パラレルワールドとかタイムラインとかSF系ではいうけれど、いまいちピンと来なかった。
平行世界が見えないけれど別にあって、そっちでは違う自分が違うことをしている、そんなイメージだった。
が、もしかしてそんな大げさなことではないのかも、と今日思った。
たとえば、朝起きて家から職場に電車で行く。そして職場で働く。
つまり、家にいるワールドから職場にいる自分のワールドにタイムラインがカクっと方向転換したわけだ。
休みの日は、家から温泉地に行ったり、コンサートに行ったりして、自分の望む方向へ行けば、そこでワールドは変わり、家にずっといるタイムラインから、カクカクっと楽しい時間を過ごせるタイムラインに方向転換し、楽しいワールドに行っているということになる。
ふむふむ、そう考えれば、いい世界、楽しい世界
、平和な世界
、望ましい世界
に行くことは案外簡単かもしれない。
「そうは言っても、世界では争いがあるじゃないか、飢餓があるじゃないか」という声が聞こえてきそうだ。
そう、だから、それはTVニュースを見て悲惨な世界に引っ張られて足を踏み込んでいるから、そこでカクっとタイムラインが変わり、その世界に自分は行っていると言える。
「しかし、現実にそれが起っているではないか!」という声も上がるだろう。
そう、しかし、本当に現実だろうか?現地に行って自分の目で見たのか?
それはそれで、その世界にいる人たちが、そういう世界を作っている。それに自分が引っ張られて、自分のタイムラインがそっち
に向かって自分の現実になっているだけ、なのカモしれない。
見て、知った、だけで何もしないならニュースを見る必要はない。
ボタンティアで震災被災地へ行くのも、飢餓の人達に援助の手を差し伸べるのも、あれこれ支援をするのも、住んでいる地元でボランティアするのも、望む世界へと自分でタイムラインを変えていることになる。