鮭神社社傳
大日本大八州第三の筑紫の島なるは、島の真秀島なり。筑紫の國なるは、國の真秀國なり。其の國の前州に嘉麻郡有り、其の郡の南端に高天山有り。此の山は太古、伊邪那岐尊、國土萬物悉く生成し盡せり。「吾が神功既に畢ぬ。靈運今遷らむ。」斯くの如く宣給ひて後、忽焉として紫雲に乗り天上に登り給ふ。故是を以て此の國を號けて神功筑紫國と曰ふ。又、其の登り坐しし山を是高天と曰ふ。此の時、神祖寂然に神靈を山頂に留めて長しへに身を隠したまひし者なり。實に惟一の靈山なり。
是の故か否か、天孫瓊瓊杵尊の神靈も亦自づから移り來り座して、影有らしめられ、馬野の神嶺に向ひ給ひき。其の後、彦火火出見尊・鸕鷀草葺不合尊も亦萬歳の後、形を現して其の神靈を此の山の南に住めたまふ。神武天皇の御祖母豐玉姫命の神靈も亦然り。此の三靈の尊を合祀し奉り、称して鮭大明神と崇め奉る。所以に斯くの如く称し申して奉祝せり。
宗源に則ち「昔、風雨の夜に千尋の鮭に乗り四方を照らし遙か下流より溯り來る神三柱有り。皆曰はく、『吾等則ち彦火火出見尊・鸕鷀草葺不合尊又其の后豐玉姫命なり。各々神祖の御趾を慕ひて、寄り來る神なり。共に皆永く此の國に住まらむと欲する者なり。』とのたまふ。」斯くの如く告げ給ひて後、神到り南山の尾鼻に住まる。是嘉麻川に年年歳歳鮭の溯り來ることの縁なり。
傳に云ふ。此の南山の尾上の岩岳山は神武天皇東征の時、豐國の宇佐嶋より阿柯の小野を経、筑紫山田邑に到り射手引神を其の山上に祭り、又此の尾上に登り高木神を祭る。遂に馬見山より北麓の野を巡りて後、漸く岡田宮に行幸せられ一年坐しましき。彼是の神縁を以て測らずも靈地と為したまふ。降臨数代の神靈も亦遊萃垂跡を為し給ふ。
然して當地社殿の創立者称徳天皇、治五年神護景雲三年に財部宇代に謂へらくは、「神託に依り若宮造營の際、共に此の靈地に造營して焉を奉祝せよ」とのたまふ。爾來、國司・郡司特に精誠を致し輪奐の造營・年中の祭祀一皆に官符を以て之を辨む。故に殿宇備はる。壮観の極みなり。是に於いて遠き近き此の神異を傳へ此の神徳を仰ぐ者絶えず。参拝して緩怠有ること無し。實に子孫其の祖を慕ふは懿倫の大本なり。神尚且つ然り。況や人に於いてをや。矜式せざるべきや。私に惟へらく、此の嶋此の國は則ち自然の靈嶋にして自然の靈國なり。神祖は天に登り命を報じて神功至り尽すの國なり。
曩に三貴子を生みて神歓び至り尽すの嶋なり。且つ火神を生みて神苦しみ至り尽すの嶋なり。言靈の幸ふ國、此の國を號けて筑紫と曰ふは夫れ故有るかな。是の國名と曰ひ、彼の神異と曰ひ、神國の神秘は自然に傳はりて自然に存す。嗚呼畏きかな。嗚呼尊きかな。
鮭神社社伝(訳)
大日本大八州第三四の筑紫島というのは、島の中でも最も優れた島である。筑紫国というのは、国の中でも最も優れた国である。筑前の国に嘉麻郡が有り、其の郡の南端に高天山(鷹天原=英彦山)が有る。此の山は太古、伊邪那岐尊が、国土万物を残らず生成し尽くしなさった。「吾が神功(神としてのつとめ)はすでに終わった。我が魂は今黄泉の国に遷ろうとしている。」このようにおっしゃって後、たちまち紫雲に乗り天上に登りなさった。そこで此の國を名付けて神功筑紫國という。又、其の登りなさった山を高天(鷹天原)という。この時、神祖(伊邪那岐尊)が静かに神靈を山頂に留めて永遠に身を隠しなさった所である。実に唯一の靈山である。
このせいかどうか、天孫瓊瓊杵尊の神霊も亦自然と移り来たりなさって、光を発しられながら、馬野の神嶺(馬見山)に向かいなさった。其の後、彦火火出見尊・鸕鷀草葺不合尊も亦万年の後、形を現して其の神霊を此の山の南に住めなさる。神武天皇の御祖母豐玉姫命の神霊も亦そうであった。この三霊の尊を合祀し申し上げ、称して鮭大明神と崇め申し上げる。それでこのように称し申し上げて奉祝している。
宗源宣旨(諸社に神階を授けた文書)に、「昔、風雨の夜に千尋の鮭に乗り四方を照らし遙か下流より溯り來る神三柱有り。皆曰はく、『吾等則ち彦火火出見尊・鸕鷀草葺不合尊又其の后豐玉姫命なり。各々神祖の御趾を慕ひて、寄り來る神なり。共に皆永く此の國に住まらむと欲する者なり。』とのたまふ。」とある。このように告げなさって後、神が到り南山の尾鼻(山麓の小高い丘=大行事山)に住まりなさった。これが、嘉麻川に年年歳歳鮭が溯って来ることの由縁である。
社伝に云う。此の南山の尾上の岩岳山は神武天皇東征の時、豊国の宇佐嶋より阿柯の小野を経て、筑紫山田邑に到り射手引神をその山上に祭り、またこの尾上に登り高木神を祭る。そうして馬見山より北麓の野を巡りて後、漸く岡田宮に行幸なさり一年滞在された。天皇はこの神縁によって測らずも靈地となさった。降臨数代の神靈もまた集まり遊び垂迹(神の姿となって現れる)なさった。
そうして当地の社殿の創立者称徳天皇が、その五年神護景雲三年(七六九)に財部宇代(嘉麻郡の人)におっしゃるには、「神託に依り若宮造営の際、共に此の靈地に造營して焉を奉祝せよ」とおっしゃる。それより、国司・郡司は特に誠実を尽くし、宏大で壮麗な建築・年中の祭祀の手続きを一段階飛ばし、太政官符を使い処理した。だから、御殿が備わった。壮観の極みであった。そこで、遠くの者や近くの者がこの神異を伝え、この神徳を仰ぐ者が絶えない。参拝して怠ることが無かった。まことに子孫がその先祖を慕うのは人の常に守るべき美しい道の大本である。神でさえそうだ。まして、人はなおさらそうだ。道に慎み法らないことができようか、いやできはしない。私に思うには、この島この国は、自然の霊島で自然の霊国である。神祖(伊邪那岐尊)は天に登り命を報じて神功至り尽すの国であった。
先に、三貴子を生んで神の歓び至り尽すの島であった。且つ火神を生んで神の苦しみ至り尽すの島であった。言靈の幸う国、この国を名付けて筑紫と言うのはそもそも理由の有ることだなあ。この国名といい、あの神異といい、神国の神秘は自然に伝わって自然に存する。嗚呼畏れ多いことだ。嗚呼尊いことだ。