自由

よく考えた結果、空を飛ぶ能力はいらなかった。あるいは、どこかで欲している自分はいるのだけれど、不都合の方が勝ったと言うべきだろうか。正確には、翼のような仕組みを授けてくれるという話しだった。翼のようなと言われた訳であって、“ような”という部分が自分には引っかかった。それは翼ではないということか。地球人にとって最も近い機構が鳥類における翼だから翼のようなものであって翼ではないということらしい。それは形が似ているのか、飛ぶ仕組みが似ているのか、素材が似ているのか、その全部なのか、いずれでも無いのか、一体どういう意味なのか。それを聞いたところで、彼女から自分の欲している回答が返ってくる気がしなかった。

では、鶴とか鳩の翼との差異の部分を教えてくれ。それは実際に使ってみないと分からない。どういう意味だ。差異は目には見えない部分にあるということか？見た目は完全に鳥のそれだけど、中身は反重力装置であるとか。いや、彼らがわざわざ地球上の動物を模する理由がない。それとも彼らの惑星にも鳥のような動物がいるのだろうか。彼らも地上を歩くことしかできず、幼い頃に空を駆け巡る鳥に憧れたのだろうか。自らの手足で街を飛び出し、山を越え、仲間と共に大海原を渡る夢を見たのだろうか。そもそも動物はいるのだろうか。同じように空気とか重力があるのだろうか。空気がこちらと異なるのであれば彼らの空気力学は通用しないから、鳥の翼とは違う仕組みでなければいけない。重力がなければ反重力装置であるという説も否定されてしまう。いや、でも惑星は重力がないと成り立たないから、重力が無いということはない。強弱の違いしかないだろう。それとも私達がまだ知らないだけで重力にも種類があったりするのだろうか。目には見えない光の種類がたくさんあるように。

どうするのだ、いるのかいらないのか？思索に耽っていた私が不自然なほど長い時間を黙っていたことに気づいた。もう少し質問をさせてくれ。それは簡単に取り外しができるものか？そうとも言えるし、そうとも言えない。彼女の曖昧な回答は彼らの文化の特徴なのか、私個人に対する態度なのか、判別がつかなかった。もし取り外しができないなら普段は邪魔になってしょうがない。背中から二つの翼が生えていたら、服すらまともに着れない。私の知る限りは鳥人間向けのお店は地球には存在しない。彼らの惑星の服をセットで付けてくれると嬉しい。見た感じはどこにでもいる人間にしか見えない。芸能人とか政治家とかの類じゃなくて、交差点で隣に居合わせる一般人ぐらい普通の人間である。それが本来の姿なのか、人間を驚かせないための一時的な姿なのか、私はそのときに初めて考えた。後者だとしたら、服のおまけには期待できない。タンスにある服を全部縫い直すしかなかい。ちょっと面倒くさい。かなり面倒くさい。穴はどれくらい大きくする必要があるのだろう。翼を使うときに服に引っかかりそうである。何か工夫が必要そうだ。

服の心配より人目の心配をしたほうが良いことに気づいた。人間の重さを支える訳だから、翼自体は相当大きいだろう。冬は厚手のコートで誤魔化せるかもしれないが、夏は流石に言い訳がつかない。それとも体に限りなくくっつくようにしまえるのだろうか。夏の間は家に引き籠らないといけない人生は、さすがの私でもキツい。それか、振り切って鳥人間としてメディアに出るとか。一夜にして有名人になれることは間違いない。YouTubeで鳥人間チャネルって名前まだ取られてないかな。早めに確認しておこう。いや、安直すぎるか。バードマンだと映画になってしまうし。まあ後でゆっくり考えるとして、世間がそう簡単に信じてくれるかどうかは気がかりではある。動画ならCGとか何だとか言われる可能性は高い。近頃は機械学習を使った見分けのつかないCGもある訳で。ヒカキンとかとコラボすればさすがに信じてもらえるだろうか。いや、たとえ目の前で飛んで見せたとしても、マジックだとか最先端の技術を使っているとか言う人はいるだろう。それはまあ確かにある日突然宇宙人から翼をもらったというストーリーはあまりにも非現実的ではある。何かもっと信じれそうなストーリーを練った方が良さそうだ。幼い頃から人より肩甲骨が突出していて、次第に大きくなっていったとか。いずれ両親もインタビューされるだろうから、うまく口裏を合わせておかないといけない。鳥人間も楽ではない。

