~ 参考映像:『世界の何だコレ!?ミステリー』(フジテレビ系列)より<2015年7月5日放送分> ~
今からちょうど70年前の7月、アメリカ・ロズウェルでUFOが墜落したというニュースが駆け巡ります。20日ほど前の同年6月24日には、北西のワシントン州にあるレーニア山付近上空を自家用飛行機で飛行中のケネス・アーノルドが、9個の皿状の奇妙な物体を目撃したニュースが話題になったばかりとあって地元は騒然とします。
フォスター牧場で働いていた発見者ブレイゼルは、同年6月14日に奇妙な残骸が散らばっていることに気付きます。7月4日にそれらをかき集め地元保安官に知らせると、保安官はロズウェル陸軍飛行場に連絡。やって来た少佐と7月7日に面会し、少佐は残骸の一部を持ち帰りました。
~ 1947年7月8日付 ロズウェル陸軍飛行場(RAAF)が発表したロズウェル・デイリー・レコード ~
翌7月8日の早い時間、ロズウェル陸軍飛行場の報道官がプレスリリースを発表すると、それはすぐに多数のニュース特約社によって取り上げられます。:
「第509爆撃航空群の職員がロズウェル付近の牧場から潰れた『空飛ぶ円盤(flying disc)』を回収した」と発表(左)。しかしその数時間後、第8航空軍司令官はこのプレスリリースを否定し、「RAAF職員が回収したものは『空飛ぶ円盤(flying saucer)』ではなく、気象観測用気球であった」と述べます(右)。対して発見者のブレイゼルは、「私は自分が見つけたものはいかなる気象観測用気球でもないと確信している」と、気球断定説をはねつけます。
しかしこの事件はやがて人々に忘れ去られますが、1980年頃になると再び火が付き、様々な証拠写真とされるものや暴露話などが続々と登場し(ほぼニセモノ)、嘘も入り混じる情報はますます錯綜され混迷へ陥ります。
こうして世界でもっとも有名なUFO事件となっているロズウェルですが、
「捕まった宇宙人」で有名なこの写真は――、
実は、ドイツ・ケルンの週刊誌「Neue Illustrierte」(1950年3月29日発行<4月1日版>)に、エイプリルフール用に作られたニセモノだったりします。ちなみに下の宇宙文字(?)を直訳すると、「地球は嫌だ。帰りたい」……だそうで(笑)。
こうした中、真実を求めて調査をしに過去に渡米した日本人たちがいます。
彼らがつかんだ情報によりますと(以下引用、重複箇所あり)――
最初にUFOが出現したのは1947年7月2日午前8時15分過ぎ(※1)。
突如、全長1kmを超える巨大な葉巻型の影が、ロズウェル基地のレーダーに映った。
軍人や職員たちは何事が起こったのかと急いで外に出て上空を見上げ、パニック状態になったという。しばらくすると底部からオレンジ色の光を放つ小さな飛行物体が2つ飛び出した。その後、葉巻型UFOは想像を絶するスピードで飛行して姿を消し、残った2機の小型UFOは基地上空を旋回し、やがて物凄いスピードで南の方に消えていった。
同日午後11時35分、レーダーに謎の光点が現れ、南東から北西に向かってマッハ4という凄まじい速度で移動していた。やがてUFOは雷雲に突入、その時、何かにはじかれるように光点が2つに分裂し、1つはそのまま飛行し続けたが、もう1つは西に進路を変更し、大きく弧を描くようにレーダーから消えていった。レーダーから消えていく光跡から、西に向かった物体が地上に落下したことはほぼ間違いない。原因は、落雷かUFO同士の衝突ではないかと考えられている。
墜落UFOから回収されたエイリアンは人間、我々地球人と同じ「霊長類ヒト科ホモ・サピエンス・サピエンス」だった。エイリアンは全員死亡しており、遺体は3体。身長は約1.5メートルで、アメリカ人に比べれば小柄だが、正真正銘ヒトだったという。この時もっとも損傷のひどい1体を検死し、エイリアンは「モンゴロイド」という結論が出た。3人とも血液型がO型だったのも、モンゴロイドの特徴だ。ちなみに、モンゴロイドであるアメリカインディアンの血液型は殆どO型だ。
また彼らの外見は非常に若く、3人とも18~20歳くらいだと診断されたが、後の観察学の進歩により、1人が推定30代半ば、2人は20~24歳と考えられるようになった。しかし最近、保存されていたエイリアンの凍結細胞を分析した結果、寿命を司る遺伝子が特殊で、地球人の10倍、つまり1000歳まで生きることが判明。遺伝子鑑定の結果も、モンゴロイドであることが裏付けられた。特に注目されたのは、YAP因子と呼ばれる遺伝子だった。YAPは性染色体のY染色体にある約300の塩基からなる遺伝子で、民族の特徴が顕著に現れ、東アジアでは日本人にしか見られない。
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7月5日の深夜、サンアウグステン平原にやってきたロズウェル陸軍基地の部隊は、墜落UFOの機体と破片を回収すると共に、エイリアンの遺体を木箱に回収。そのまま遺体を基地の「84格納庫」へ搬送した。3体の遺体のうち、1体は輸送機に乗せられ、ワシントンの「アンドリュース陸軍航空基地」へ運ばれた。残る2体は、翌日、オハイオ州、後の「ライトパターソン空軍基地」へと運ばれた。そこで、最も損傷がひどかった一体をAAF(陸軍飛行場)病院に運び込み、検死を行っている。この時の診断によると、頭部は東洋人風の容貌であり、瞳の色は黒。アングロサクソンのように彫りは深くなく、顔は平坦。形質から、エイリアンはアジア系の人種、つまりモンゴロイドに近いと判断された。
