あれから一年
皆さんこんにちは
いつも本当にありがとうございますm(__)m
今日は3月11日
あの大震災より一年がたちました
長かったのか、あっという間だったのか
これは住んでいる地域や被害の違いなどで変わるとは思いますが、間違いなく一年という「時」だけは経過しました
今日は朝から特番が放送されておりますが、皆さんはどんな気持ちでご覧になっているのでしょうか
私は、それぞれで悲しみや苦しみなどが違うかもしれないけれども、絶対に忘れてはならない出来事であり、「絆」を今以上に大切にしようと思う気持ちが強いので、それぞれの人たちの思いを知りたい…との個人的な考えがありまして、リモコンを握りながら観ております
そう思いながらも、でもなかなか直視できない自分も居たりします
今日は各地域で慰霊祭などの追悼行事が開催されています
名取に住む先輩や知り合いは、追悼行事には参加しないそうです
やっぱり当時のことや亡くなった友人たちのことを思い出して苦しくなってしまうからだそうです
私の先輩は私のブログの読者になってくれたのですが、地震のことを触れる内容になると読まないらしいです
私のブログ仲間さんも、同じような思いがあるようで、今日は特番を避けて、レンタルDVDを借りてきて映画を観ていらっしゃるようです
当たり前ですが、思いや考えを一律にすることなんてできませんからね
今日は大学時代の友人が東京から来ます
今は震災で亡くなった同級生のお墓参りをしているのですが、夜には私も入って仲間数人が集まりミニ同窓会みたいなことをします
私たちにできることをみんなで語り合ってきたいと思います
今日を命日として迎えなくてはならない人たちの想いをしっかり受け止めながら…
今日は終わりますm(__)m
いつも本当にありがとうございますm(__)m
今日は3月11日
あの大震災より一年がたちました
長かったのか、あっという間だったのか
これは住んでいる地域や被害の違いなどで変わるとは思いますが、間違いなく一年という「時」だけは経過しました
今日は朝から特番が放送されておりますが、皆さんはどんな気持ちでご覧になっているのでしょうか
私は、それぞれで悲しみや苦しみなどが違うかもしれないけれども、絶対に忘れてはならない出来事であり、「絆」を今以上に大切にしようと思う気持ちが強いので、それぞれの人たちの思いを知りたい…との個人的な考えがありまして、リモコンを握りながら観ております
そう思いながらも、でもなかなか直視できない自分も居たりします
今日は各地域で慰霊祭などの追悼行事が開催されています
名取に住む先輩や知り合いは、追悼行事には参加しないそうです
やっぱり当時のことや亡くなった友人たちのことを思い出して苦しくなってしまうからだそうです
私の先輩は私のブログの読者になってくれたのですが、地震のことを触れる内容になると読まないらしいです
私のブログ仲間さんも、同じような思いがあるようで、今日は特番を避けて、レンタルDVDを借りてきて映画を観ていらっしゃるようです
当たり前ですが、思いや考えを一律にすることなんてできませんからね
今日は大学時代の友人が東京から来ます
今は震災で亡くなった同級生のお墓参りをしているのですが、夜には私も入って仲間数人が集まりミニ同窓会みたいなことをします
私たちにできることをみんなで語り合ってきたいと思います
今日を命日として迎えなくてはならない人たちの想いをしっかり受け止めながら…
今日は終わりますm(__)m
あの日あの時(2)
皆さんこんばんは
いつもありがとうございますm(__)m
最近の仙台は寒暖の差が激しく、天気も雨だったり雪がガッチリ積もったり…
本当に不安定な毎日です
春が近づいているから不安定なんでしょうかね?
そう考えたいです
前回の記事で第1回目の「あの日あの時」を書かせて頂きました
近日中にまた更新すると言いながら、結局は3月になってしまいました
すみません