私の黙考を察したのか、彼女は徐にポケットからスマホを取り出した。いや、これもスマホのようなものであって、スマホではないのだろうか。地球から何万光年離れた文明でもスマホのようなものを使うことに、少しだけ親近感を覚えた。スマホのようなものだから、液晶画面がなくて直接脳に電波を送ることで閲覧できるとか。その場合は映像は二次元ではなく三次元になりそうだ。ちょっと見せて欲しい。そう言いかけた瞬間、辺りの茂みから突然ガサッと音がした。彼女の仲間かと思って少し身構えたが、ただのカラスだった。大分激しく羽ばたくカラスだった。よく見たらスズメも一緒に羽ばたいていた。というよりカラスがスズメをいじめているような様子だった。ふと、鳥人間になった自分が、道端でガラの悪い人達に絡まれる光景が目に浮かんだ。絡まれる程度ならまだ良い方かもしれない。職場の同僚に密かに気味悪がられる方がよっぽどこたえる。せっかく空を飛ぶ自由を手に入れたのに、尊厳を奪われたら元も子もない。さすがにこの21世紀にあからさまな人種差別はしないとは思うが、人間は恐怖に駆られたときと群衆になったときはとんでもない行動をとるから油断できない。ひょっとしたらユーチューバーデビューは悪手かも分からない。日本人、いや、全人類が翼をもらわなければ人種差別のリスクは完全に回避できない。もとい、それでもなお翼の色とか形とか些細な違いを見つけて差別をし始める可能性はある。人間が外見に拘る生き物であることは歴史が証明している。21世紀に入ってから少しは精神的に成熟していればいいのだが。

いずれにせよ、鳥人間として生活の不便を被らないためには、皆が鳥人間になるのが一番良い。鳥人間が社会の過半数になるまでどんどん増えてくれるしかない。アパレル業界は鳥人間向けの服を作り始めるし、鳥人間専門のブランドを立ち上げる。サイズはバードメンズとバードウィメンズができ、翼を広げられるように試着室は気持ち大きくなる。風の影響を受けにくい上下一体型のデザインが主流になり、靴は機能性よりも派手さを増す。羽根用の化粧水や保湿クリームが売れ、広告には鳥人間モデルが艶やかに写る。美容院は羽根取扱店を称し、医者は羽根専門クリニックを開く。鳥人間向けメディアは無数に立ち上がり、鳥人間健康術や鳥人間幸福論が発信される。新市場の開拓に各業界・各企業は躍起になり、いろんな鳥人間コインが乱立する。近距離の移動は楽になり、電車や道路の混雑は徐々に減っていく。車は売れなくなり、以前の駐車場には住宅や商業施設が建つ。アパートは高層化し、エレベーターシャフトは取り外される。家から階段がなくなり、一軒家は縦に積まれていく。お店は一階よりも屋上の方が繁盛し、ホテルはロビーを三階に増設するだろう。建設作業は捗り、ドローンは売れなくなる。空は混雑し、残された歩行者は陰や落とし物に文句を言うかもしれない。飛行者同士の衝突事故が後を絶たず、飛行機やヘリコプターとのニアミスが頻発する。空中タクシーの構想は頓挫し、事業者は訴訟先に困る。人間は空域の利用規制を呼びかけ、鳥人間は市街の道路の撤去を求める。私鉄や自動車メーカーは政治家に圧力をかけ、鳥人間派議員は人気を博す。都市開発は鳥人間中心の設計がなされ、街は立体化していく。二十年後には東京は見違えるだろう。これほどの転換は高度経済成長期以来では。見届けるのが楽しみである。もし彼女が沢山の翼を授けてくれればの話しではあるが。

無意識に空を見つめていた私は彼女へ目線を戻した。彼女は神妙な表情でスマホのようなものをまだ見つめていた。時間が来たようだ、私は行かねばならない。急な展開に私は慌てふためいた。尤も、彼女と会ってから全てが急展開な訳ではあるが。待ってくれ、なぜ翼のようなものを私に授けようと思ったのか、最後に教えてほしい。紅く燃える地平線に藍色の夜空が迫った。丸い輪郭を現し始めた月は、黙って私達を見下ろした。彼女は一白置いてから、顎に手を当てて答えたーー自由になりたそうだったから。海が目の前で裂けるような衝撃が走った。私は今まで翼を物理的に空を飛ぶための手段としてしか考えていなかった。しかし、ここにきてその仮定は揺るいだ。翼とは精神的な意味を指していたのか？精神的な束縛から逃れるための道具なのか？身体に取り付ける物理的なものではなく、脳にインストールする意識的なものなのか？私はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。それにしてもなぜ私が束縛されていると思ったのだろうか？態度や言動に出ていた自覚はない。やっぱり人の頭の中を覗き込む能力があるのだろうか？だとしたら相当に深い潜在意識まで覗けるのだろう。私は特に束縛されている自覚はないのだから。たしかに仕事はすごく楽しい訳ではないが、人は良いし、すごく辛い訳でもないので良しとしている。いや、まあ確かに一日中読書をしていていいなら断然そうするのだけれど、そういう欲求は、働いている人なら誰でも持っているものではないのか？音楽を弾いていたいとか、ゲームをしていたいとか、子供と遊んでいたいとか、菜園をいじっていたいとか、旅をしていたいとか。それは満たされることのない夢物語ではないのか？私達は働かなければ家賃は払えないし、お腹は満たせない。本当の興味や関心は週末や老後に追求されるものではないのか？それは疑いようのない社会の常識である。彼女の翼のようなものにできることは何もない。彼女が私達人間に与えられるものは何もない。彼女は所詮宇宙人であり、地球人のことは何も分かっていない。大丈夫、私は十分自由だから。