1つ前のブログから
今日のこのブログまで…
 
 
 
約5ヶ月ぶりでしょうか?
 
 
 
本当に、本当に、
お久しぶりです︎︎。
 
 
 
石橋 蛍です
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、
 
 
 
昨日12月30日に
SUPER☆GiRLSの公式HPにて
発表させていただきましたが、
 
 
 
本日12月31日をもちまして
私、石橋蛍はSUPER☆GiRLSを
卒業します。
 
 
 
突然のご報告になってしまい
大変申し訳ありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
昨日更新されたHPに
書かせていただきましたが、
 
 
私は8月に京都の自宅から
東京に行く朝に玄関で
突然動けなくなってしまい
倒れてしまいました。
 
 
気がつくと病院のベッドの上にいて、
自分の身に何が起こったのか…
 
 
状況を理解することに
すごく時間がかかったことを覚えています。
 
 
 
 
 
 
そしてその後 
 
たくさんの検査をしてもらったり
病院の先生にお話を聞いていただいた結果
 
 「一回仕事をおやすみしましょう。」
 
と言っていただきました。
 
 
 
 
 
そのあと自分は
 「適応障害」 だと診断がありました。
 
 
 
 
 
「適応障害」とは
 
特定の状況や出来事が
とてもつらく耐えがたく感じられ、
 
そのために気分や行動面に
症状が現れるものらしく…
 
 
 
 
この状況で
 
いつものように「アイドル」として、
 
東京でひとりの生活を
していくということが
 
大変危険だと
 
お医者さんから、
自分と両親に伝えられました。
 
 
 
 
病名が分かった時
正直 悔しさでいっぱいでした。
 
 
 
 
でも一刻も早く治して
 
自分の事を少しでも沢山の方や
大切なファンの方に
理解をしてもらいたい
 
と、心から思う自分もいました。
 
 
 
 
なので皆様に病名を公表し
 
SUPER☆GiRLSの活動を
休止させていただくことを発表しました。
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
自分が身体を壊してしまうなんて
全く思ってもいませんでした。
 
 
 
 
普通に過ごしていても、
 
「不安」や「怖さ」が
ふとした時に襲い掛かってきたり、
 
誰かに何かを言われているように感じたり、
逆に人の話が急に聞こえずらくなったり、
 
気がつくと夜や朝に涙を流していたり…
 
 
 
 
自分の心を何度も強く
締め付けられるようなことが
本当にたくさんありました。
 
 
 
 
それは思っている以上に、
とても苦しく辛いものでした。
 
 
 
 
 
 
なのでお仕事のことは
しばらく全て忘れて、
 
普通の17歳としての石橋蛍として
生活することにしました。
 
 
 
 
 
 
この3年間、
アイドル活動をしていてできなかった
 
 
学校に毎日通うことや
家族との時間。
 
 
その中で定期的に病院に通ったり
カウンセリングを受けたり
趣味や絵画にじっくり触れ
 
 
地元での生活や
人のあたたかさや優しさを
知っていくうちに…
 
 
体調も少しずつ
良くなっていきました。
 
 
 
 
 
 
そして今までできなかったような
 
 
学校行事や、
課題に取り組んだりする中で、
 
 
毎日一緒に過ごしたいと思えるような
友達もできました。
 
 
 
 
 
 
病気になるということ
 
目では見えない傷を負うこと
 
それまでの当たり前の事が
当たり前でなくなる事を知りました。
 
 
 
 
 
それと同時に
 
新しい時間や出会いに触れて
こうして回復に向かっている今、
 
ありのままの自分で今
毎日を送れているのは
 
 
 
 
 
アイドルをしていた
約3年間の中で出会えた
 
 
楽しい時も
緊張した時も
寂しい時も
不安な時も
 
 
ずっとずっと
あたたかく見守ってくださった
たくさんの方々が
 
 
私の活動休止中も
 
 
責めたり
焦らすことなく
 
 
そっと支えていてくださったからだと
心の底から思います。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
14歳のときに
 