今日は震災を通して考えが変わったもう一つを書きたいと思います
正確に言うと、変わったというよりも改めて認識したという言い方の方が正しいかもしれません
それは…
「人間は一人では生きていけない」
…ということです
普通に聞いたら、普通に考えたら当たり前のことかもしれません
でも、私だけかもしれませんが、なんとなく一人で生きているような錯覚をする場面が今まであったような気がしてなりません
地震が起こった時間は午後2時46分。まだ明るい時間帯でした
私は海に近い場所にいましたが、地震が収まったあとは何も考えずに内陸側の国道へ向かいました
津波が来る・来ないということを冷静に判断した結果ではなく、ただ単に流れのよい広い道路に行かなくては…との、思うがままの行動でした
国道へ向かう道路はすでに地震の影響で凹凸が激しくて、通常のスピードでは走れませんでした
しかも、国道に合流する手前から超~大渋滞
すべての信号が停電のために完全に機能していなかったからです
そんな中でも無理矢理に国道へ入ったのですが、全く車は動かず、歩いたほうが早いという状況
電話もメールも一切通じず、情報としても頼れるのはラジオのみでした(その当時乗っていた車にはナビ・テレビが無かったのです
)
私は動かない車から「災害伝言板」を使って妹家族の安否を確認することに…
すでに妹が伝言板を使って状況を書き込んでおり、母親を含めてみんな無事なのを確認したあと、自分の状況を書き込みました
「今は名取にいるけど無事です。とにかく急いで仙台へ戻ります」
…これが結果的に失敗
その頃、すでにテレビでは津波の様子が放送されていたようで、宮城県名取市とかは壊滅的な被害だと言ってたようです
私が名取にいると書いたものですから、土地勘がない北海道や東京の親族や、友人たちが津波に巻き込まれたのではないかと大騒ぎしていたようですし、ブログ仲間の皆様からも個人メールやアメブロのメッセージを通して何度も心配メールを入れて頂いてたようです
m(__)m
私は途中から裏道に行ったのですが、どこへ行っても渋滞は同じ。ただ、道が狭いので、交互に譲り合えるような感じになって国道よりは若干進みました
通常、30~40分で着く道のりですが…
妹の家に到着したのは夜7時過ぎですから、ほぼ4時間かかりました
教員をしている義弟はまだ帰宅しておらず、母や妹たちは車の中で毛布をかけて暖をとってました
私は妹の家の裏にあったタンクから灯油を抜き取り、奇跡的に捨てないで保管していたダルマストーブを調整して使えるようにしました
その日は母、妹夫婦と姪っ子2人、私の計6人が、ストーブを囲んで6畳の部屋に雑魚寝ということになりましたが、幸い布団もあったのであまり寒い思いをしなくて済みました
その日の夜、近隣の様子やトイレを兼ねて(水が無かったので、[大]以外は基本は外でした)外に出ましたが、ある意味、あれほどの怖さを感じたことはありません
まさに「ゴーストタウン」
周りは真っ暗なのに、不気味に微妙な月明かりが…
人も車も通らないシーンとした状況の中で、消防車と救急車のサイレンだけが近くから遠くからずーっと鳴り響き…
角度を変えて海側に視線を移すと、地震でやられたしまった天然ガスのコンビナート火災の赤い炎と真っ黒な煙だけが見える…
さらに、そんな中、5分おきくらいに余震が起きる…
常に余震に備えなくてはならないし、どさくさ紛れの泥棒など周辺にも気を遣わなくてはならず、落ち着いて眠ることなんてできませんでした(実際に玄関などで人が歩く音が聞こえたりして、何度も義弟と家の周りをパトロールしました)
それでも
我が家で、暖房器具があって、布団があって、家族全員が揃っているだけ全然いいんですよ
慣れない避難所に、暖房器具もなく、家族の安否もわからず、自分の家も無くなって…っていう人が数え切れないほどいたことを考えれば…
いや、もしかしたらすでに安否を知っている状況で泣くに泣けない人がいたかもしれない…
もしあの時、私が一人だったら…
あの状況を乗り越えられただろうか?
たぶん無理…
いや、無理でしょう…
うまく表現はできないですが、あの恐怖感と不安感は半端じゃなかったです
あんな状況の一人は、私は絶対に無理
やっぱり人間は一人じゃ生きられないと実感しました
もちろん、そのあとのいろんな場面でも感じましたけど…
いくら強がって一人で生きていけると言ってても、それはないなと私は思います
震災後に結婚する人や、結婚相談所に申込みをする人が増えたと言われていますね
私からすれば当然の流れだと思います
私も…
以前は結婚はめんどくさいとか、自由が無くなるとか、いろいろ思ってました
それは今も変わらないと最近まで思っておりました
でもいつの間にか意識が違ってきたようです
仲間や友人といる時や、仕事に集中している時はあまり感じないのですが
運転中や、一人で家にいたりする時などに、なんとなく寂しさというか不安というか、そんなことを考えてしまう自分がいるんです
元々寂しがり屋なのかもしれませんが(笑)、なんかこのあたりの意識も間違いなく変化しました
すぐは無理ですが、結婚などについて、少し真剣に考えてみようと思います
姪っ子の成長とかをみてて、子供が欲しいという気持ちも少し出てきたような…気がします(笑)
もういい歳…どころではないので(笑)、少し柔軟に考えないとダメですね
(でも相手がおりません
)
震災から来週の日曜日でちょうど一年
復旧は進んでいますが、復興はまだまだ遅れています
みんなが頑張っているから頑張らざるをえない…という人が多くいるのも現実です
この一週間は、震災関連の番組が数多く放送されるでしょう
私もこの震災を忘れることなく、復興の一役を担えるように頑張って参りたいと思います
いつもまとまりのないブログですみませんm(__)m
でも、これからも書きますので宜しくお願い致しますm(__)m

