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46日に、METライブビューイング「ラ・ボエーム」を鑑賞した。「ラ・ボエーム」というと、シャンソンの有名な、まあ、シャンソン・ファンには有名な曲で、先に思いついたのがこのシャンソンで、オペラは現代オペラなのかと思うほど。しかし、とんでもないことで、自分の知識の貧困は覆い難いもので、調べてみればプッチーニの代表作であった。

 METライブ・ビューイングを観たのは、三回目で、最初が20165月の「蝶々夫人」、次が、2017年5月の「イドメネオ」そして、今回、「ラ・ボエーム」ということで、順調に年一回のペースで鑑賞しているということだ。最初の予定からいうと、少な目ではあるが、まあ、年一回はこなしているというところである。

 作曲家でいうと、「蝶々夫人」と「ラ・ボエーム」はプッチーニ、「イドメネオ」はモーツアルトで、プッチーニが二作品、データが少ないので何とも言えないが、オペラにおけるプッチーニの重要性が感じられるというものである。

 シャンソンで「ラ・ボエーム」をうたったのは、シャルル・アズナブールで、この曲は日本の多くのシャンソン歌手がライブなどで歌うので、小生にはおなじみになったのである。とても悲しげな曲だ。時代的に言っても、シャンソン曲のほうが、オペラよりも百年も後である。

 これまで、「ラ・ボエーム」というのは、曲名であるとして、意味まで考えたことはなかったのだが、シャンソンの歌曲と古典オペラ、漢字で書くと歌劇か、その二つの作品で同じ表題を使用しているのだから、名前に何か意味があるのだろうと思い、調べたところ、ボヘミアンという言葉に強いつながりがあることが分かった。ボヘミアンというのは、ジプシーあるいはロマといわれる人々に関連するが、ここでは、彼らの生活様式を抽象化して、人々を形容する言葉である。社会通念から自由な生き方をする青年たちのことかな。

 最初に見た同じプッチーニの「蝶々夫人」は、江戸時代か明治のころの日本社会にあって、アメリカ人と結婚した日本女性の話。今回の「ラ・ボエーム」は革命後の19世紀前半のフランス・パリで、社会通念から自由に生きようとする若い芸術家なんかのボヘミアンの話で、共通点がある気がするな。そして、両方ともわかりやすい歌劇だった。それに比べ、モーツアルトの「イドメネオ」は、どうも感覚がしっくりこなかったということ。王様や神様が出てくる前近代の人格で、しかも、ヨーロッパの人格では、オペラも劇の部分がわかりにくくなる。プッチーニは19世紀に生まれ、20世紀前半まで生きた作曲家で、モーツアルトは、いろいろ音楽で好きな曲はあるけれども、18世紀の人、早死にだったので、19世紀を見ていない。時代の相違が、音楽はともかく、劇のほうの人間像、人間観の差になっているのだろう。モーツアルトのオペラのデータ数も少なすぎるので、確かなことは言えないが。

 シャンソンの「ラ・ボエーム」は、日本ではなかにし礼の訳詞でよく歌われている。モンマルトルの安アパートで君と暮らしていた、20歳のころ、貧しかったけれども、幸せで、夢があった。といううらやましいような思い出の話で、でも、今は失われてしまった生活を懐かしみ、そのころのアパートを訪れたが、暮らしの面影は失われてしまっているという、悲しい結末の歌。その暮らしは何年くらい続いたんだろうか。多分、ごく短い期間だったのだろう。まいいか。

 プッチーニの「ラ・ボエーム」は、やはり若いボヘミアンの愛の悲劇で、家賃も払わずに安アパートに仲間と住んでいる貧しいが自由なロドルフォが、ろうそくの火を借りに来た若い女性のミミと恋に落ち、最初は甘い生活だったんだけど、すぐに喧嘩ばかりするようになり、別れてしまう。しかも、ミミは結核に侵されていて、甲斐性のないロドルフォには十分な治療をしてあげることができない。別れたのだがミミを忘れられないロドルフォのもとに、病が進行して弱っているミミが帰ってきて、ロドルフォや友人たちの見守る中で、死んでしまう。ここで、オペラは突然のように終わってしまう。

 なんだか、ネタバレしているだけのようなブログだなあ。感情移入すると、出てこれなくなるような話なんだな。ロドルフォが年を取ってから、きっと、若き日のミミとの暮らしが記憶で浄化され、安アパートを訪ねたりすると、シャンソンになるのだろうか。