瑠上麗のだららん気ままDiary

瑠上麗のだららん気ままDiary

Gogle+,755でも同じ名前で活動しています。
AKB48岡田奈々さん推しの18歳、男です。
他、各グループの1推しを挙げると、SKE48では柴田阿弥さん、NMB48では渋谷凪咲さん、HKT48では若田部遥さんです。
それでは、ごゆっくりと( ´・ω・`)ノ~

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皆様、こんにちは。

本当はブログを書いている場合では無いのですが、どうしても皆さんにお伝えし、考えて欲しいことがあるので書かせていただきます。

ご存知の方もいるかと思いますが、本日、HKT48の指原莉乃さんが一部の握手会を中止いたしました。

それは、指原さん自身の体調不良と"755"でのトラブルからでした。

内容については以下参照してください

指原莉乃さんの今回の件については、私的にはとやかく言えるものではありません。

まずは指原さん本人が、体調不良からの握手会中止と相まって心にかなりのダメージを受けているようなので、落ち着くまでそっとしておくのが良いかと思います。

唯、一つ言えるのは、ネット上での言葉の使い方に関しては改めてマナーや道徳観を振り返るべきでしょう。

老若男女、誰しもが礼節をわきまえてコミュニケーションをし、相手が目の前にいて、自分の言葉や表現をどう受け止めるのか、そういったところまで考えられるのが現代人であると思います。

そして、たとえアイドルであろうとなんであろうと、相手は同じ人間です。

一般の人々と何の隔たりも変わりもありません。

基本的人権も一人の人間としての尊厳も、一般の人と同じく生まれつき持っています。

だからこそ、ネット上での匿名に甘んじて、とてつもなく酷く、人を傷つける投稿はやめてほしい。

ましてや、本人に面と向かって言うのは以ての外。

当事者である秋元康氏には誠意ある対処を求めると共に、誤解をネタに使うような危険極まりない行動は謹んで頂きたく存じます。

今後もこのような事が起きないよう、皆様ご理解の程よろしくお願い致します。

北海道函館市 函館ラ・サール高等学校 瑠上麗
皆さん、あけましておめでとうございます。m(_ _)m今年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、個人的にはいよいよセンター試験まで16日となりました。今後はセンター試験まっしぐらとなります。

高校生活最後に、先日私が学校の宗教の授業で行ったプレゼンテーションの言葉を皆さんに贈ろうと思います。

長いので、流し読みして もらって、一つでも心に感じること、考えることがあれば幸いです。

~函館ラ・サール高等学校3年 倫理宗教プレゼンテーション~

題名;人として生きるということ

Bloom where God has planted you.

~神が植えたところで咲きなさい。咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです。~

人は皆、社会の中で何かしらの役割を持っています。会社員で、日々、与えられた仕事をこなす人、家で家事を行う主婦の人、様々な人がいます。けれども、その役割に不満を持っていて、いつも不平や文句ばかり言ってはいませんか。他人に対して不平不満を言ってはいませんか。

それではちっとも幸せになりません。古来より日本に伝わる「言霊」という言葉があります。それは、自分の口から発せられる言葉一つ一つには魂が宿っているという考えかたです。「口は災いのもと」と言われるように、不平や不満を口にすると、その言葉でその人自身も周りの人々も不幸になってしまいます。でも逆に、感謝の言葉や励ましの言葉は他人を幸せにし、見返りに自らも幸福を感じることができるのです。

愛情は言葉となってほとばしります。普段何気なく使っている言葉という小さなものには、愛が込められるほど力が宿り、他人を救うことができるのです。マザー・テレサはこう言われました。「私たちには偉大なことはできません。しかし、小さなことに、大きな愛をこめることはできるのです」と。

今の時代は何かと言葉が無機質になりがちです。それはコンビニ等のチェーン店の店員の方を見れば明らかです。彼らはマニュアルに沿って動くロボットにしか過ぎません。そこには人間性はありません。こんな悲しい時代であっていいのでしょうか。言葉はその魂を奪われようとしています。

言葉は、いつまでも生き物であってほしい。相手を生かし、自分も力づけられる、生きた、相手を生かすぬくもりのある言葉を使える自分でありたいものです。そして、その言葉が使える自分を、無機質なものの溢れる中で、しっかり守っていきたいものです。

小さなことを大切にしましょう。あなたがしていることは、たしかに、一滴の水のように小さなことかもしれないけれど、その一滴の水がなければ海は成り立ちません。相手の心が優しさを受け、その優しさが溢れ出て、社会に、家庭に、平和を作り出してゆくのです。

