

引き続き、八峰町の国道101号線沿いを北上すると、断崖に白い女性像が見え出します。


1983年5月26日に起きた日本海中部地震の津波で犠牲になられた方々の慰霊碑です。
『濤安(とあ)の乙女』と呼ぶらしく、自然公園の中に立っているようです(車中から写したので)。
おそらく、「濤安(とあ)」=「怒濤(どとう)・安らか」を意味しているのだろうと思われますが、
この八峰町岩館地区にも、約15メートルほどの津波が押し寄せたようです。


ここにも菅江真澄の道(説明板)。


津波被害の模様。ここもジオパークになっています。


この後、この海岸のとある岩へ向かいます。




まずは、


立岩。


菅江さんも訪れた場所。


笛の上手な若者に恋した乙女との悲恋の伝説が残る岩(詳細は下のジオパの説明板)。


見る方角によって違う岩のように見えますが、上の写真(↑)は両方とも立岩です。
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――で、前置きが長くなりましたが、今回の最大のポイントはこちら、
オカムイ岩(てっぺんに祠付き)。ちなみにカムイはアイヌ語で「神」の意。


なんと、明治時代のまさに今夜、この大岩がこの場所へと落下する日なのであります!


明治八、九年の頃の秋、南東の風強く吹き、それが西北西よりの風にかわり、
海は大荒れ大浪となりました。
夜の十二時過ぎの頃、人家を洗う雨の音高く、実に物凄い有様となりました。
小入川の弥兵衛という老人、その物音に起きたが、風雨のため外に出られず、
戸のすき間から外を見たところ、
真暗闇の沖の方から、大きな光玉が飛んで来たので、
これはと驚き、なおも戸のすき間から見て居たところ、
その光玉が物凄い音と共に、この崎へ落ちて光が消えたのです。
弥兵衛老、不思議に思い、翌朝村中の人々にその話を知らせ、
皆揃って光の落ちた場所へ行って見たところ、
今まで無かった大岩が岩上にあるので、皆不思議に思った。
占者にみてもらったら、「これは北海道のオカモイさまの分身なり」といわれ、
明治十四年に立派なお宮を建てて、御神威神社としてお祭りをしたのです。
それから岩館は鰊の大漁が続いたといいます。
~郷土誌資料『八森』四十三号「岩館の今昔」より~
明治10年10月6日の夜、海から妖光が飛んできて大音響を立てて岩浜にぶつかった。
翌朝見てみると大きな岩塊が座していた。
以来、ニシン漁が年々盛んになったことから、
これは北海道からニシンの神オカムイさま(お神威さま)がおでましになったのだ、
ということになって、お宮を建てて祀った。
~『八森町史』より~


果たしてこれが、伝説をとるか、説明板の「海底火山によって出来たものです」をとるか、
受け取る側によって変わってきますね。個人的には伝説の方が好きですが(笑)。
ロシアの隕石の件と同じように、UFOによって粉砕してもらったという可能性も……。


海底火山にしては、この下にある岩とまるで違うのはどういうこと?


明らかに乗っかっていますよね。え、津波で流されて乗っかったって?
だとすれば、伝説は嘘っぱち? 弥兵衛さん、嘘つき?


そんな話イヤです(笑)。
う~ん、どう見ても、元々あった岩に上からガツッとおっこちてきて、半分に割れて(多分)、
そのまま下の岩に支えられている感じにしか見えないですよね。


あとは長年の波に削られていったようにしか……。


支点。


周辺の山から崩れ落ちてきたってわけでもなさそうですし。


海側から見ると、青森の石神様に似ている気も……磁気が発生する地点はないのかな。


隕石だと証明できる成分の一つでもあれば……。

石室のような空間。住みたい。

話は飛びますが、隕石といえば、話題になっている映画の「ティアマト彗星」(からの隕石)も、
2013年10月4日に落下していました(おととい、話題になっていましたね)。
私も観に行きましたが、これに関する話はもうちょっとしたいので、次回語ります。
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他にも、似たような巨岩がごろごろあります。


最初、こちらの岩がオカムイ岩かと勘違いしたほど紛らわしいです。




見分けるポイントは、岩のてっぺんに祠があるかないか。


五能線。鉄道マニア垂涎のポイント……かもしれない。

ブリコを獲ってブリッコしたってダメなんだからね~(←言いたかっただけ)。
魚の絵は、『釣りキチ三平』の作者さん(秋田県出身)のイラストでしょうか。
違ってたらすみません(^^;)。