いつもありがとうございますm(__)m
最近の仙台は寒暖の差が激しく、天気も雨だったり雪がガッチリ積もったり…
本当に不安定な毎日です

春が近づいているから不安定なんでしょうかね?
そう考えたいです

前回の記事で第1回目の「あの日あの時」を書かせて頂きました

近日中にまた更新すると言いながら、結局は3月になってしまいました

すみません



今日は震災を通して考えが変わったもう一つを書きたいと思います
正確に言うと、変わったというよりも改めて認識したという言い方の方が正しいかもしれません
それは…
「人間は一人では生きていけない」
…ということです
普通に聞いたら、普通に考えたら当たり前のことかもしれません
でも、私だけかもしれませんが、なんとなく一人で生きているような錯覚をする場面が今まであったような気がしてなりません
地震が起こった時間は午後2時46分。まだ明るい時間帯でした
私は海に近い場所にいましたが、地震が収まったあとは何も考えずに内陸側の国道へ向かいました
津波が来る・来ないということを冷静に判断した結果ではなく、ただ単に流れのよい広い道路に行かなくては…との、思うがままの行動でした
国道へ向かう道路はすでに地震の影響で凹凸が激しくて、通常のスピードでは走れませんでした
しかも、国道に合流する手前から超~大渋滞
すべての信号が停電のために完全に機能していなかったからです
そんな中でも無理矢理に国道へ入ったのですが、全く車は動かず、歩いたほうが早いという状況
電話もメールも一切通じず、情報としても頼れるのはラジオのみでした(その当時乗っていた車にはナビ・テレビが無かったのです
)私は動かない車から「災害伝言板」を使って妹家族の安否を確認することに…
すでに妹が伝言板を使って状況を書き込んでおり、母親を含めてみんな無事なのを確認したあと、自分の状況を書き込みました
「今は名取にいるけど無事です。とにかく急いで仙台へ戻ります」
…これが結果的に失敗
その頃、すでにテレビでは津波の様子が放送されていたようで、宮城県名取市とかは壊滅的な被害だと言ってたようです
私が名取にいると書いたものですから、土地勘がない北海道や東京の親族や、友人たちが津波に巻き込まれたのではないかと大騒ぎしていたようですし、ブログ仲間の皆様からも個人メールやアメブロのメッセージを通して何度も心配メールを入れて頂いてたようです
m(__)m
私は途中から裏道に行ったのですが、どこへ行っても渋滞は同じ。ただ、道が狭いので、交互に譲り合えるような感じになって国道よりは若干進みました
通常、30~40分で着く道のりですが…
妹の家に到着したのは夜7時過ぎですから、ほぼ4時間かかりました
教員をしている義弟はまだ帰宅しておらず、母や妹たちは車の中で毛布をかけて暖をとってました
私は妹の家の裏にあったタンクから灯油を抜き取り、奇跡的に捨てないで保管していたダルマストーブを調整して使えるようにしました
その日は母、妹夫婦と姪っ子2人、私の計6人が、ストーブを囲んで6畳の部屋に雑魚寝ということになりましたが、幸い布団もあったのであまり寒い思いをしなくて済みました
その日の夜、近隣の様子やトイレを兼ねて(水が無かったので、[大]以外は基本は外でした)外に出ましたが、ある意味、あれほどの怖さを感じたことはありません
まさに「ゴーストタウン」
周りは真っ暗なのに、不気味に微妙な月明かりが…
人も車も通らないシーンとした状況の中で、消防車と救急車のサイレンだけが近くから遠くからずーっと鳴り響き…
角度を変えて海側に視線を移すと、地震でやられたしまった天然ガスのコンビナート火災の赤い炎と真っ黒な煙だけが見える…
さらに、そんな中、5分おきくらいに余震が起きる…
常に余震に備えなくてはならないし、どさくさ紛れの泥棒など周辺にも気を遣わなくてはならず、落ち着いて眠ることなんてできませんでした(実際に玄関などで人が歩く音が聞こえたりして、何度も義弟と家の周りをパトロールしました)
それでも
我が家で、暖房器具があって、布団があって、家族全員が揃っているだけ全然いいんですよ
慣れない避難所に、暖房器具もなく、家族の安否もわからず、自分の家も無くなって…っていう人が数え切れないほどいたことを考えれば…
いや、もしかしたらすでに安否を知っている状況で泣くに泣けない人がいたかもしれない…
もしあの時、私が一人だったら…
あの状況を乗り越えられただろうか?
たぶん無理…
いや、無理でしょう…
うまく表現はできないですが、あの恐怖感と不安感は半端じゃなかったです
あんな状況の一人は、私は絶対に無理
やっぱり人間は一人じゃ生きられないと実感しました
もちろん、そのあとのいろんな場面でも感じましたけど…
いくら強がって一人で生きていけると言ってても、それはないなと私は思います
震災後に結婚する人や、結婚相談所に申込みをする人が増えたと言われていますね
私からすれば当然の流れだと思います
私も…
以前は結婚はめんどくさいとか、自由が無くなるとか、いろいろ思ってました
それは今も変わらないと最近まで思っておりました
でもいつの間にか意識が違ってきたようです
仲間や友人といる時や、仕事に集中している時はあまり感じないのですが
運転中や、一人で家にいたりする時などに、なんとなく寂しさというか不安というか、そんなことを考えてしまう自分がいるんです
元々寂しがり屋なのかもしれませんが(笑)、なんかこのあたりの意識も間違いなく変化しました
すぐは無理ですが、結婚などについて、少し真剣に考えてみようと思います
姪っ子の成長とかをみてて、子供が欲しいという気持ちも少し出てきたような…気がします(笑)
もういい歳…どころではないので(笑)、少し柔軟に考えないとダメですね