SUPER☆GiRLSに加入し
突然始まったアイドル活動。
 
 
 
 
 
それまでの日常生活から
住む場所まで…
本当にめまぐるしく変わり、
 
 
先輩方について行くことに
精一杯だった毎日の中で、
 
 
右も左もわからない自分に
アイドルの素晴らしさや楽しさを
1から全部教えてくださったのは
 
 
私を応援してくれている
ファンの皆さんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
ライブやイベントの楽しい思い出、
 
先輩の卒業などの悲しい思い出、
 
4章という新しいものが始まる
不安だった気持ちが
希望に変わっていく思い出など…
 
 
 
沢山の時間を一緒に過ごしました。
 
 
 
そして大切なことも
たくさん学ぶことができました。
 
 
 
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
 
 
活動休止中、
 
私はお仕事のことは忘れて
毎日を過ごしていましたが
 
実はファンの皆さんのことは
ずっとずっと心の中で
 
忘れずに思い続けていました。
 
 
 
 
そんなファンの皆さんに
 
「元気だよ」 と、
 
ちゃんと伝えたいって
ずっとずっと思っていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本来なら復帰して
 
皆さんに姿を見せることが
1番の感謝の伝え方だと思います。
 
 
 
復帰を待ってもらっているのも
とても分かっています。
 
 
 
本当に有難い事です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私はファンの方の前で
 
疲れや弱さを見せず
 
元気な姿を見せていたい、
 
元気を与える事がアイドルの仕事だと…
 
 
ずっとずっと思いながら
活動していました。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
でも活動を続けているうちに、
 
「いつも笑顔で過ごすことができて
元気を与えられているのは私の方だ」
 
と気づきました。
 
 
 
 
 
 
正直、
 
まだたくさんの不安な気持ちや
怖い気持ちがあります。
 
 
 
 
 
笑顔や元気をたくさんくれた
大切なファンの皆さんに
 
これ以上、
同じような心配をかけたくない
 
と思いました。
 
 
 
 
 
今回残念な思いをさせ、
沢山の心配をかけてしまい
本当に申し訳ないと思っています。
 
 
 
 
 
アイドルとしての自分が
望んでいた最後の形ではなく
17年間の中で1番くらい
大きな挫折だったけれど、
 
 
 
でも、
 
 
 
それも含めて
自分自身だと思います。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
こんな私を
 
見守ってくださり
応援してくださり
 
本当に本当にありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後に、
石橋蛍を推してくれた方へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大好きでした。
 
 
 
自分の誇りでした。
 
 
 
心の支えでした。
 
 
 
私を応援してくれていると知った時、
これ以上ない嬉しさを感じました。
 
 
 
 
 
 
 
あなたがいなければ
アイドルとファンという関係が
 
 
本当に本当に素敵だということに
 
 
気づくことができませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
応援してくれたあなたとの出会いは
 
 
間違いなく
 
 
「自信」として、
 
 
これから先の
自分の人生の一部として
 
 
一生忘れずに
 
 
生きていきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
そしてこの先、
 
 
私が誰かを応援したくなった時は
 
 
あなたが私にしてくれたように
 
 
あたたかく応援したいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
たくさんの優しさや楽しさや思い出、
 
 
一つ一つの言葉や
 
 
緑のペンライトや
 
 
大きな歓声。
 
 
 
 
 
そして私の名前を沢山呼んでくれて
 
 
 
 
 
本当にありがとう。
 
 
 
 
 
こんな私を見つけてくれて
 
 
 
 
 
応援してくれて
 
 
 
 
 
本当にありがとう。
 
 
 
 
 
ずっとずっと忘れません。
 
 
 
 
 


 

 
 
 
 
 
 
 
 
あなたに出会えて良かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
2019. 12.31   石橋蛍