「夢を売る男」 百田尚樹 幻冬舎 ★★★★ | 水底の本棚

水底の本棚

しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

輝かしい自分史を残したい団塊世代の男。
スティーブ・ジョブズに憧れるフリーター。
自慢の教育論を発表したい主婦。
本の出版を夢見る彼らに丸栄社の敏腕編集長・牛河原は「いつもの提案」を持ちかける。
「現代では、夢を見るには金がいるんだ」。
牛河原がそう嘯くビジネスの中身とは。
現代人のいびつな欲望を抉り出す、笑いと涙の傑作長編。

夢を売る男 (幻冬舎文庫)



物語の主人公は、丸栄社という出版社で取締役をつとめる牛河原という男。

丸栄社は、出版社と言っても、自費出版事業を手掛ける版元。

って言うと、牛河原に怒られるな。

牛河原に言わせれば、自費出版ではなくて、ジョイントプレスだ。


どうしても世に出したい素晴らしい作品なのだが、昨今の出版事情を考えると、

何かの賞を獲ったわけでもない素人のデビュー作品を出版するのは難しい。

でも、たとえば著者が出版費用を出版社と折半で負担すれば、出版は可能になる。

あなたの素晴らしい作品を埋もれさせないために、200万円を出しませんか、残りの費用はウチで負担しますよ、というのがジョイントプレス。

まあ、本を千部とか二千部作るのに、そんなにお金かかるわけないんだけども。



要するに、いつかはスティーブ・ジョブズのようにビッグになってやると夢想するフリーターとか、

自分の子育て理論を世間に広く知らしめたいと思っている暇な専業主婦とか、

自分の半生を誰かに語りたくて仕方がない隠居老人たちに、

うまくおだてて、乗せて、煽って、お金を出させるというのが丸栄社のやり方。

そして、牛河原はそれをやらせたら超一流の敏腕編集なのだ。


牛河原は言う。

今はまったく本が売れなくなっていると。

それなのに、本を書きたい奴は次から次へと出てくる。

日本人はとにかく何か書いて誰かに読ませたくて仕方のない民族なんだと。

どいつもこいつも自分を語りたくて仕方がなくて、どんどん舞台に上がってきてしまう。

だからそれを見る観客がいなくなっているのに、演じる側ばかりが増えていく。

それなら、読者を相手に商売をするよりも、書き手を相手に商売をするほうが確実だろう。



それが牛河原の論理だ。

哀しいけれど、なるほどなあと思ってしまう。

今は特に、インターネットという媒体があるから、誰でも簡単に作家になれる。

小説投稿サイトなんていくらでもあるから、書きさえすれば誰でも今日から作家を名乗れる。

そして、実際にそういう投稿サイトからヒット作品が生まれ、本当の意味での作家になることができた人間も(ひと握りであっても)実際にいる。

だから「もしかしたら俺も」と誰もが夢見てしまう。


もしかしたら俺もイチローみたいになれるかもと思う野球好きはそうはいないけれど、

もしかしたら俺も東野圭吾みないになれるかもと思う素人作家は山ほどいる。


だからこそ、丸栄社の商売が成り立つわけだ。



牛河原は苛烈で、一歩間違えば犯罪すれすれの詐欺師みたいな男だけれど、

彼が言う出版業界の批評、批判はおおむね正しい。


自分もこの業界の末端にいるからわかる。

本は売れなくなっている。

本当に、びっくりするくらい、売れなくなっている。

電車の中で周りを見渡してみてほしい。

何人が本を読んでいる?

何人がスマホをいじっている?


「終わりのはじまり」はもうとっくにはじまっている。

今はただ延命処置をしながら、少しずつ少しずつ衰えていくだけだ。


ただし。

牛河原はラストで、悪徳詐欺師づらから、ちょっとだけ本のプロの顔をのぞかせる。

出版業界にも、

このくらいの希望はあっていい。


「うちも出版社だ。編集者が本当にいい原稿だと心から信じるものなら、出す。そして出す限りは必ず売る!」