(でも相手がおりません
)震災から来週の日曜日でちょうど一年
復旧は進んでいますが、復興はまだまだ遅れています
みんなが頑張っているから頑張らざるをえない…という人が多くいるのも現実です
この一週間は、震災関連の番組が数多く放送されるでしょう
私もこの震災を忘れることなく、復興の一役を担えるように頑張って参りたいと思います
いつもまとまりのないブログですみませんm(__)m
でも、これからも書きますので宜しくお願い致しますm(__)m
あの日あの時(1)
皆さんこんばんは
いつも本当にありがとうございますm(__)m
先週は暖かい日もあった仙台ですが、ここ数日はまた寒くなり真冬に戻ってしまいました
早く暖かい春がやって来て欲しいです
さて、前から言ってましたが、震災の経験を含めてのブログを今回から書いていきたいと思います
毎回の更新すべてがそのような内容にならないかもしれませんが、少しでも何かを考えるきっかけになって頂ければ幸いです
また、当たり前のことですが、今回の大震災は住んでいる場所や被害の状況等により捉え方や考え方が違うと思います
私の書いたことがすべて被災者共通であるわけではないですし、必ずしも正しいことを書くわけではありません
あくまでも私個人の捉え方、考え方として読んで頂くようにお願いしますm(__)m
今回の地震を通して、人生観等々、いろんな部分で考えが変わった人は多いのではないかと思います
私の考えが変わった一つは、「会える時には会っておく」こと
会う予定をなるべく簡単に延期したりしないようにしています
もちろん無理はしない程度に…ですが
以前にも言ってましたが、今回の地震に伴う津波で友人や知人を何人も亡くしました
普段、いつものように電話やメールで連絡を取っていた人が、何の前触れもなくいなくなってしまう…
そんなことがこの震災で起こってしまいました
私の親友のお兄さんは3人の子供さん全員を亡くされてます
「津波が来てるからすぐに逃げろ!」と叫ぶ声が聞こえたので、奥さんが家にいた一番小さい子供さんを抱えて玄関の扉を開けた瞬間…
波が一気に押し寄せ、奥さんと子供をのみ込みました
津波にのまれながらも奇跡的に奥さんは助かったのですが、離れないようにしっかり抱きしめていた子供さんは、その腕の中ですでに亡くなっていたそうです
こんな別れ方、想像できますか?
同じような話は他の人からも数多く伺いました
ついさっきまで普通に生活していたのに…。
地震や津波だけではありませんが、人がいつどうなるかなんて誰もわかりません
自分が明日どうなるかさえわからないんですから
誰かが亡くなると、「会っておけば…」「連絡しておけば…」と答えている場面をテレビなどでよく観ますが、今回の地震のあと、私はそれをより強く感じるようになりました
今、日本のどこへ行っても地震に遭遇する可能性が高くなってます
実際に全国各地で小さい規模ながら地震が起きてますよね
親であれ、友人であれ、関係を大切にしながら、絶対に後悔しないように会える時には会っておくようにしていくつもりです
まだ未定ですが、関西に住む友人も仙台へ来る予定です
阪神大震災を経験しているだけに、今回の地震発生時直後からマメに連絡をくれて、いろいろな物資も送ってくれました
本当にありがたかったです
人間関係って大事ですよね。いざっていう時に本当の関係性が出ますから
ブログ仲間の皆さんからもたくさんのメッセージを頂きましたし、実際に被災地へ個人的に行かれた方もいらっしゃいます
今更ですが、心から感謝申し上げます
皆さんも親、兄弟、親友など、大切にして下さいね
ちょっと今回は何を書きたかったのか、最初に言ってたことから全然違う内容になったかもしれません
すみませんm(__)m
次回からはもう少しまともな内容にしたいと思います
年度末に向かって皆さんも忙しくなっているかと思いますが、まだまだ寒い日が続くようですので体調にはくれぐれも気をつけて乗りきって下さい
また近いうちに更新します
今後とも宜しくお願い致しますm(__)m

