「秋の花」 北村薫 東京創元社  ★★★★★★ | 水底の本棚

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しがない書店員である僕が、
日々読んだ本の紹介や感想を徒然なるままに書いていきます。

書店のオシゴトの様子なんかも時々は。
本好きの方、ぜひのぞいてみてください。

幼なじみの真理子と利恵を待ち受けていた苛酷な運命。

それは文化祭準備中の事故と処理された一女子高生の墜落死だった。

真理子は召され、親友を喪った利恵は抜け殻と化したように憔悴していく。

ふたりの先輩である〈私〉は、事件の核心に迫ろうとするが…。

生と死を見つめ、春桜亭円紫師匠の誘掖を得て〈私〉はまた一歩成長する。


秋の花 (創元推理文庫)



※ねたばらしありの感想です。未読の方はご注意を。







生まれて初めて、本を読んで泣きました。


それも、再読のときに。


僕は気に入った本は必ず複数回読み返しますが、


本というのは読むたびに抱く感想が変わり、何度でも楽しめるものだと思っています。



しかし、これほど初読と再読で印象の変わった作品はありません。



犯人を知り、犯人のとった行動を理解した上で読むと、物語はまったく別の顔を見せてくれます。


それはとても痛く、そして悲しい物語です。



――つだ まりこ
真新しい名札には一年生らしく、ひらがなが並んでいた。おそらくは母親が一字一字心をこめて書いたのだろう。整った、美しい文字だった。
すぐに、もう一人の子猫めいた丸顔の新入生が跳ねるようにしてやって来た。同い年の幼なじみ、そして中学高校と同じ、既に津田さんがいなくなった今は、文字通り彼女の生涯の友であった子。すらりとした津田さんよりも指何本分か低い。
胸には名札が躍っていた。
――いずみ りえ



二人の少女が物語に初めてその姿を現わした瞬間である。


僕はもうこの一節だけで泣きそうになる。


この先にずっと続いていくだろうと誰もが思うであろう道。


その道を片方の少女はあっさりと閉ざされる。


そんな運命が待ち構えていることをまだ二人は知らない。



「和泉は、今、一つのことしか見えないんだ。だから、取り合えずは見える世界を広げてやることだろう。《学校に来い》だとか《卒業前の大事な時だ》とかいっても、どうにもならないと思う」



その通りだと思う。いい先生だなあ。


今の和泉さんに前向きに生きろ、という言葉を掛けることができる人などいないだろう。


短絡的に「頑張れ」などと先生が言わなかったことをありがたいと思った。



息をついて見詰めると、和泉さんの膝の上にはバッグが載っている。そのくぼみに出来た雨水の湖は川となってスカートに流れて行く。バッグは左手が押さえていた。そして脇に垂れた右手を見た時、私は胸を衝かれるような思いがした。
手は傘の柄をつかんでいた。熱帯の蝶の羽のように鮮やかに青い傘。この吹き降りの中で、固く閉じられた傘。



和泉さんは悲しんでいるのだろうと思った。


他の子たちが泣いたときも涙を零さなかったという少女は、


涙を流すかわりに雨に打たれているのだろうと思った。


だが、再読すると和泉さんがなぜ雨に打たれているか本当の理由が分かる。


少女は自分を許せないのだ。


許せないから責めずにはいられないのだ。


本当は誰かに罰して欲しいのに、それが叶わないから自身を痛めつけずにはいられないのだ。


そうやって自分を痛めつける少女にかけてあげる言葉はない。


本当ならそんなに自分を責めないで、と言ってあげたい。


雨の中に捨て猫のようにたたずむ彼女に傘を差し掛けてあげたい。


でもそれはできない。


だからもどかしくて涙が出てくる。



「(前略)その字が見えると、わたし、それを書いた頃のことを思うんです。ほんのちょっと前のことなのに、何だか、とっても昔みたい。《ね、お母さん、こういうの作ったから使って。これでもう焦がさないよ》って。……わたし、そんな風に言った。あの時はそんなことで、威張れたんです。……その字を見ると、苦しいんです。こんなになる前の時間ていうのが、本当にあったんだから分かるから」



この気持ちはとても良く分かる。


信じられないようなことがあって自分の世界が一変してしまったとき、


かつてあった幸せな時間をいとおしく思い、


そして次の瞬間、


もうそこには戻れないのだという厳然たる事実に気づかされる。


戻りたい、戻れない。


ならばそんな時間があったことも忘れてしまいたいのに、それは容赦なく襲ってくる。


まるで永遠に終わることのない拷問のようなものだろう。



「津田さんが自分だけで動けないからじゃないんです。置いていかれたら、わたしが辛いからなんです。それだけの意志の力がわたしにはない。でも、津田さんに声をかけてもらえれば、わたしは動けるんです。
「それでも反発があったりして大分まいりました。明るくいい子のルーム長が《あんな奴、かばうことない》なんていい出すような思いがけないこともありました。そんな時、津田さんは、《幼稚園の頃には、何でもないことで泣いたりしてたじゃない。今は大変なことでも大きくなってみれば、きっとたいしたことじゃないんだよ》っていいました。(後略)



