『ドカベン』『あぶさん』『野球狂の詩』他 さようなら世界一の野球漫画家 水島新司さん引退 | 20世紀漫画少年記

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 12月1日、「ドカベン」「あぶさん」等、数多くの野球漫画で有名な水島新司先生の引退が所属事務所から発表された。

 

 今でこそ説明不要なくらい野球漫画の第一人者として知られる水島新司先生だが、野球漫画を描き始めたのは1958年のデビューから11年後の1969年の「エースの条件(原作・花登筐)」(週刊少年キング)からで意外に遅かった。これは水島先生自身が大好きな野球を自分が満足できる描写ができるようになるまで我慢しつづけた為だったという。水島先生の野球愛が伺えるエピソードである。

 

 戦後、野球は国民の娯楽であり、漫画においても「スポーツ漫画」=「野球漫画」という時代は長く続いていた。しかし、その描写はかなりいい加減で、ちばてつや先生が「ちかいの魔球」を描くまでは野球漫画にはピッチャーマウンドすら描かれていなかった。そのちば先生にしても担当編集者から指摘されるまでマウンドの存在を知らなかったそうである。つまりそれぐらい野球漫画の野球描写はいい加減だったのだ。

 

 『巨人の星』は作画の川崎のぼる氏の画力もあり、割としっかり描かれていた方だが、それでも川崎のぼる氏と原作の梶原一騎氏があまり野球に詳しくないせいか投球フォームや打撃フォームは不自然なものが多かった。それが水島先生が『エースの条件』を執筆以降はフォームのみならず野球用具の細部まで描かれるようになった(島本和彦氏も『アオイホノオ』で「水島新司以降、走者のスパイク裏に刃が描かれるようになった」と指摘している)。

 

 

 

 水島先生の野球に対する造詣の深さはプロの野球選手も舌を巻くほどで、有名な「ルールブックの盲点の1点」(「ドカベン」単行本35巻・文庫版23巻・詳細については長くなりますので検索してください)は掲載直後に当時のプロ野球選手が何度もルールブックを読み返したというほどで、当時現役選手だったノムさんこと野村克也氏(本年2月11日死去)も、水島先生を球場で見つけた際に「あんなウソ書いたらあかんで」と抗議したという。しかし「このルールは絶対に間違っていない」と、水島先生は野村氏の前で審判と確認した上でこのルールは正しい事を証明した(野村氏は「水島の漫画の中での説明がヘタクソだったから勘違いしたが、カラクリが解ければ只の基本ルールの積み重ねだった」と後に語っている)。

 このエピソードは野球漫画史上、最も有名なエピソードとなり、現実の甲子園(2012年8月13日 第94回全国高等学校野球選手権大会) 済々黌高校(熊本)VS鳴門高校(徳島)でも同様の得点があった(三塁ランナーが「ドカベン」のエピソードを知っており狙ってやったという)。

 なお、このエピソードは2019年7月18日発売の「週刊少年チャンピオン」33号・50周年記念号に単独で再掲載されている。それだけ漫画界においても衝撃的なエピソードだったのだ。

 

 また水島先生ほど「野球漫画」の可能性を追求した人は他にいない。荒唐無稽な「魔球」が主だったそれまでの「野球漫画」をリアル路線へと変え、「あぶさん」では当時は人気の無かったパ・リーグを舞台にし、プロ野球・学生野球・社会人野球・草野球のエピソード、それにまつわる関係者を現役選手だけではなく、監督・コーチ・審判・打撃投手・ブルペン捕手・選手寮寮長・スコアラー・スカウト・グラウンド整備係・野球用具製造者・球団経営者・野球マスコミ・単なるファンに至るまで描き尽した。

 『パタリロ!』の魔夜峰夫氏は「我々、後進の漫画家が何を描いても手塚治虫先生の後追いになってしまう」と『親バカ日誌』で語っていたが、野球漫画においては水島先生の作品がまさにそれで、後進の漫画家が何を描いても水島先生が既に描いているのである。

 

 さらに凄いのは全盛時にはいくつもの作品を同時連載しがら、尚且つ「あぶさん」と「ボッツ」という2つの草野球チームを主宰し年間60試合ををやっていたということだろう。ジャンルを問わず、ここまで野球を愛している人は他にいないであろう。

 

 そんな水島先生ではあるが、アメリカの「メジャーリーグ」は嫌いなようで、『あぶさん』でも作中で居酒屋「大虎」の常連客である日本画家の中島潔氏(実在の人物)に「私に言わせれば松井もイチローも裏切り者ですよ」と語らせている。元々、日本に来日する外国人選手にも批判的で「ドカベン・プロ野球編」第17巻の作者コメントでも「現役バリバリはほとんどいないで、年俸だけは現役並み」と評している。

 

 そう、水島先生が愛しているのは英語の「BASEBALL」ではなく日本語で言う「野球」なのだろう。

 

 水島先生の最後の作品は2018年8月の「ビックコミックオリジナル」での『あぶさん』の読みきり「あぶさん~球けがれなく道けわし~となった。

 

 その内容は居酒屋・大虎の常連客が「孫の野球部がたった2人しかいなく高校生活で1度も試合をしていない」と嘆いているところに、バットを杖代わりにした老人が店先で行き倒れる。あぶさんが介抱し救急車を呼んで病院に送り、後に見舞いに行き事情を聞くと、その老人は同じく部員が9人に足りず試合ができない野球部の監督で、高野連の規則で「部員が足りない高校は他の高校と連合で出場できる」というので、常連客の孫の高校を訪ねて来たということだった。事情を聞いたあぶさんは3校連合野球部を指導する。そして大会では「烏合の衆」という下馬評を覆し、3校の連合野球部が勝利する。

 

 2018年は甲子園の記念すべき第100回大会だったが、『あぶさん』の読みきりはどこか野球の競技人口の減少を憂う内容だった。

 

 水島先生が引退を発表した同日の12月1日、野球殿堂博物館は「2021年野球殿堂入り候補者」を発表し、特別表彰で昨年まで候補に挙がっていた水島新司先生が「心境の変化」を理由に候補者入りを辞退したと明かした。

 

 どのような変化でなぜ辞退したのか。それはわからない。

 

 しかし水島新司先生の日本野球界への多大な貢献はこれからもその作品と共に語り継がれるであろう。

 

 引退発表の日の水島新司先生のコメントは

 

 「今日まで63年間頑張って参りましたが、本日を以って引退することに決めました。これからの漫画界、野球界の発展を心よりお祈り申し上げます」

 

 だった。

 

 野球と漫画を愛した水島先生らしいコメントだった。

 

 水島新司先生 長い間、お疲れ様でした。水島先生は野球漫画の神様です。