いつも本当にありがとうございますm(__)m
先週は暖かい日もあった仙台ですが、ここ数日はまた寒くなり真冬に戻ってしまいました

早く暖かい春がやって来て欲しいです

さて、前から言ってましたが、震災の経験を含めてのブログを今回から書いていきたいと思います
毎回の更新すべてがそのような内容にならないかもしれませんが、少しでも何かを考えるきっかけになって頂ければ幸いです

また、当たり前のことですが、今回の大震災は住んでいる場所や被害の状況等により捉え方や考え方が違うと思います
私の書いたことがすべて被災者共通であるわけではないですし、必ずしも正しいことを書くわけではありません
あくまでも私個人の捉え方、考え方として読んで頂くようにお願いしますm(__)m
今回の地震を通して、人生観等々、いろんな部分で考えが変わった人は多いのではないかと思います
私の考えが変わった一つは、「会える時には会っておく」こと
会う予定をなるべく簡単に延期したりしないようにしています
もちろん無理はしない程度に…ですが

以前にも言ってましたが、今回の地震に伴う津波で友人や知人を何人も亡くしました
普段、いつものように電話やメールで連絡を取っていた人が、何の前触れもなくいなくなってしまう…
そんなことがこの震災で起こってしまいました
私の親友のお兄さんは3人の子供さん全員を亡くされてます
「津波が来てるからすぐに逃げろ!」と叫ぶ声が聞こえたので、奥さんが家にいた一番小さい子供さんを抱えて玄関の扉を開けた瞬間…
波が一気に押し寄せ、奥さんと子供をのみ込みました
津波にのまれながらも奇跡的に奥さんは助かったのですが、離れないようにしっかり抱きしめていた子供さんは、その腕の中ですでに亡くなっていたそうです
こんな別れ方、想像できますか?
同じような話は他の人からも数多く伺いました
ついさっきまで普通に生活していたのに…。
地震や津波だけではありませんが、人がいつどうなるかなんて誰もわかりません
自分が明日どうなるかさえわからないんですから
誰かが亡くなると、「会っておけば…」「連絡しておけば…」と答えている場面をテレビなどでよく観ますが、今回の地震のあと、私はそれをより強く感じるようになりました
今、日本のどこへ行っても地震に遭遇する可能性が高くなってます
実際に全国各地で小さい規模ながら地震が起きてますよね
親であれ、友人であれ、関係を大切にしながら、絶対に後悔しないように会える時には会っておくようにしていくつもりです
まだ未定ですが、関西に住む友人も仙台へ来る予定です
阪神大震災を経験しているだけに、今回の地震発生時直後からマメに連絡をくれて、いろいろな物資も送ってくれました
本当にありがたかったです

人間関係って大事ですよね。いざっていう時に本当の関係性が出ますから
ブログ仲間の皆さんからもたくさんのメッセージを頂きましたし、実際に被災地へ個人的に行かれた方もいらっしゃいます
今更ですが、心から感謝申し上げます
皆さんも親、兄弟、親友など、大切にして下さいね
ちょっと今回は何を書きたかったのか、最初に言ってたことから全然違う内容になったかもしれません

すみませんm(__)m
次回からはもう少しまともな内容にしたいと思います

年度末に向かって皆さんも忙しくなっているかと思いますが、まだまだ寒い日が続くようですので体調にはくれぐれも気をつけて乗りきって下さい

また近いうちに更新します
今後とも宜しくお願い致しますm(__)m