二つ目の噺家、今昔亭三つ葉。
頑固で短気で喧嘩っぱやく、普段着でも着物を着るほど古典落語をこよなく愛する男。
そんな三つ葉がひょんなことから話し方指南を望む弟子をとり「饅頭こわい」を指導することになった。
三つ葉がとった弟子というのが、
テニスのコーチで従兄弟の良、
三つ葉が「黒猫」と評するキツイ美人の十河、
関西弁を喋る小学生の村林、
そして元プロ野球選手の湯河原。
彼らはいずれも喋ることに自信が持てず悩んでいる。
自分の噺が確立できずにもがいている三つ葉にしてもそれは同じなのだが、
そんな三つ葉の落語教室で彼らは何かを掴もうと必死になる。
その姿が滑稽でもあり物哀しくもある。
読んでみて最初の印象は「この作者は落語をよく知ってる」ということだった。
高座の様子や噺家たちの描写がとてもリアルで楽しい。
こういう噺家たち、いそうだなあと思わずにんまりしてしまう。
それから文章がまるで落語のように小気味良い。
江戸の古典落語のようにぽんぽんとしたいいテンポでストーリーが展開していくので
読み出したら止まらずに一気にラストまでいける。
特に何か事件が起こるわけじゃないけどとても楽しく読める。
「喋る」ということは人間にとってとても大切なことだ。
喋ることで人は自分の考えや想いを確かにしていく。
どうやっても解けなかった問題を他人に質問してみると説明している途中で
自己完結してしまうなんていう経験は誰にでもあるだろうし、
あなたが好きだと誰かに伝えた途端、
その気持ちが今までの倍くらいに膨らむなんてこともある。
言葉にして話すということは、頭の中でもしゃもしゃと考えているということと
雲泥の差があるのだと僕は思う。
だが彼ら五人は喋ることができない。
「しゃべれどもしゃべれども」伝わらなかったから喋ることができなくなった。
落語の稽古そして発表会を経て、彼らの中で少しだけ何かが変わったような気がする。
だけどそれは彼らの人生が好転したという意味ではない。
村林に対してクラスメイトたちがどう出るかはこれからだし、
良や湯河原は発表会にまでたどり着けなかった。
十河だってまだハキハキと喋れるようになったわけじゃないし、
三つ葉にしてもまだ自分の藝を掴んではいない。
彼らが本当の意味で喋ることができるようになるからはこれからだ。
そんな期待がもてるようなラスト。僕はこういうの好きだ。
村林が来てくれた。だめかと思ったのに、ぎりぎりで間に合って来てくれた。これが一期一会じゃなくて、どの落語会が一期一会だろう。
噺というのは一期一会だ。
芸人さんの側から言えば毎日毎日、喋り飽きたような噺を繰り返しているだけかもしれないが、
そこにいるお客さんのほとんどはその日こっきりの人たちなのだ。
今日失敗しても明日頑張れば許されるというようなものじゃない。
噺家だけでなくプロ野球選手だろうが舞台俳優だろうが、すべてに言えることなのだけどそういう気持ちで挑んでいるプロは意外なほど少ない。
三つ葉は気がつけてよかった。
「あんまり嬉しかったから。嬉しすぎて……」
台本の下読み中に、うっかり口が動いて声が出たようにしゃべった。
「あなたはちょっとした気紛れなんだろうけど、私は本当に嬉しかったから。あんなふうに優しくしてもらうと恐くなるの」
可愛らしいと思った。黒猫のようにシャープでソリッドでクールな美人にこんなことを言われたら三つ葉じゃなくても引っくり返りそうだ。