三ヵ月後に隕石がぶつかって地球が滅亡し、抽選で選ばれた人だけが脱出ロケットに乗れると決まったとき、人はヤケになって暴行や殺人に走るだろうか。
それともモモちゃんのように「死ぬことは、生まれたときから決まってたじゃないか」と諦観できるだろうか。
今、「昔話」が生まれるとしたら、をテーマに直木賞作家が描く連作短編集。
「ラブレス」
元ネタは「かぐや姫」です。
五人の貴族の求愛や帝さえも振り切って月に帰っていった麗しき姫と、五人の女に貢がせていた売れっ子ホスト。これを似ていると考えるかどうかはともかく、収録されている七つの短編の中で、最も元ネタの「昔話」を忠実にトレースしている話だとは思います。
そして、同時に他の作品に対する伏線にもなっているお話です。
「ロケットの思い出」
元ネタの「花咲か爺」では、良いお爺さんはポチにたくさんの宝物を与えられ、悪いお爺さん(この呼び名も何だかなあ)は終始、ひどい目に合わされます。
そういう意味ではこの短編の主人公は「良いお爺さん」と「悪いお爺さん」の二役をやっているようなものですね。
うーん…違うな。ポチが二匹いると考えたほうがいいのかな。「良いポチ」=ロケット、「悪いポチ」=犬山。
それも何だか違うような気がするなあ…。
「ディスタンス」
元ネタは「天女の羽衣」ですが、この短編との共通点は皆無と言ってよいと思います。
見方を少し変えると、とても似ている物語とも言えるのですが。
主人公の友人が「本当にその人はあんたが好きなの? 女子高生であるあんたが好きなだけなんじゃないの」と言いますが、これはある意味、痛烈な皮肉ですよね。
鉄八がすきなのは女子高生である彼女ではなく、むしろ……。
主人公の強い想いだけが強く強く、けれど虚しく。
どれだけ切り刻んでも、どんなに深く掘っても、あたしのなかにあふれるのはただ、
会いたい。会いたい。会いたい。
それだけなの。
「入江は緑」
この後に収録されている短編すべてに共通する「三ヶ月後に隕石が地球に衝突する」というシチュエーションがここで初めて明かされます。
なんで「浦島太郎」がこの話になるんだよというツッコミはなし。
この短編集は「昔話」を現代風にアレンジしてみました、という趣向のものではないのですし。
「たどりつくまで」
元ネタは「鉢かづき」。
異形の姫が美しき姿を取り戻すというコンセプトにおいて、この短編と「鉢かづき」は同種の作品と言えます。
三ヵ月後に世界が終わるのに、美しい姿を手に入れてどうするのか。
そんな疑問が誰の心にも浮かぶでしょう。
でも、きっと現実なんてそんなものじゃないですか。
明日死ぬからと言って、今日食べる食事の美味しさが失われるわけじゃないでしょう。
「花」
「猿婿入り」は子供の頃読んで、ちょっとショックでした。
猿のところに嫁ぐという異常な事態にも、何も悪いことをしていない猿を「未必の故意」で殺害してしまう娘にも嫌悪感を覚えました。
この短編はそういう嫌悪感とは無縁です。
サルの献身が欠片も伝わっていないところが虚しいですけれど。(伝わってないのかな?)
「懐かしき川べりの町の物語せよ」
「桃太郎」との共通点は、登場人物の名前だけ。あとはまったく関係のない物語です。
僕たちが知っている昔話の多くは(当然ですが)作者不明であり、登場人物たちもまた名を持たぬ「おじいさん」や「おばあさん」であることが多いです。
この短編集に収録されている作品もまた語り手がすべて匿名になっています。
どこで誰が語っているのかもわからない物語。
いつから、どんな風にして語り継がれてきたのかもわからない物語。
それが「むかしばなし」というものなのでしょう。
そのコンセプトのもとに書かれた短編たちは、この最終話できっちりその輪を閉じます。
どうでもいいですが、「物語せよ」っていう言葉は何だかすごくいいですね。どこがいいのかうまく説明できませんけど。
「暴れてるやつらが言いたいのは、『どうせ死ぬなら、なにをしてもかまわない』ってことだよな。でも、隕石がぶつかるってわかってから、わざわざそんなこと言いだすのはおかしくないか?」
モモちゃんは、心底不思議そうに言った。「死ぬことは、生まれたときから決まってたじゃないか。いまさらだよな」