――引き続き、岩木山麓(鯵ヶ沢町湯舟)の鬼つながり。


昔、湯舟になにがしという腕のたつ刀鍛冶が住んでいた。
刀鍛冶には二人の美しい娘がおり、その評判は弘前にまで伝わっていた。
姉妹も年頃となり、刀鍛冶は「七日のうちに目にかなう十腰の刀を打ち上げた者を婿とする」と触れた。


ある日、左頬に大きな火傷の痕のある若者が現われ、志願した。
しかしその若者は、絶対に鍛冶場をのぞくなという。
気になった刀鍛冶が鍛冶場をのぞくと、一匹の竜が口から炎を吹き付け刀を鍛えていた。
十腰の刀を打ち終えた竜の若者が寝ている隙に、刀鍛冶は刀の束から一腰を抜いて隠した。期日が来て若者が刀の束を差し出すが、数えると九腰しかない。
約束を果たせなかった若者は、しかたなく村を去った。
その折「十腰ない、十腰ない」とつぶやきながら弘前の方へと去ったので、
途中に「十腰内」の地名が残った。後難を恐れた刀鍛冶は隠していた刀を湯舟川へ捨てた。このとき以来川の魚は片目が潰れているという。
しかし、翌日から姉娘は高熱を発し、息を引き取ってしまった。


三年がたち、妹のもとへ一人の若者がやって来て、七日のうちに十腰の刀を鍛え、婿となった。刀鍛冶が姉の時の事を話すと、若者はその竜は自分の兄の鬼神太夫に違いないという。兄は竜神に祈願していたが、やがて竜神が乗り移ったのか魔剣を鍛えるようになった。


鬼神太夫の残した九腰の刀は、巌鬼山神社に奉納されたが、
いつの間にか七腰がなくなり、いまは二腰だけが伝わるという。


……と、伝説を語っている間に、高倉神社へ着きました(笑)。おお、『神』さんがいっぱい!
ここも明治の廃仏毀釈の影響で、飛龍宮から高倉神社へと改名されています。


「湯舟」とは、刀を打つときに使った道具のことをいうそうですが、熱せられた刀を冷水に浸ける際に立ち昇る湯気が、まるで湯舟の蒸気のようにも見えますよね。
地名に色濃く残されていることもまた、製鉄が盛んだった何よりの証しでしょう。


おっと、設置されていた防犯カメラに緊張(笑)。おそらくお賽銭を監視。龍も見ているぞよ。

本殿には、聖観世音菩薩、鉧(けら)石、高皇産霊命、阿弥陀如来の小堂を安置してあるそうです。湯舟周辺には製鉄が盛んだった痕跡が発見されているそうで、この高倉神社のご神体も鉧(けら=鉄滓)の模様。岩木山麓ではあまりの鉄滓の多さに、開拓をあきらめた土地もあるほどだったとか。


外に祀られてあった石。 でもこれは鉧(けら)ではなさそう。
昔、ここに鬼神太夫という鍛治がおり、刀を打ち悪魔を退治した。
石と化したので観音堂にお祭りした。
『いまの世に 神といわれる鬼神石(きじんせき) 庭の砂(いさご)も 浄土なるらん』
ちなみに十腰内(とこしない)の「ナイ」は、アイヌ語で「川」や「沢」の意味。
「トコ」も北海道の知床などの地名にあるように、アイヌ語で「外れ」「果て」という意味。