津田さんという子は本当に何という子なのだろう。


「後で思えばたいしたことじゃない」とは誰でも思う。


だが、それはあくまで「後で思えば」の話だ。


実際に辛い思いをしているときにそれだけのことを言える、そんな未来を見据える目を持った子がそうはいるはずはない。


「私」は「津田さんは《きっと》という言葉を好きだった」ということに気づく。


「きっと」という言葉には意志が込められる。


「たぶん」や「もしも」にはない、明確な思いがそこにはある。


津田さんは、来たる明日を待つのではなく、自分で未来を切り開いて行く少女だったのだろう。


その未来を閉ざされてしまうまでは。



「……《何より先に苦しんでいる》ように見えるからですよね。それって、とっても悪いことですよね。わたし、《何より先に悲しまなければいけない》のだから」



苦しんでいるように見える。


それは悲しみの代替行為だと初読のときは思っていた。


けれど違うのだ。


和泉さんは本当に「苦しんでいる」のだ。



「噛めっこないだろ」その通りだ。それが冷酷な事実というやつだ。正ちゃんは、一般論としての註釈を付け足した。「――立ち向かうことは出来てもさ、世の中で《本当に逃げられること》なんて、何もないんだと思うよ」



僕もそれは何度か実感したことがある。


逃げていても何の解決にもならない。


現状を打破するためには、やっぱり戦わないと。


だから、ね、和泉さん。



「嘲笑じゃありませんよ。にこりとした、何ともいえない、いい笑いでした。そして、津田はいいました。《先生、美術をとったのは無駄だと思いますか。わたしは、同じものだと思っています。字はうまくありませんけど、書道にしてもそうだと思います。本を読むのも、道を歩くのも、こうやってお話しているのも全部同じところでつながっているんだと思います》。僕はね、正直、羞ずかしかったですよ。《和泉のために、美術をとったりしたのか》といういい方には無意識のうちにも《勿体ない》という損得勘定をしているような、そんな功利的な響きがあったんだと思います。僕なんかに比べると、津田は、そう――とても清潔でしたね」



生きて動き喋っている彼女の物語を読んでみたかった。


津田さんはそんな風に思わせる子です。


ところで、北村薫さんの「スキップ」という物語の主人公は、


津田さんと同じ「真理子」という名の少女です。


もし、津田さんが生きていたらきっとこういう人だったのだろうなと思わせる、強くそして清潔な女性です。


北村薫さんもきっと津田さんの物語を描きたかったのではないかと想像します。

(「スキップ」でも「真理子」はとんでもなく辛い試練を与えられてしまうのですが)



「《御神酒徳利》という言葉が、どういう意味で使われるかご存じですか」
「はい」
――仲のよい二人、どこへ行くのも一緒の二人。



円紫師匠のシリーズはいつも落語を効果的に物語に挿入してくる。


だが、この使い方はもう、反則としか言いようがない。


もしかしたら全編を通じて僕が一番涙を流したのはこの部分かもしれない。



「そうでしょう。一人の人の生命を、それも幼い頃から何をするのも一緒だった、それどころかある意味ではずっと手を引いてくれた友達の生命を、過ってとはいえ自分の手で断つ結果になったのです。押し寄せた戦慄を恐怖と慚愧は想像にするに余りあります。《いわなければいけない、黙っていることは許されない》と思いつつ、一方では証拠の隠滅をしてしまう。そのことがまた自分を責める材料になったでしょう。友達にも先生にも親にもいえなかった。機会をまた失った。となればもう今更、口を開けない。ますます和泉さんは一人ぼっちになり、自分の殻の中に閉じこもった。(後略)」



円紫さんの推理の中で最も辛いものであったように思えます。


けれど同時に最も救いとなった推理でもあるのではないでしょうか。


私を見て。


誰か気づいて。


私のしたことを誰か責めて。


そんな風に体中で叫んでいる少女に「もう叫ばなくてもいいのだよ」と言ってあげられたのだから。



「あなたは、まだ人の親になったことはありません。その時にどう思うかは分かりません。しかし、僕だったら、仕方のない事故だと分かっていても《許す》ことは出来そうにありません。ただ――」
私は機械のように繰り返した。
「……ただ?」
「救うことは出来る。そして、救わねばならない、と思います。親だから、余計そう思います」