展だとか、地球の発展だとか、昔はいまいちピンと来なかった。

うん。だから私が素敵になると、それが全体に波及するんでしょ。というスタンス。中心軸は私で、おそらく小我、良くても大我。

 

今は全体の発展から、自分の幸せにつながっていく事が理解できるし、そうしたいというか、結局それしかないのだと思えている。こっちが本質の中心なのだと思う。

 

こう思える事が不思議だ。頭で理解してもそれは師匠だからでしょ、○○さんだからでしょとか思っていたことも、近年続々と腑に落ちていることがある。

これがアセンションってやつの効果なんだろうか。

もちろん。神自己ちゃんを含め、全ての後押しがあっての事だと感謝している。