3人のうち一人は、脳外科手術の痕跡があった。部位は「視床」という脳の最深部で、現代の医療技術でも手術は非常に困難な場所であることが分かった。しかも手術は完璧に成功しており、組織が回復していた。血液型は3人ともO型だった。これは地球人と全く変わらない。彼らはみな小柄ではあったが、筋肉は丈夫で、しっかりした体躯をしていた。
彼らの外見は、非常に若かった。大腿骨の端にある成長点と骨幹の融合度合いから判断して、1人が推定30代半ば、残る2人は共に20~24歳ではないかと考えられるようになった。
また、UFO内部には高タンパクの加工食品やスープ、容器に入ったミネラル・ウォーターも発見され、独特の医薬品や日用品や生活物資も搭載されていたが、これらも地球上のものと本質的に変わりはなかった。
そして、最近になって、驚くべきことが分かってきた。保存されていたエイリアンの遺伝子を分析したところ、寿命を司る遺伝子が特殊で、地球人の10倍近く、1000歳まで生きることが可能らしいのだ。遺伝子鑑定の結果も、やはりモンゴロイドであることが裏付けられた。特に注目されたのが「YAP因子」と呼ばれる遺伝子であった。「YAP」とは、性染色体の一つ、Y染色体にある約300の塩基から成る遺伝子で、民族の特徴が顕著に現れることで知られる。なぜか、東アジアにおいては、日本人にしか見られない。
隣の韓国や朝鮮、中国ではYAP因子を持った人はまだ発見されていないが、日本人には約42%の割合で、この遺伝子がある。このYAP因子には(+)と(-)の2種類があり、いわゆる縄文人タイプが(+)、弥生人タイプが(-)因子を持っているといわれる。ただし、弥生人といっても、この場合、朝鮮半島を経由してやってきた東北アジア、北アジア系の弥生人にYAP(-)因子がある。
このことから、エイリアンは奇しくも日本人に非常に近い人種であったことが分かってきた。特にエイリアンはYAP(-)因子を持っていたことから、東北アジア系の弥生人のような容貌をしていたと思われる。アジア系の人種で、頭を丸坊主にした姿は、つい先頃の第2次大戦中の旧日本軍の兵士の姿にそっくり。墜落UFOの回収に当たった兵士たちは、中から発見されたエイリアンの姿を見て、誰もが真っ先に日本人を連想して驚愕したという。
しかし墜落したUFOを調べていくうち、アメリカ軍はエイリアンが日本人ではないことを徐々に悟っていく。機体や内部にあった物品に記されていた文字は、どれも日本語ではなかったのだ(※2)。どうやらエイリアンとUFOは日本から来たのではない。最終的にそう断定したのは、回収からしばらく経ってからのことだったという。
UFO機内で発見された一冊の本で、その表紙を見た兵士たちは言葉をなくしたという。
カッバーラの奥義「生命の樹」の象徴図形が描かれていたからだ。
その本は、古代ヘブライ語の字体に似た文字で書かれていて、解読までに多くの時間を要しなかったという。内容は聖書だった。しかし、地球上の聖書と途中までは同じ内容だが、後半になると全く違い、聖書が南朝ユダ王国の視点で書かれているのに対し、「エイリアン・バイブル」は北イスラエル王朝の視点で書かれており、エイリアンの正体が「失われたイスラエル10支族」の末裔であることが判明した。
――(※1)「最初にUFOが出現したのは1947年7月2日午前8時15分過ぎ」と、広島に原爆(リトルボーイ)が落とされた「1945年8月6日午前8時15分」の時間がリンクしている点が気になります。当時の小柄な日本人は、少年(リトルボーイ)のようにも見えるでしょうし。
驚くべきことに、原爆を積んで飛び立ったB-29は、元々ロズウェル陸軍航空基地所属で、日本へ原爆を落とした後もロズウェルにはまだ原爆が2発残っていました。その現地へわざわざUFOを墜落させたようにしか見えない彼ら(エイリアン)の意図が何だったのか、強いメッセージとして今でも、そしてこれから先も地球人に訴えかけていくこととなるのでしょう。
さらにこのB-29、サイパン島のすぐ下のテニアン島から飛び立ったのですが、第一次世界大戦でドイツが負けると、この島の統治権が日本に渡り、島を開墾・開発し、道路や飛行場も日本人(多い順に山形、福島、沖縄からの移住者)が整備しています。その後は農産物も栽培し、特に砂糖の生産量は、台湾に次いで東洋第2位の生産量を誇ったりも……。
しかし、昭和19年にアメリカにテニアン島が占領されると(テニアンの戦い)、皮肉なことに日本を空襲する基地へと様変わり。原爆投下以外にも、連日のように日本へ襲撃していたB-29は、ここから飛び立っています。
小学生のとき、同級生がサイパンへ行った際のお土産(シール)。
――(※2)「機体や内部にあった物品に記されていた文字は、どれも日本語ではなかったのだ」
<参考>
古代イスラエル文字が、ここに上げた記号に似ているのかはわかりませんが、
古代イスラエル文字と日本の文字が類似している点も見過ごせませんね。
<過去記事>