あいさつをきちんとしていますか。あいさつをする人を選んではいませんか。あいさつは、身分や立場には関係のないものです。特に、あいさつをしてもらうことの少ない人達にとって、あいさつは「あなたは大切な人」と伝える最良の手段です。だから、目立たない仕事をしている人へのあいさつを忘れてはいけません。私たちはお互いに「おかげさま」で生きているのですから。

時計
 
チクタクチクタク。
ゴーン。ゴーン。
わたしに時を知らせてくれる。
わたしに時を感じさせてくれる。

あの景色は・・・。あの日は・・・。あの場所は・・・。

戻りたいなあ。でも、戻れない。
今生きているこの一瞬の時。
大切にしよう。
思ひでを忘れないために。

作;瑠上麗

時間を無駄にしていませんか。生き急ぐよりも、心にゆとりを持ちましょう。願いが成就するには、苦しくても待つことが大切です。ほんの僅か数秒を急ぐことはありません。「待つこと」に気付いたならば、心に生まれるゆとりに気付き、生きている現在はより充実したものとなりますから。

同じとき、ことは二度とありません。だから、今、生きていることを大切にしましょう。人生で経験する出来事は、嬉しいことも辛いことも、どれもがたった一度だけのこと。どんなに望んでも、どんなに後悔しても全く同じことは起きません。一つ一つの経験に心を込めましょう。

新しい気持ちで毎日のことに取り組みましょう。たとえ同じことの繰り返しだとしても、その繰り返しを繰り返しとは考えず、その一つ一つのこと、毎回が「仕始め」で「仕納め」と思って行うこと。毎回新鮮な気持ちで行い、最後になるかもしれないと、心して丁寧に行いましょう。そして、とかく機械的になりがちな日常を見直して生き、その日々の積み重ねが自らの財産となるよう生きていきましょう。

人が生きていくということは、様々な悩みを抱えるということ。悩みの無い人生などあり得ないし、思うがままにならないのは当たり前のことです。そして、悩むからこそ人間であり続けることが出来るのです。悩みの中には変えられるものもあれば、変えられないものもあります。例えば、自分の子供が障がいを持って生まれてきた。「どうしてこの子が・・・。」そう思うことでしょう。それは親としては胸を搔きむしられるほどの切なさです。しかし、いくら悲しんだところでわが子の障がいが無くなるわけではありません。その深い悩みは消えることはないでしょう。障がいがあるという現実は変えられません。しかし、わが子に対する向き合い方は変えられます。生きてきたわが子を厄介者と思い、日々を悩みと苦しみの中で生きるか。「この子は私だったら育てられると思って、生まれてきてくれたのだ」と思えるか。そのとらえ方次第で、人生は大きく変えられます。

もちろん、「受け入れる」ことは大変ですし、行き着くまでには大きな葛藤があると思います。しかし、変えられないことをいつまでも悩んでいても仕方がありません。前に進むためには目の前にある現実をしっかりと受け入れ、どうすればよいかという思いを馳せること。悩みを受け入れながら歩いていくこと。そこにこそ人間としての生き方があります。今あなたが抱えている様々な悩み。それらを一度整理してみてください。変えられない現実はどうしようもありません。無理に変えようとすれば、心は疲れ果ててしまいます。ならば、その悩みに対する心の持ちようを変えてみましょう。悩みは消えなくとも、生きる勇気が芽生えるはずですから。

今、突然自分の人生にぽっかりと空いた穴。それは小さくとも大きくとも元には戻せません。でも、その空いた穴から恐れずに中を覗き込んでみましょう。それまで見ることが出来なかった多くのものやことを見ることができます。本当に大切なものに気付くことができるのです。それは愛情であったり、優しさであったり様々ですが、みんなかけがえのないものです。

つまずくのはあたりまえ。つまずいたおかげで気づくものがあります。つまずかない人生をおくるのが人間にとって大切なのではありません。つまずくのは当たり前ですが、その時くじけてしまわないことが大切です。自分の愚かさに心を奪われ、我と我が身に愛想を尽かし、やけになって落ち込んでしまわないことも大事です。うぬぼれていた自分を見つめ、謙虚になる機会にしましょう。

ほほえみ

ほほえみ。

お金を払う必要のない安いもの。
でも相手にとっては、非常に価値をもつもの。

「あなたのほほえみで私は豊かになることができたよ。」
あなたのほほえみがわたしにとってはかけがえのない大切な宝物。

「わたしも、あなたが豊かになったことで豊かになれたよ。」

おはよう。こんにちは。こんばんは。
今日もありがとう。明日もよろしくね。
ほら、幸せがやってきたよ。

作;瑠上麗

苦しいからこそ、もうちょっと生きてみましょう。生きることは大変ですが、生きようと覚悟を決めることは、人に力と勇気を与えてくれます。生きる決意をするとき、そこには、さわやかな風が立って、生きる力と勇気を与えてくれるのです。

