それから数年は、雑誌の仕事を中心にミュージシャンのCDジャケットや
アーティスト写真(いわゆる宣材写真)など仕事は増える一方でした
👆当時の雑誌のお仕事 今も俳優として活躍されているアラタくんも映っています
どうやって新しい仕事に繋がっていたかというと、ほとんどが知り合いのカメラマンやヘアメイク、ライターさんたちの紹介でした
当時のブランドさんなんかともどんどん交友が広がり
東京コレクションなどもプレス関係として呼んでもらえるようになり最前列で見させてもらったりと好待遇でした
ただ、こういうお仕事って報酬(いわゆるギャラ)の支払いは請求書を送ってから早くて翌月、通常は2~3か月ほどかかることもあり、資金繰りは大変でずっと自転車操業状態でした
いい加減な担当に当たると、半年たっても振り込まれず連絡すると
「請求書失くしちゃった!もう一回送ってもらえる?」なんてこともあり
さらにそこから2~3か月かかるなんてことも
仕事は増えても、お金は増えへんやん
華々しい業界とは裏腹に、いつまでたっても裕福には程遠い生活
ブランドの高い服なんて買えません
が、安い服なんか仕事柄着れない
節約のため日暮里で安い生地を買ってきては
自分で自分用の服をちゃちゃっと作って着るみたいなことをやっていました
そう、服を作ることはやめてなかったんです
だって服をつくることが好きだったんで
いつかは自分のブランドを作りたい
そのためにはもっと有名にならなくては・・・
と野心に燃えるのでした
つづく