今回の精神科の先生には、よくしてもらったので
ちょっとしたお礼の物を用意しました。
男の先生なので、手の込んだ物より
スタバのチョコとノートと袋は、実用的に使えるかなって思いました
ノートもスタバの布袋もスタバのマーク入りで、
私が欲しくなってしまいました。
今日で、先生とお別れなので
ありがとうございます( 〃▽〃)って
こんなややこしい私を、診てもらい
いつも変わらない、丁寧な対応をしてくれます
何故か、精神科の先生の間では、
私は、危険人物らしいです(笑)
何年も通っているので、先生が変わるのは
多く
だいたい、先生は、2年間位で変わります。
その何人かの先生で、
私がブチキレた先生が二人いました。
一人目は(Aとします)
私が「先生の入れ代わり多いですね。」っと軽く
話したら
何を考えたのかそのAが
「そんなに入れ代わりが嫌なら、他の専門の病院行けば❗紹介するよ❗ったく」っと言ったので
ハイ、キレました。
「私は、この病院でしか受けられないんだって‼️あんたさ❗私の体の病気知った上で、他のを病院を紹介するんだなっもし、病気で入院して、3ヶ月間、他の精神科にかかれるわけないだろうが、飲んでる薬見ろよ❗精神科の先生で、患者相手にしたくないなら、あんたがどっか行けよ❗まず、人の顔を見て、物喋れ❗」っと
さすがに、真っ青になってた
二人目も(Bとします)、人の話を聞かずパソコンを見て
こっちを向かないBで
こやつも、態度がデカイ
一言、一言、ため息つきながら話す❗
ついに堪忍袋ボーン
「おい、患者見るのが苦痛なら、診るなよ❗あんた見てると、ストレス溜まる。何を勘違いの精神科に来る患者はその態度で良いだろって思ってんじゃねぇぞコラちょっと、相談室の方に、話をつけてくる。これからは、薬だけ出せば良いだろう❗処方箋出せよ❗」って部屋から出たのですが、追いかけてきて、
B「もう一度、部屋に戻ってください。お願いします。」
私「ふざけんな❗早く処方箋出せって」
あわてて処方箋を出して、
看護士さんには、普通の対応して、Bは無視
処方箋をもらって、相談室の知り合いに話をしに行きました。
次の診察日に、相談室の知り合いとBと私で
誰一人座る事なく話をしましたが、
Bが、何に謝ってるのか?理解してない。
その事について、指摘したら
やっと、本当の意味で反省してました。
その後、そのBの診察日は、
私は椅子に座る事なく、次の先生(Cとします)に代わるまで
続けていました。
急に、Bが、変わることになったときの
Bの言葉「アメリカで、精神科として勉強してきます。」
私の心の中では(無理でしょう)って思っていたら、
次のC先生が、はっきり話す先生で、サッパリ系
でも、悩み事があると、一緒に考えるし、
嫌なら嫌って言ってくださいっというスタンスだったので、楽でした。
そのC先生に、「Bはアメリカに行ってるって聞きましたがぁ~頑張ってるのかな?」っと聞くと
C先生「あ~ぁ、あいつね。3ヶ月で帰ってきてね。たらい回しされてるよ😃」とのこと
何でも話してくれるC先生は面白かったなぁ
精神科の先生で、一番、お世話になった
X先生は、私が、初めて精神科にかかって
ゆっくり話を聞いて
X先生「どうしてもっと早くに、精神科に来なかったの?辛いことが、麻痺して分からなくなってたんだね。僕が、心の辛さを分かるように、努力するから、少しずつで、良いから話していこうね。」っと言ってくれた。
私も、少しずつしか、話せなかったので
もっと心を開ければ、沢山話できたのになぁ~っと、後悔してます。
X先生に見てもらってた時に、自分でも驚く程
本当に、私自身、異常な程落ち込んで
布団にくるまり、耳栓して、震えて、過呼吸になったこともあります。
X先生は、「今の環境が良くないから、入院させた方がいい。このままだと、危ない❗」っと
旦那に話しました。
これには、旦那も、X先生も、私の話を聞いてくれてなかったのです。
当日、足の大腿骨か折れて、治らないと言われて
落ち込み
段差の少ない所へ、引っ越ししたら、
それからの地獄が始まり、住んだとこの
隣近所、住んでる所の隣の会社周りからの
罵声の嵐が始まりました。
何もしなくても、新しく来たやつは、ちょっかいを出して、反応なければ、無視ととらえられ、
それから始まった。罵声や壁を叩いたり上の住人は、飛びはねて笑って、(今、トイレに行った)っといってトイレ側の壁を蹴る。
私のいる場所を、真上の住人が教えて
ジーッと落ち着くところがなく、
ここはおかしいっと思って、
旦那に小さい声で話しても、耳が悪いので、
デカイ声で、聞いてくる行動さえ受け付けなくなり、私の行ってることは、被害妄想だと
そりゃ、旦那が帰ってきたら、皆知らない普通の様にしてるんです。
その、引っ越しした所は、壁が薄く、声も聞こえます。
旦那が居るときは、大人しく、居なくなれば
耳栓しないと、耐えられないほど。
余りの変わりように、旦那が「どうしたらいいんだ❗なぁ❗毎日、毎日、本当にぼろ雑巾みたいだな」っと言った後、旦那も言い過ぎたと思い謝りましたが、その言葉にも、傷付き、
次の日、周りは、私をぼろ雑巾と呼んでました。
そんなことは、思い込みっとX先生にはなしていた旦那。
ご飯は、食べれなく水を飲んで、吐いてを繰返し
喉がやられて、声さえも出しにくくなりました。
そのには、一年半いましたが、恨みしかないですね。
その後に、私たちの後に住んだ人も、
あそこは、人がすめるところではないっと
タクシーのお姉さんに言ってました。
知り合いのタクシーの方なので、
その話を教えてくれました。
その事を旦那に話したら、もう出たからいいだろうっと言われて
数日間、話さなくなりました。
何故、嫁の話を聞いてくれてなかったのか?
あり得ないって、言えたのか?
信じて、向き合ってほしかったですね。
またまた、暗い事を話しました。
ごめんなさい
少し疲れたので、寝ますね🎵