何もできなくなってもいい。ただ、笑顔でいましょう。笑顔でいると、不思議と何事も上手くいきます。ほほえまれた相手も、自分も心豊かになることができます。人間である限り、いつも心が平穏であるはずがありません。それでも、自分の心と戦いましょう。自分自身との戦いの末につかんだほほえみは、他人の心を癒す力がありますから。ほほえみは、相手を豊かにし、自らをも豊かにするのです。

つらい日々も、笑える日につながっています。苦しい峠でも必ず、下り坂はあるのです。人はどんな険しい峠でも越える力を持っています。そして、苦しさを乗り越えた人ほど強くなれるのです。だから、もう少し、頑張って前に進んでみましょう。
 
希望には叶うものと叶わないものがあります。大切なのは、希望を持ち続けること、そして、謙虚にその希望を運命に委ねることです。希望が無くては生きる力も無くなってしまいます。希望という心の支えがあるからこそ、どんなに辛い状況でも耐え抜くことが出来るのです。
 
出会いを大切にしましょう。いい出会いにするためには、自分が苦労して出会いを育てなければいけません。人と出会った時、「この方と私は会うべくして会ったのだから、このご縁を大事にしよう」という気持ちを大切にしましょう。

人というのは弱い存在です。そして、不完全です。全てを自分一人でやり遂げることは不可能です。時には他人に委ね、頼んでしてもらうこと,分担することも不可欠です。委ねるときには相手を信じましょう。そして、委ねるということは決して丸投げではありません。委ねっぱなしでないことが相手にもわかるように、自分から支えてあげることも大事です。そして委ねた結果が良かった時にはその人の功績に。悪かったときには自分の責任にすることを恐れてはいけません。委ねるということは、人に感謝するとともに、自分自身に責任を持つということなのです。

あたりまえ

あたりまえのこと。つまらないこと。
どうしたんだろう。泣いているよ。
ねえねえ、何で泣いているの。

いのちは両手でいただくのに、どうしてわたしは片手なの。

ごめんね。
あたりまえだからこそ大切なこと。
いのちもことも大切なもの。
大切なものはきちんと両手でいただこうね。

作;瑠上麗

きれいさはお金で買えますが、心の美しさは買えません。それは、自分の生き方の気高さ、抑制ある態度、他人への思いやりの深さといった心の輝きとして培われていくもの。自分の心との戦いによってのみ得られるものなのです。心の輝きを持った美しい人が一人でもいれば、この世は美しさに満たされるのです。

心のさわやかさ。それはお金で買うことはできないものです。生きることのむずかしさから逃げることなく、その一つひとつをしっかり受け止めて、「大変だから、もうちょっとがんばってみよう」という心意気からそれは生まれます。ピンチをチャンスに変える、聡明さと明るさが生み出す健気さこそが、心のさわやかさとなって表れるのです。

あたまりえのことやつまらないことをぞんざいに扱っていませんか。あたりまえのことはあたりまえだからこそ、より心をこめて行わなければいけないもの。そうすることは、心の輝きをさらに輝かせます。両手でものやいのちを扱うとき、そこにはていねいさがあります。

今、私たちは自分や他人のいのち、ものを片手でぞんざいにあつかってはいないでしょうか。片手で扱ってしまえば、大切なものの価値を見落としてしまいます。あたりまえのことも、つらいことも丁寧に両手で受け止めましょう。

思いやり

あの時、あの人がしてくれたこと。
嬉しかったなあ。
暖かかったなあ。

ありがとう。お礼に・・・。

あなたがさっきのあなたと同じような人を見つけたら、
私がしたことと同じことをしてあげてくださいね。

あの人へのお礼ができればなあ。

もしもし。大丈夫ですか。
私にできることはありますか。

作;瑠上麗

自分がされて嫌なことを他人にしないのではなく、自分がされて嬉しかったことを他人にもしてあげましょう。そして、自分の行為が他の人にどのような影響を与えるかを考えましょう。そこには幸せに通ずる「思いやり」がありますから。

愛はあなたの近くにあります。キリスト教におけるたとえ話に「善きサマリア人のたとえ話」があります。それは「隣人をも自分自身のように愛すること」を伝える話です。ここでいう隣人とは誰でしょうか。それはすべての人です。誰に対しても同等の深い愛を注げるようになりたいものです。大切なのは、「人のために進んで何かをする」こと。人に迷惑をかけないことから一歩進んで、「手を差し伸べる気持ち」が隣人愛の実践につながるのです。

どんな環境に置かれても、自分の花を咲かせましょう。人生を生きる中で同じ環境に留まるということは決してありません。どうしても咲けない時は無理に咲かずに、根を下へ下へと下して根をはりましょう。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために。