戦後最大規模の鼓笛隊が襲い来る夜を義母と過ごすことになった園子の一家。はたして無事に乗り切ることができるのか――。
表題作品の他、日常生活のすぐ隣に存在しそうな亜空間へ誘う物語。
書き下ろし一編を含む九つのファンタジー短編集。
※物語の核心部分に触れていますので未読の方はご注意を。
「鼓笛隊の襲来」
赤道上に、戦後最大規模の鼓笛隊が発生した。
この物語はこんな風にはじまります。
誰が読んだってここで思うのはこういうことでしょう。
うん? 鼓笛隊? 台風の間違いじゃねーの? そもそも鼓笛隊って発生するもんじゃないだろ?
ところが、これ、台風の間違いじゃなくて、本当に鼓笛隊なんですね。
まるでハーメルンの笛吹きのように人々をその隊列に巻き込みながら鼓笛隊は進んでいきます。
迎え撃つ一千人のオーケストラも、鼓笛隊には敵いません。
鼓笛隊を力でねじ伏せることはできないのです。
ただ…おばあさんの唄う子守歌は鼓笛隊の大合奏にも負けませんでした。
抗うのではなく、拒むのでもなく、ただ唄うだけの歌。
昔は…人間はもっと自然と共存していたはずですよね。
自然と戦うのではなくただ受け入れて。だって人間も自然の一部なんだから。
…まあ、そうは言っても僕は、知恵を振り絞って自然と戦う人間の姿も好きなんですけど。
「彼女の痕跡展」
うーむ…不思議で深い。
深いぶん訳のわからない話になってはいるけれど…面白い。
これぞ三崎亜記さんの持ち味という気もします。
「バスジャック」に収録されている「雨降る夜に」に近い雰囲気があるし、
テーマとしては同短編集の「二人の記憶」にも似ています。
「覆面社員」
テーマはありがち。
覆面を被るという行為が何の暗喩であるかは誰にでも理解できるはずです。
それをそのまま物語に描いてしまっては、どこにでもあるお話になってしまうでしょう。
それを「覆面を被ることが法的に認められた」というSF的要素で料理するから面白くなるのです。
でも、オチと結論はちょっとばかりありきたり過ぎた感がありますけど。
「象さんすべり台のある街」
街の顔って…だんだんとどこも似てきていますよね。
もちろん、昔だってどこの町も同じ顔をしていたことでしょう。
昔の町は個性的だったなんて話をするつもりはありません。
第一、僕、それを語れるほど年寄りじゃないし(笑)
でも、昔の町が自然に似てきていたのに対して、
今は意図的に同じような顔の街を作っているんだなって思います。
そして、そんな街を、ここが僕の街だ、ここが私の街よと懐かしく思うことができるでしょうか。
象には還る場所がありました。
それがたとえ死に場所なんだとしても。
せめて、少女の心に「私の故郷には象さんすべり台があった」という記憶が残りますように。
「突起型選択装置(ボタン)」
奇妙な設定のお話は三崎亜記さんの持ち味だし、
この短編集もすべてそういう感じの話ばかりだけど……
ここまで続くとさすがに「ちょっと…」という感じがしてきますね。
「覆面社員」のように暗喩がはっきりとわかり過ぎるのも問題だけど、
この短編のように「ボタン」が何を意味するのか、
この物語の主題がどこにあるのかよくわからないのも…ちょっとなあ。
(って僕が鈍感なだけ?)
ボタン、押せよ。
僕はそう思いましたね。
きっと彼女もそれを望んでいたんじゃないかな。
押すはずがないってわかっていても。
それでも。
「「欠陥」住宅」
これもまた…ありきたりというか何と言うか。
奇妙な話なのに、語っていることは手垢のついた主題というのは…いかがなものでしょう。
なんか、フジテレビの「世にも奇妙な物語」あたりで使われそうなお話ですね。
「遠距離・恋愛」
おお、いいね。こういうのいいね。
「彼女の痕跡展」以降、ここまでの短編すべて登場人物たちに笑顔が全然見えなかったんですよ。
いえ、もしかしたら笑っている描写があったのかもしれませんが、
僕には笑い声がまったく聞こえてきませんでした。
本当に、空気が凍ってしまったように、耳が痛くなるくらいに静かな物語ばかり。
でも、ここにきてやっと笑顔が見えるようなお話に出会えました。
最後、雄二が彼女に届くような声で「愛してる」と叫べたかどうかはわかりません。
まあ、フツーの神経ではそんなこっ恥ずかしいことはできないでしょうけども(笑)
でも、叫ぼうが叫ばなかろうが、気持ちだけはちゃんと大声で届いていますよね。
彼女をずっと「守る」だけでなく「驚かす」と言える男はなかなかいない。
彼女をずっとエンターテインし続けるのはきっと難しいけど――僕も見習わなくちゃあ。
「校庭」
ドラえもんの道具で「石ころぼうし」というものがあります。
被ると姿が消える道具――ではなく、被るとまるで道端の石ころのように他人に気にされなくなるのです。(「ドラえもん」の中ではその差が今ひとつ明確に描かれていませんが)
さて、ドラえもんのお話では、のび太がその「石ころぼうし」をきつく被ってしまい脱げなくなり、
一生このまんまなんて嫌だあと泣く――という展開なのですが、
(もちろんオチではちゃんと脱げます)
この物語の場合は、強制的に「石ころぼうし」を被せられてしまったようなものですね。
思えば、ドラえもんの道具は使い方を変えれば別のお話になるようなものがいくらもありますね。
藤子・F・不二雄先生はやっぱりスゴイ。
「同じ夜空を見上げて」
事故でご家族や恋人を失った人は皆、その理不尽で唐突な別離に納得などできないでしょう。
けれども、いつかは諦めなくてはいけないことも誰もがわかっています。
どんなに願っても亡くなった人は帰ってこないのですから。
しかし、この物語のように、突然、神隠しのように消滅してしまったとしたら。
もしかしたらいつか帰ってきてくれるかもしれないという期待を捨てきれないでしょう。
いつまでも、いつになっても、決して諦めることなんてできないでしょう。
それはある意味、死よりも残酷なことかもしれません。
だから、このおばあさんや彼女が前を向いて笑顔で歩き出せたのは、
とても素晴らしいことだと思うのです。
さようなら聡史。
あなたのいる場所からも、同じ星空が見えていますか?